いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ネットの「引きずりおろそうとする力」について

note.mu


このひとりの女性の決断に対して、「はてなブックマーク」でのコメントが容赦なさすぎる、ということで、友達が苦言を呈し、それがまた炎上し……という流れになっているようです。


ちなみに、最初のエントリに対するブックマークコメントというのは、こんな感じ。
b.hatena.ne.jp



で、苦言を呈している、彼女の友人のブログがこちら。
aitabata.hatenablog.com

そのブックマークコメント。
b.hatena.ne.jp


僕がこの最初の女性の『note』を読んで思ったのは、「まあ、好きにやればいいじゃん、まだ若いんだし」ということでした。
そもそも、こんなに叩かれるような話かね。
僕が「メジャーリーガーになるために、仕事をやめて野球をやる!」とか突然言ったら「オッサン、自分の年と現実を考えろよ!」とバッシングされても当然、ではあると思いますが、この人は、これまで競技エアロビクスの大会で実績も残しているし、このくらいの「夢」を語る資格は十分持っているんじゃないかな。
「夢ばかり語って、具体性がない」って言うコメントも多いし、それは確かにそうかもしれないけれど、ブログにいきなり事業計画書が出てきたら、そのほうが驚くよ。
「新卒で就職しない」という時点で、ひとつの「大きな決断」です。
世の中は「する決断」ばかりがクローズアップされるけれど「しない決断」だって、けっこう大事。
これからどうするか、が問題であって、この時点で「お前はどうせダメだ」みたいなことを言う大人たちの「おとなげなさ」には、見ていて悲しくなります。


僕自身は、賞罰なし、流れに乗って資格をとって、そのまま流されて40過ぎまで生きてきた人間なので、こうして夢を語る人には、羨ましさと「そんなにうまくいくものなのか?」と言いたくなる気持ちが半々くらい、というのが正直なところです。
でも、だからといって、わざわざブックマークコメントという本人が目にするかもしれないところに「呪い」を吐こうとは思わない。


僕は人生において「冒険」とは程遠い人間なのですが、だからこそ、「冒険する人」への憧れって、あるんですよね。だから、贔屓目にみているところはあるのかもしれない。
ただ、いろんな人の伝記や自叙伝を読んできて感じるのは、成功する人というのは、「自分の選択の結果を自分で責任をもって受け入れる覚悟がある」ことと、「失敗することを過剰に恐れず、とにかく行動してみて、失敗から学んで次に活かす」という特性を持っているのではないか、ということです。
シンプルに言うと、これだけ、なんですよ本当に。


松下幸之助スティーブ・ジョブズ、その他の多くの成功者たちの共通点って、何だかわかりますか?


それは、「大きな失敗をしたり、危機に陥った経験がある」ということです。
そして、「失敗しても、歩みを止めなかった」こと。
もちろん、世の中ってそんなに甘いものじゃなくて、ジョブズだってもうちょっと寿命が短かったらアップルに返り咲くことはできなかったかもしれないし、長かったら、iPhoneの凋落に直面していたかもしれません。
そういう「運」の領域って、あるんだけどさ。
挑戦ばっかりして、成功できずに一生を終えた人だっている。
それでも、そういう人の人生って、結局のところ、外部から強制して「こっちが安定しているから」とレールに沿って歩ませようとしても、そこにおさまるものじゃないと思うんですよ。


友人がつきあっている異性が、自分からみるといかにも危うい、という場合、「あの人はちょっと……」くらいのことは言いますよね。
それで、もしその進言を受け入れて、友人が「安全な男」と結婚したら、たぶん、その友人は、あとでこう言うでしょう。
「ああ、やっぱり、あのとき自分の意志を貫いておけばよかった!」って。
どんなにその「妥協した結婚生活」が、うまくいったとしても。


僕は自分が「挑戦できなかった人間」なので、「挑戦しないあなたはダメだ」と言われると悲しいし、腹も立ちます。
でも、だからといって、「挑戦しようとする人」の足を引っ張ろうとも思わない。
これは僕の人生だし、それはあなたの人生だから。
お互いに、あんまり他人に迷惑をかけない範囲で、やるべきことをやればいい、それだけのことです。


冒頭の女性は「結果に対して、自分で責任はとる」と明言していて、その覚悟があるのなら、やってみればいい。
ネットでは「他人を引きずりおろすのが好きな人」が目立ちやすい。
あれを読んで、「ああ、頑張れよ」くらいの人は、わざわざブックマークコメントなんて書きません。


もちろん、うまくいかないかもしれないよ。
僕はそれに対して、責任を取るつもりはサラサラないし、彼女だって、そんなことは望んでいないはず。
どうも、ネットでのコメントって、他者の揚げ足をとったり、失敗を期待するようなものが、持て囃されがちに思われます。


22歳だったら、よっぽどすごい借金でもしないかぎり、やってみて失敗しても、それは貴重な経験だし、財産になるから。
それを活かすための時間は十分にあるし、さっきも書いたけれど、失敗したことのない大きな成功なんて、まずありえないから。


「日本のロケットの父」と呼ばれる、糸川英夫さんに、こんなエピソードがあります。

 糸川さんは、うまくいかなかった事は「失敗」じゃなくて、「成果」なんだと常に言っていた。


 無理に応援する必要はないと思うんですよ。
 でも、わざわざ引きずりおろそうとしなくても、いいんじゃない?
 そこで、「黙って見守る」という対応は、できないのだろうか。


 僕だって、ついつい余計なことを書いて嫌われてしまうことが、よくあります(この文章も、おそらくその歴史のひとつとなるでしょう)。
 明らかに「無謀」であれば、ひとこと言っておきたくなる気持ちも、わからなくはない。
 しかしながら、「エアロビクスでこれまで実績をあげていて、そのジャンルに自分で挑戦することを決めて、責任は自分で取る」と言っている人に、「おまえなんかどうせダメだ」と呪いをかけるのは、あまりにも情けない。
 僕やあなたがダメだったからといって、彼女もダメとは、限らない。
 人生一度きりだから、安全策をとって無難に長生きしたほうがいい、という人もいれば、一度きりなら、何かを成し遂げるためには、野垂れ死にするリスクも厭わない、という人もいる。
 どっちが正しいとかいうのではなくて、スタンスが違うだけです。


 正直、彼女の友達のブログに関しては「気持ちはすごくよくわかるが、いろんな面倒事を考えると、本人に直接LINEかなんかで、『あの否定的なコメントを書いている人たちは、どうせあなたのエアロビクスのお客さんにはならないのだから、気にしないほうがいいよ」くらいを伝えるにとどめておいたほうがよかったんじゃないか、とは感じたんですけどね。
 あのコメントを書いている人たちは(僕もですが)「関係がない」からこそ好きなことを言っているだけであって、自分自身が抱えている人生への不満を、キラキラしているように見える若者にぶつけているだけなんですよ。
 でも、考えようによっては、彼らによるバッシングでブックマークがついて、より多くの人の目に触れれば、結果的に応援してくれる人が増える、というのもネットの摂理ではあります。
「応援もネガコメも1ブックマーク!」
 イヤになったときには、この呪文を唱えましょう。


azanaerunawano5to4.hatenablog.com

enter101.hatenablog.com


たしかに、世間にはいろんな「反応」があるし、新しいことをはじめよう、という人に対して、負の感情を抱きがち、という人も少なくないようです。
「実生活ではなかなか表に出せない負の感情を、ネットで振りまいてストレス解消」みたいな人もよく見かけます。


だいたいさ、他人に対して、「世の中は厳しいんだ、悪口言う人がいて当たり前なんだ」って言いながら、自分も悪口を言う大人って、自分のみっともない行為を正当化しているだけじゃないかね。
「ネットに書いたことが批判にさらされるのは当たり前」であるのなら、そのおとなげないブックマークコメントも、みんなの目にさらされていることを自覚すべきです。


太宰治人間失格』より。

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」


 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、


「世間というのは、君じゃないか」


 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。


(それは世間が、ゆるさない)


(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)


(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)


(世間じゃない。あなたでしょう?)


(いまに世間から葬られる)


(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)


 汝は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣、古狸性、妖婆性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、


「冷汗、冷汗」


 と言って笑っただけでした。


 けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。


「世間」を振りかざして、「自分」を正当化しようとする人は、太宰の時代も今も少なくないようです。

 ほんと、こういう人たちって、必ず「世間は厳しい」「世の中そんなに甘くない」って言いますけど、「俺が気に食わない」だけなんですよ。
「俺はお前みたいな学歴や経歴をひけらかして、自分を大きく見せようとするヤツが嫌いだ」ってコメントに書くんだったら、僕はその怨念を受け入れざるをえないけど。


 僕は自分の経験上、「これを言う人のアドバイスは、信用してはいけない」というNGワードを設定しています。
 それは「あなたのためを思って言っているんだ」。
 本当にこちらのことを思って助言してくれる人って、そんな断りをつけなくても「伝わる」ことを知っているし、それは、こちらにも伝わります。

 
 この冒頭の人は、十分な「手札」を持っていると思う。
 あとは、その使い方次第です。
 

「学歴」云々に関しては、『東大卒プロゲーマー』という新書のなかで、「ときど」さんが、こんなことを書いています。
「ときど」さんがプロゲーマーになるか、公務員になるか、お父さんに相談したとき、こんなアドバイスをもらったそうです。

「わかっていないかもしれないけど、この業界が、おまえの考えるとおりに発展していったとしたら、『東大卒』の肩書きもきっと、そこで役立てられるはずだよ」

ああ、そういう考え方もあるのだなあ、と感心してしまいました。
「早稲田を出たのに……」と思われるようなキャリアは、将来、他者との差別化に役立つ可能性もある。


ネットであなたを「批判」した人たちが後悔するくらい、頑張ってください。
ネットの「引きずりおろそうとする力」に負けないで。
失敗することを、恐れないで。
そして、いつか結果を見せてください。


ちなみに、このエントリも、どこの馬の骨かわからないオッサンが書いているものなので、あんまり気にしなくていいですよ。



d.hatena.ne.jp



東大卒プロゲーマー (PHP新書)

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