イチロー選手、往生際が悪いなあ……
正直、僕はそう思っていました。
年齢的にも、これからパフォーマンスが劇的に改善していくことはないだろうし、チームには、出番を求めている、イチローよりも若くて結果を残している選手がいる。にもかかわらず、「人寄せパンダ」のように、特別枠で日本での開幕戦にベンチ入りし、9番ライトでスタメン出場するイチロー。
こういうのって、僕がイメージするイチローなら、もっとも嫌いそうな起用法のはず。
案の定、巨人との親善試合でも、アスレチックスとの開幕戦でも、ヒットは1本も出ませんでした。
昨日の交代時のスタンディングオベーションと、チームメイトとの抱擁。もう、これで十分じゃないか。
……とか言いつつも、僕は、自分とほとんど同じくらいの年齢の、このスーパースターの終わりを「見届けたい」という衝動に駆られて、テレビを観ていたのです。
イチローは、最後の試合でも、ヒットを打つことはできませんでした。
全盛期には、バットをひょいっと振ると、ボールが野手の間に測ったように飛んでいっていた、あのイチローが、なんとか「あと1本」のヒットを打とうとしていて、それを超満員の観衆が祈っていて。
でも、相手のピッチャーは、このレジェンドに対して、「打たせてあげようという態度」は見せずに、勝負していたのです。
公式戦だし、勝負がかかっているから。
だからこそ、イチローがヒットを打てなかったことには、むしろ、清々しさも感じたのです。
そうだよね、そんなに簡単なものじゃないんだ、イチローでさえも。
だから、野球は面白いし、プロの真剣勝負は人をひきつける。
イチローがドラフト4位でオリックスに指名されたのが1991年。同じ年のカープのドラフトでは、1位が町田公二郎選手、4位で金本知憲選手が指名されています。金本さんは大卒だったので、年齢はイチローより上ですが、あれほど長くやっていたイメージがある金本さんが引退して阪神の監督になり、その座からも退くまで、イチローはずっと「選手」だったのです。
1995年、阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸で、「がんばろうKOBE」を背負って戦い、日本球界の記録を次々と塗り替えて、メジャーリーグに移籍したイチロー。日本人の投手はともかく、野手の成功は難しい、パワーがない、と言われながらも、自分のスタイルを変えずにヒットを量産し、アメリカでも大フィーバーを起こしました。
アメリカで、選手生活トータルで本当に素晴らしい成績を残した日本人野手というのは、今でも、イチローだけとも言えるでしょう。
その一方で、記録はすごいけれど、イチローといえばあの場面、というと、WBC決勝で試合を決めたヒットを思い浮かべる人が多いように、メジャーの舞台では、名場面にはあまり恵まれなかったような気もします。
僕自身は、イチロー選手というのは、ストイックな姿勢だとか、マイペースで歯に衣着せぬメディアとの接し方、自身の「ルーチン」へのこだわりなど、自分とは遠い世界の人間のようにずっと感じていたのです。
イチローが「現役」であることにこだわり続けていたのは、「野球にしか興味がないから」ではないのか、と僕は思っていました。
あれほどの選手でも、自分の衰えや限界がわからないのだろうか、とも。
いま思うと、イチローは、人間の、野球選手の「限界」や「衰え」というものがどのようにあらわれてくるのかを、自らを実験台にして確かめていたような節もあります。引退会見でも仰っていたように、プロ野球選手になれなかったら、草野球を極めることを目指していたのではなかろうか。ひとりで続けられるものならば、死ぬまで、バットを振っていたような気もします。
僕はずっと、イチローは日本のプロ野球はレベルが低いと思っていて、そこでプレーするくらいなら、メジャーで選手生活を終えるという選択をするのだろうな、と感じていました。
その一方で、WBCで「日本代表」としてチームを牽引していったのも事実で、イチローのなかでの「日本」と「アメリカ」は、どうなっているんだろう、と思っていたのです。
「メジャーリーグの現役選手である」という状態から解放された引退会見で、イチローは、驚くくらい饒舌に、いろんなことを語ってくれました。
――イチロー選手がいない野球をどう楽しんだらいいか?
「2001年に僕がアメリカに来てから、この2019年の現在の野球は全く別の違う野球になりました。まぁ、頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような……。選手も現場にいる人たちはみんな感じていることだと思うんですけど、これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年。しばらくはこの流れは止まらないと思うんですけど。本来は野球というのは……ダメだ、これ言うとなんか問題になりそうだな。問題になりそうだな。頭を使わなきゃできない競技なんですよ、本来は。でもそうじゃなくなってきているのがどうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから。その野球がそうなってきているということに危機感を持っている人って結構いると思うんですよね。だから、日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんてまったくなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいなと思います。アメリカのこの流れは止まらないので、せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしいなと思います」
――日米で活躍する選手は甲子園で活躍、プロで活躍、そしてメジャーに挑戦という流れがある。もっとこんな制度ならメジャーに挑戦しやすかったとか、こういうことあればいいなという提言は?
「制度に関しては僕は詳しくないんですけども、でも日本で基礎を作る、自分が将来、MLBでプレーする……。MLBで活躍する礎を作るという考え方であれば、できるだけ早くというのは分かりますけど、日本の野球で鍛えられることってたくさんあるんですよね。だから制度だけに目を向けるのはフェアではないと思いますけどね」
僕はイチロー選手は「アメリカナイズ」された人だと思い込んでいたのですが、この会見での言葉を読むと、イチローは「日本で経験を積んだ野球選手」であることに誇りを持っていて、「アメリカで日本の野球が通用することを証明してみせた」のではないか、と思えてくるのです。
もちろん、プレーしていくなかで、メジャーのピッチャーに対応するためのモデルチェンジをしたり、連携に苦しんだりもしたけれど、イチローが目指したのは、ずっと「考える野球」「パワーよりも、技術や駆け引きを楽しむ野球」だったのかもしれません。
イチローは、アメリカでもずっと「日本の野球」をやっていた。
メジャーリーグに移籍した時点では、そこまで「日本」を背負ってはいなかったのではないかと思うのです。
でも、アメリカでプレーしていくうちに、自分のプレースタイルが「日本的」であることを認識せざるをえなかった。
ずっとメジャーリーグでプレーしていたのだから、引退試合もシアトルでやればいいのに、って僕はちょっと思っていたんですよ。
でも、「日本での試合を最後に引退すること」には、意味があった。いや、結果的に、意味が生まれたのではなかろうか。
――前のマリナーズ時代、何度か「自分は孤独を感じながらプレーしている」と話していた。ヤンキース、マーリンズとプレーする役割が変わってきて、去年ああいう状態があって今年引退。その孤独感はずっと感じてプレーしていたのか。それとも前の孤独感とは違うものがあったのか。
「現在それ(孤独感)全くないです。今日の段階で、それは全くないです。それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て……外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは……外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。だから、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気なときにそれに立ち向かっていく、そのことはすごく人として重要なことなのではないかなと感じています」
僕はこのイチローの会見をみて、文章で読んで、「世界のスーパースター」であり、孤高の天才だと思っていた人からは、世界がこんなふうに見えていたんだ、と、不思議な気分になったのです。
イチローもまた、ひとりの人間であり、自分が過剰に期待されることへのプレッシャーや「外国人」になることのつらさを感じ続けてきたのです。
たぶん、その嵐のなかにいるときは、あのイチローでさえ、多くの人が応援しているスーパースターでさえ、平静ではいられないときもあったのでしょう。
でも、イチローは、それを今、振り返って、「それもまた、自分にとっては大きな体験であり、将来の支えになるはず」と話しているのです。
ああ、イチローはプロ野球選手であることを辞めた悲しみにひたっているだけではなくて、自分の「痛み」を支えに、また前に踏み出そうとしているのだな、と、僕はなんだか嬉しくなったのです。
人間には、いろんな痛みや悲しみや孤独感があるし、それは、そう簡単に無くしたり拭ったりできるようなものではない。
それでも、そんな経験でさえも、人は「支え」にできる。
イチロー選手、長い選手生活、本当におつかれさまでした。
そして、これからの活躍も、楽しみにしております。
これからも、朝はずっとカレーを食べ続けるのかが、気になります。
僕はあなたのようにはなれなかったけれど、自分が持っている「負」のカードも、使い方しだいではプラスにできるかもしれない、という希望をもらった、と勝手に思っています。
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