いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「テレビゲームの映画化」は、なぜ、こんなに難しいのか?


anond.hatelabo.jp


ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観て、僕は腹立たしい気分になったのです。
 監督や脚本家の自己主張や功名心のために、『ドラゴンクエスト5』の初映像化という大きな節目を台無しにしやがって!っていう。
 そもそも、山崎貴監督は、原作のゲームをやったことがないそうですし(少しくらい触ったのかもしれないけれど、少なくとも思い入れはなさそうです)。


(『ユア・ストーリー』の感想(ネタバレしまくっていますのでご注意ください))
fujipon.hatenadiary.com


 この作品の公開と同時期の山崎貴さんのインタビューをみると、山崎さんは、もともと「テレビゲームの映画化は難しい」という印象は持っていたそうなのです。


mantan-web.jp

山崎貴総監督は、「国民的ゲームであり、ユーザーの多いビッグヒット作。ゲームの代表の一つで、誰でも知っている大きな存在」と「ドラクエ」に対する印象を語る。3DCGで劇場版アニメ化する話を聞いたとき、はじめは「ゲームと映画は相性が良くない」と即答で断ったという。「ゲームは体感時間が長くてインタラクティブだけど、映画は一方通行だし尺が限られている。ゲームの映画化でうまくいった試しがないでしょう、と言いました」と打ち明ける。

だが、劇場版アニメの成否をも左右するような、ラストシーンのあるアイデアを「思いついてしまった」と山崎総監督。そこで初めて「映画にする意味」も見えたといい、「同時に、キャラクターの開発を始めました。で、作るならどういう世界観かと試しているうちに、だんだん情が湧いてきてしまい(笑い)、『これならやれるかもしれない、いや、やりたい』となった」と経緯を語る。


 ああ、そのラストシーンのアイデアを思いつかなければ、こんな悲劇は起こらなかったのに……
 というか、あのオチって、すでに手垢がつきまくっているような気がするんですけどね……
 人間は「自分が思いついた!と信じているもの」には評価が甘くなりやすいんだよな……


www.cinematoday.jp


 これを読むと、堀井雄二さんもあのストーリを知っていて、というか、山崎貴さんと議論を重ねてゴーサインを出したみたいなので、正直、がっかりもしているのです。
 堀井さんも「あれで良い」という考えだったのか。


 『ユア・ストーリー』の話がちょっと長くなってしまったのですが、僕は『ユア・ストーリー』を観て、そして、冒頭のエントリを読んで、しばらく考えていたのです。

「テレビゲームが原作の映画化は難しい、って言うけどさ、けっこう映画化化もされているし、そんなこともないのでは?」って。


 そして、自分がこれまで観てきた「テレビゲームが原作の映画」のことを思い出し、Wikipediaレベルですが、テレビゲーム原作の映画を調べてみたのです。


ja.wikipedia.org
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 僕の観測範囲が狭かったり、見落としたりしているだけで、「テレビゲーム原作」の大ヒット映画や良質の作品はけっこうたくさんあるはず!


 だったのですが……


 僕なりの結論を言うと、「テレビゲームの映画化」で大成功といえるのは『ポケットモンスター』シリーズと『妖怪ウォッチ』のみ!
 しかも、この2シリーズは、映画になる前にアニメ化されたものです。
 実写では、興行成績および作品としての評価を総合して、合格ラインを越えている、と思うのは『バイオハザード』シリーズくらいかと。

 正直、「ゲーム原作の映画化作品」はもっとたくさんあると思っていましたし、大ヒット作も多いと考えていたのですが、いまのところ「テレビゲームの映画化は、あまりうまくいっていない」のです。とくに実写においては。ここまで「歴史に残るような作品」は出ていない。『名探偵ピカチュウ』はポケモン好きの評価は高いみたいですけど。


 映画のなかで「テレビゲームの世界」を描くのは『レディ・プレイヤー1』とか、『ピクセル』『シュガーラッシュ』など、けっこうあるんですけどね。
 映画のゲーム化、というのも、けっこうヒット作を生んでいます(打率的には厳しい感じもしますが)。最近では、プレイステーション4の『スパイダーマン』はゲームとしても高評価でした。
 

 小説や漫画、アニメが大ヒット映画の原作として活躍しているのに比べると、テレビゲームは映画化と相性が悪い、というのは事実のように感じます。

 ゲームのプレイ時間に比べると、2時間くらいが標準の映画の上映時間は短い。そして、映画を観るという行為に比べて、テレビゲームをプレイするというのは、能動的というか、プレイヤー自身も物語に参加している気持ちが強い。
 クリアするまでに何十時間もかけていることが多いので、せっかくだから良い気分で終わりたい、あんまり不快・不穏なエンディングは見たくない、という人が多いのだと思われます。

 テレビゲーム(というか、30年以上前のパソコンゲームに『アスピック』というのがあったんですよ。
 昔懐かしい3Dダンジョン探索型のRPG(ロールプレイングゲーム)なのですが、このゲームのエンディングは、すごく印象に残りました。



[PC-6001mk2]aspic(アスピック)のエンディング

dic.nicovideo.jp


 ちなみにこのゲームのエンディングは、これ一つです。マルチエンディングのなかのひとつ、ではないんです。
 今でもこのエンディングでネタにされるということは、ある意味、「成功」なのかもしれませんが……

 映画の場合、2時間くらい見ているだけ、というのが基本ですから、物語がバッドエンドでも、夢オチ(メタ視点オチ)でも、そこまで深刻なダメージは受けないはずです。むしろ、ハッピーエンドではないことの「意外性」とか「表現の幅」を評価したり、面白がったりする観客も多いでしょう。

 しかしながら、テレビゲームの場合には、エンディングに至るまでのコストが大きいので、「なんでここまでがんばってプレイしたのに、最後に俺がアスピックなんだよ……」と、脱力する、あるいは憤る人の割合が増えてしまう。

 だから、ストーリー性のあるテレビゲームの場合、もともとそういう世界観である、と提示されているものではければ、バッドエンド一択というのは評価されにくいのです。
 トゥルーエンドで報われることになっていれば、バッドエンドの一つとして、『シュタインズ・ゲート』の「失敗した失敗した失敗した」みたいなのはかなり有効なんでしょうけど。
 最近では『ファイナルファンタジー15』のラストとか、微妙だったよなあ……『ファイナルファンタジー10』は、なんとなく美しくまとまった感じはするのだけれど。


 けっこう脱線してしまいましたが、グラフィックもサウンドも進化した、「映画みたいなテレビゲーム」が増えてきた割には「テレビゲームの映画化」は相変わらずハードルが高いのです。
 テレビゲームとしてすぐれていればいるほど、プレイヤーの没入度が高かったり、時間をかけてキャラクターが成長していったり、「自分にしか解けないのではないか」と勘違いさせるようなバランスの謎解きをしていったりするような作品であればあるほど、映画にするのは難しくなってしまう。
 アクション作品で、キャラクターのビジュアルや世界観を寄せる、というのが、現状では「テレビゲームの映画化のコツ」になっているのですが、結局のところ、それだと映画として「歴史的傑作」になるのは難しそうです。

 製作側が「映画としてのオリジナリティとか、映画らしさを目指す」と、ゲームで遊んでいた人たちが求めていたものとは、どんどんかけ離れていってしまうように思われます。
 当たり前のことなんですが、ゲームと映画とは似て非なるもの、みたいです。
 YouTubeのプレイ動画などをみていると、テレビゲームというのも、観ているだけでけっこう楽しいな、というか、もう自分でプレイするのもめんどくさいな、なんて感じることもあるんですけどね。


 正直、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は、ラストのあの「仕掛け」がなければ、「絵のクオリティやキャラクターの魅力、王道のストーリー」だけで、「けっこう成功したテレビゲームの映画化作品」のひとつになったのではないかと思うのです。
 なんだか、とても勿体ない。でも、そういう「ベタなものやありきたりのものは作りたくない」という製作者の野心が、映画というものを進化させてきたし、テレビゲームと差別化してきた、とも言えるのかもしれません。
 これから「ナチュラル・ボーン・テレビゲーマー」世代が映画をつくるようになっていけば、僕の偏見や先入観を打ち砕いてくれるのではないか、と楽しみにもしているのですが。


fujipon.hatenablog.com
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