北海道の置き去り事件のニュースをみて、ずっとモヤモヤしつづけているのは、「ひどい親」に対して腹が立っているから、というのではなくて、もしかしたら、ああやってカメラの前に立っているのは自分ではないか、と想像せずにはいられないからです。
言う事を聞かない子どもに対して、「しつけ」と称して、置き去りにしたり、家から放り出したり、というのは、そんなに珍しい話ではないと思います。
もちろん、「あんなところ」では危ないし(5分で戻ってきたというのも、その危なさを感じていたからだろうとは思う)、置き去りの有無よりも程度のほうが重要ではないか、という意見もあるだろうけど。
僕は正直、「自分がああいう環境に住んでいて、カッとなってしまったら、ああいうことをやってしまうのではないか」と想像せずにはいられないのです。
あれは、「しつけ」なんかじゃないし、そんなことは親だってわかっているはず。
言う事を聞かない相手に「仕返し」をしているに過ぎません。
そういうことをやってしまうのもまた人間だし、親もまた人間なのです。
そこまで考えて、「でも、人間だから、置き去りにもするさ」とあいだみつを調にそれを認めてしまうのは、虐待の許容ではないか、とも思う。
ダメなものは、やっぱり、ダメなんだ。
いくら、「カッとしてしまった」のだとしても。
とにかく、この男の子が早く見つかってほしいと願っています。
無事に見つかれば、いつか、「あんな酷い場所に置き去りにされて……あのときは本当に怖かったよ!」「ごめんごめん、父さん、ついカッとしちゃってなあ……」なんていう、家族のほろ苦い歴史の一ページとして語られるだけだろうから。
自分は運がよかっただけなのかもしれないな、と噛みしめている親も、日本中にいるのではなかろうか。
冒頭のエントリを読んで、僕はこの「抱き上げ男」に心底ムカついたのです。
子どもというのは、宿題しようよ、と言うとぼーっとしたり、急に本を読み始めたりし、朝、遅刻しそうな中、保育所に連れていこうとすると、家を出る直前に「トイレ!うんちしたくなった!」と言い出す生き物です。
いやまさか、自分の子どもが生まれるまでは、こんなに神経を逆撫でするようなことを繰り返す生き物だとは思わなかったよ。もちろん、かわいいときはかわいいのだけれども。
さんざん手練手管を尽くした末に、疲れ果てて、「置き去りにするフリ作戦」を発動した際に、通りすがりの男にこんなことをされては、親として、あまりにもつらすぎる。
子どもは「見捨てられていたのか」と不信感をつのらせるだろうし。
ほんと、こういうのはやめてほしい、と思うのだけど……
なんだか引っかかったのは、この「抱き上げ男」は、なぜ、こういうことをするのだろう?と考えてみたから、なのです。
人がやることの多くには、それなりの「理由」があるから。
とくに、こういう「一風変わった行動」については。
この人は「親に見捨てられた体験」があって、それをずっと抱えていたとしたら。
この人にとっては「置き去り」というのが「逆鱗」で、子どものときの自分のことを思い出してしまい、同じことをやっている親に思い知らせなければならない、という衝動に駆られてしまうのかな、なんて、僕は勝手に想像してしまうんですよね。
実際のところは単なる「ええかっこしい」なのかもしれないけれど、人の「内心」とか「事情」って、わからないからさ。
あまり考えたくはないことだけれど、自分が親になってみると、自分が子ども時代にやられて厭だったことを、子どもにやってしまいたくなる自分みたいなものに、愕然とするところもあるのです。
「子どもには、自分がなりたい人間になってほしい」
それが僕の願いなのだけれど、実際に親になって思うのは、「人間というのは、締めつけすぎたら、自分がなりたいものになれないけれど、放置しすぎても、なりたいものを見つける能力を身に付けられない」ということなんですよね。
まだ小学生の「なりたいもの」なんて、傍からみても「うーむ」という感じで、「画家になりたい!」と言いながら、絵を描いているところなんてほとんど観たこともない、という現状に対して、これからどうなっていくのだろうなあ、なんて考えてもみるのです。
脱線しすぎた。
上記のエントリに対しては「親子の問題に他者が介入すべきではない」という意見も多くて、それは「親を追い詰めない」ためにも大事なことだと思うのです。
介入するのであれば、専門家に任せるべきだろう、と。
ただ、なんかスッキリしないなあ、と考えていたら、ずっと前に書いた、この話を思い出したんですよね。
d.hatena.ne.jp
この中で紹介した、このエントリ。もう8年以上前なのに、ちゃんと残っていてくれて本当にありがたい。
d.hatena.ne.jp
「他人の家庭のことには、介入しないほうがいい」というのは、処世術としては正しいと思うんですよ。僕だって、基本的にはそうします。
ただ、「しつけは親の責任だから、他者は口出しするな」みたいな考えを突き詰めていくと、ときに、子どもだけではなくて、親のほうも精神的に煮詰まってしまい、感情や行動にブレーキが効かなくなる、ということもあるんですよね。
自分でも「これは悪い方向に向かっているんじゃないか」と思いつつも、止まらなくなってしまうことはある。
そこに、こんなふうに「小さな風穴」をあけてくれる人がいれば、親もクールダウンするきっかけができて、助かることって、あるんじゃないかな。
あの「抱き上げ男」も、イヤミったらしいけれど、親にとっては「風穴」になっているのかもしれません。
「アンタがついてこないから、こんなことに……恥までかかせて!」みたいに、さらに状況を悪化させることもありそうですけど。
今度は「抱き上げ男」を極悪人にして叩きまくるのも、ちょっと違うんじゃないかな。
「置き去り」は、「しつけ」としては基本的に上策とは言えない戦略なのだし、この機会に、選択肢から思い切って外してしまたほうが良いのかもしれません。
ただ、これも程度問題で、「もう先に行っちゃうよ」って、ちょっとその場を離れる、くらいなら、「許容範囲」なのかなあ。
さて、「抱き上げおせっかい野郎」はアウトで、id:zoot32さんはセーフなのか、あるいは、その逆なのか。
それとも、両方ともセーフ、もしくはアウトなのか。
これについて考えるときには、id:zoot32さんはブログ経由で「人柄を知っている(ような気がする)」ことも加味すべきでしょう。
ひとつ言い添えておきたいのは、こういう「行為」そのものと、それをブログやSNSで拡散することには、また違った意味合いもある、ということです。
「抱き上げ男」も、日常生活でこういうことをしているだけで、Twitterに「いいことをしています!」と書かなければ「ちょっとおせっかいなおじさん」で済む話なのかもしれません。
他者の親子関係というのは、素人は手を出さないほうが安全な問題なのだろう、と思いつつも、お互いの不備を責めるだけでは、育児中の親の孤立が深まるだけではないか、という気がするんですよね。
そして、「絶対にこうしなければならない」とか「これは親失格!」みたいな思い込みからは、なるべく離れたほうが良さそうです。
僕も毎日、毎回、カッとしたり、イライラしたりしてしまう自分と戦い続けているのです。
本当に、偉そうなことは何も言えない。
こんなはずじゃなかったのに、と思うことばかりです。
客観的にみれば「100%親の思い通りに動く子ども」なんて、「気持ち悪い」としか言いようがないんですけどね。
自分の子どもだと、なぜこんなに寛容になれないのだろう……
- 作者: 伊藤聡
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