いつか電池がきれるまで

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「GoToトラベル」と「最大多数の最大幸福」


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 日本は「再分配によって、さらに格差が拡大している国」なんですよね。


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先進国における子どもの貧困率を「市場所得」(就労や、金融資産によって得られる所得)と、それから税金と社会保険料を引き、児童手当や年金などの社会保障給付を足した「可処分所得」でみたものである。税制度や社会保障制度を、政府による「所得再分配」と言うので、これらを「再分配前所得/再分配後所得」とすると、よりわかりやすくなるかも知れない。
これをみると、十八カ国中、日本は唯一、再分配後所得の貧困率のほうが、再分配前所得の貧困率より高いことがわかる。つまり、社会保障制度や税制度によって、日本の子どもの貧困率は悪化しているのだ!


 もう10年以上前に書かれたものなのですが、日本は、新型コロナ以前から、「こういう国」なわけです。


 「GoToトラベル」については、現実として「富裕層優遇の政策」になっているのは間違いないでしょう。
 なぜ、「持てる者」が有利な、こんな政策をとったのか?という憤りは、すごくよくわかる。
 その一方で、「新型コロナ禍で、ギリギリの生活をしている人に、旅行のような「不要不急」のお金の使用を奨めるのは難しいので、まだ余裕がある人が、苦境に陥っている旅行業界にお金を落としてくれるようにする、というのは「不公平ではあるが、合理的」だと言えなくもない。
 旅行業界だって、誰もお金を使ってくれないよりはマシなわけで。

 これが正しいのか?と問われたら、うーむ、と考え込んでしまうのですけど。

 「なぜ高級ホテルや大手旅行代理店が優遇されていて、小規模の宿泊施設には冷淡なのか?」という点については、最近読んだ本のなかのこんな記述を思い出したのです。


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 この本のなかで、デービット・アトキンソンさんは、新型コロナに対する企業支援策の対象が、生産性の低い小規模事業者に偏っていることを批判しているのです。

デービット・アトキンソン「中小企業が宝」という日本特有の価値観からいますぐにでも脱却すべきです。日本には小規模事業者が約305万社もありますが、その平均社員数は3.4人にすぎません。企業の規模が小さいほど生産性は低くなり、イノベーションが生まれず、所得水準は低く、女性が活躍しにくい。昨今導入が推進されているテレワークも、規模の大きな企業ほど導入比率が高く、小さな企業ほど進んでいない。
 日本が世界5位の国際競争力をもつ(世界経済フォーラム、2018年)にもかかわらず、生産性で28位に甘んじているのは、小規模事業者が多すぎるからにほかなりません。大半の小規模事業者は「日本の宝」ではないです。要するに、中小企業は数ばかりを重視するものではなくて、中身をもっと見るべきです。
 私がこう指摘すると、「そうした小さな会社のなかにこそイノベーションを生み出す宝がある」という人もいるかもしれません。もちろん個々の事例でいえば、優秀な企業は存在するでしょう。それは否定しません。しかし全体の付加価値から判断すると、そうした小規模事業者はほんの一部で、ほとんど生産性を高められていない。例外を一般化してはいけません。
 さらに、スペインやイタリアのように、小さな企業の数が多い国ほど財政基盤が脆弱な傾向にあります。深刻な人口減少に直面する日本が本当に生まれ変わりたいのならば、小規模事業者に偏った産業構造そのものを見直さなければなりません。


 デービッド・アトキンソンさんは、新型コロナのずっと前から、日本の観光業は、もっと海外の富裕層向けにシフトしていくべきだ、と主張していた人ではあるのです。

 個々の小規模事業者にとっては「たまったものじゃない」意見だと思います。
 ネットでは、大企業の苦境よりも、小規模事業者の生々しい声のほうが目につきやすいですし。
 ただ、大局的に考えると、こういう発想を「残酷」だと切り捨てることが、日本の停滞を長引かせているような気もするのです。


 僕は「富裕者がさらに富裕になると、経済活動が活発化することで低所得の貧困者にも富が浸透し、利益が再分配される」という「トリクルダウン理論」は眉唾ものだと思うけれど(実際に「大富豪からの多少の『施し』はあるとしても、「利益が再分配されている」感じはしませんし)、一つの国の単位での「経済成長」というのを考えると、生産性の高い大企業を優遇し、小規模事業者を切り捨てていくほうが、数字的には「成長」するのではないかと思います。

 「中小企業を大事にする」というのは、目先の失業や困窮を回避するメリットはあるかもしれないけれど、長い目でみれば、生産性の向上を妨げ、給料も上がらず、女性は働きにくい職場が多く、残業が多くてテレワークもできない職場を温存している、ともいえるのかもしれません。
 もちろん、中小企業がすべてそういう存在なわけではなく、例外もたくさんある。
 とはいえ、「なんとなく現状維持」みたいな政策が、日本の長年の経済的な停滞の要因になっているのは間違いありません。

 安倍首相の辞任会見で、ほとんどの記者が同じようなつまらない、どうせ安倍さんは答えられないであろう質問しかしないなかで(「後継者と目されている人たちへの安倍さんの評価」なんて、あの場で聞かれても答えられないですよね、それは)、江川紹子さんが「日本のIT化が遅れており、役所などでの手続きの煩雑さが改善されていない」ことを指摘されていました。「変わらない」のは、ある意味「役場の人たちの仕事を守っている」という面もあるのです。みんな「もっと便利な方法がある」ことはわかっていても、「雇用」のことを考えると、なかなか改革できない。そもそも、大部分の日本人は、そういう不便さを、「まあ、この仕事をしている人の生活もあるしなあ」と、なんとなく受け入れてきた。

 新型コロナ禍で、テレワークもオンライン授業も「やればできる」ことがわかってしまった後、みんなは「元のやり方に戻る」ことができるのだろうか。それを望むのだろうか。
 紙に書いてあることを読み上げるだけの会議、出したくもない人たちが出す芸を、見たくもない人たちが見るだけの職場の宴会は、復活するのか。

 「生産性」や「効率化」を突き詰め、アメリカや韓国のように、「一部の超勝ち組」が総取りしてしまうような社会が良いのか?」と問われれば、僕は「そこまでして、国全体の経済成長が必要なの?」と答えたくなるのですが。

 国の本音としては、この新型コロナ禍を契機に、もともと「お荷物」だった中小企業には潰れてもらって、日本の産業構造を変えてしまいたいのではないだろうか。
(僕の勝手な想像なので、政府の誰かが実際にそう言ったわけではないですよ、念のため)

 すごく残酷な発想のように聴こえるけれど、労働者にとって、一時の痛みは大きいとしても、長い目でみれば「大きな企業で働ける人が多くなる」ことは、プラスになる可能性も高いのです。

 まあでも正直なところ、アカデミー作品賞を獲った『パラサイト』で描かれた韓国みたいな社会になって(日本も、あんなふうになりかけてはいるんですが)、「ふつうの人々」が仕事も生きがいも失ってしまう一方で、国全体としては経済成長していく、というのが本当に良いことなのかどうか、ですよね。


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 現実問題として、日本が「勇気ある停滞」を選んだとしても、世界のなかで生き残っていけるのか。
鎖国」ができる時代でもないですし。


 僕自身は、「GoToトラベル」を利用する機会はなさそうなのですが、経済的な合理性というか、どう行動するのが、ベンサムが言うところの「最大多数の最大幸福」なのか、というのは、本当に難しい。
 これだけ長い間、多くの人たちが「経済」について考えてきたのに、いまだに「答えを導く方程式」は生まれていないのです。
 個々でいえば、お金がある人は、使える範囲で使って、経済を回してほしいし、無い人はとにかく生き延びることを最優先に、なのだけれど。


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