いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「『はてなブログ』が気持ち悪いからやめる」という人へ

zeromoon0.hatenablog.jp


まあ、ブログなんて、やめてみたらいいんですよ。
僕だって、「死んでみたかったら、一度死んでみればいい」とか、「離婚したかったら、してみればいい」なんてことは口が裂けても言わないし、言うべきではないと思うけれど、ブログの閉鎖なんていうのは「やめたあと後悔しても、取り返しがつく衝動」だし、僕自身も何度か閉鎖や休止をしてきましたしね。
「自分の葬式を見てみたい」って言うじゃないですか。ブログの閉鎖って、ある意味、それを小さく実現できるようなものではある。
でも、実際に閉鎖してみると、世界って、がっかりするほど無反応だし、誰も惜しんではくれない。
ブログは星の数ほどあって、好きなブログがなくなったら、「残念だなー」と思いつつ、他のブログを見るか、他のことをするだけです。
あんまり過剰に惜しまれたりすると、それはそれで怖い。
結局のところ、リングに立って老醜をさらしつづけたもの勝ち、というところはある。
どんなに嫌でも、いずれは人生そのものを閉鎖するときが来ますしね。


僕は、id:zeromoon0さんのブログはけっこう好きだったんですよ。
だって、お金のためとかPVとかのためじゃなくて、書きたいから書いている人だと思ったから。
率直に言うと、サードブロガーとかミニマリストとか、「僕たちが開拓した(つもりの)土地に後からやってきて、SEO対策だとか同期ブログとかで、ネットニュースの焼き直しみたいな記事を垂れ流しやがって」と苛立つこともなきにしもあらず、です。
こちとら昔から地道にここで商売やってんだ、それなのに、なんだよ、と。
ただ、最近は、まあ、それはそれでしょうがないな、と思っています。
というか、同じ『はてなブログ』にも、いろんな利用者がいる。
アメリカに民主党支持のリベラル派がいれば、キリスト教原理主義者がいるのと同じで。
彼らの考えは全然違うのだけれど、両方とも、アメリカ人だし、たぶん、アメリカそのものが危機に陥れば、団結して外敵と戦うでしょう。
はてなブロガー」は、はてなが危機に瀕しても協調して戦うことはないだろうけど、みんなそれなりに「はてな」に愛着は持っていると思う。


川上量生さんが『鈴木さんにも分かるネットの未来』という新書のなかで、こんなことを書いておられます。

 ネットの一般化によるネット住民の新旧対立という構図で見れば、ネットで発生しているさまざまな揉め事を理解しやすくなります。基本的には現実社会から独立したネット社会を守りたいネット原住民と、現実社会をそのままネット社会に持ち込みたい人たちの争いなのです。
 たとえばネットで匿名の書き込みを批判して、実名でしかネットで発信を許すべきではないと主張する人がいます。実名でしか意見を書き込めないネットにするべきか、匿名で意見を書き込めるネットを維持するべきかという何年も前からずっとある議論です。これは、どちらが正しいかどうかを議論することは無意味です。現実社会での人間関係や社会的立場をそのままネットに持ち込みたい人は実名制を支持しますし、現実社会で居場所がなくネット社会で生きるネット原住民は匿名制を支持します。立場によって意見が異なる、それだけの話なのです。現実社会がネットとさらに融合していく今後は、ますますネットを実名にすべきだという議論が強まるでしょう。一方、現実社会で居場所を見出せないネット住民ですが、そういう人たちの存在そのものは今後もなくなるわけがありません。だから、ネットが匿名であることを必要とする人たちもなくならないのです。今後も解決は非常に難しいことでしょう。


 僕はなんというか、基本的にはこの「原住民」派なんだろうと思うんですよ。
(ただし、「原住民」のなかでも、ちょっと浮いている)
 でも、時代の流れとしては、「新住民」が、どんどん増えてきている。
 川上さんが仰っているように「原住民」と「新住民」は、お互いの立場や利害が異なるので、意見が違うのは致し方ないことなのです。
 どちらが正しい、というわけではなくて、どちらも、それぞれの正しさを持っている。
 「ネットで稼ぎたい」「名前を売りたい」という人は、実名でどんどんアピールするのが「正しい」し、「ネットは現実からの逃避の場所」「自分自身の日常と結びつけられるとめんどう」という人にとっては、「実名なんて、とんでもない」。
 両者の間に、妥協点はつくれるかもしれませんが、これはもう、棲み分けるしかない。
 「原住民」の割合はどんどん低くなっていく一方で、デジタルネイティブ世代は、「ネットの中に、SNSなどで自分たちの仲間の『囲い』をつくる」という方向にむかってもいるわけです。


 なんかもう脱線しまくっているのですけど、このまま書きます。
 『はてなブログ』にそういうめんどくささがあるのは僕にもわかるし、離れたいと思うこともある。
 実際に離れてみたこともあります。
 ただ、現実問題として、いまの「はてなブログ」には、そういう煩わしさの代わりに、「多くの人に読んでもらいやすい場所」としての機能もある。
 ブックマークのネガティブコメントなんて、ほんと、イヤですよね。
 人格攻撃とかデマとか書く人もいるし。
 でも、「はてな」には「ブックマーク非表示」という素晴らしい機能があるし、「ブックマークアイコン」を取っ払ってしまえば、ブックマークしてくる人は、劇的に減ります。
 「ブックマーク非表示」にすると「他人の意見に耳を傾けないヤツ」なんてレッテルを張りたがる人がいますが、そんなの「俺にお前の悪口を言わせないとは何事か」という意味でしかありません。
 そもそも、ブックマークコメントをもっとも熱心に読んでいるのは、そのエントリを書いた人と、ブックマーカーたちです。
 「ふつう」のユーザーは、ブックマークコメントの存在そのものを知らない。
 僕自身、ブックマーク非表示実験をしたことがありますが、そうすると、だいたい1〜2割くらいアクセス数が減るようです(あくまで個人の感想です)。
 逆にいえば、非表示にしたって、そのくらいしか影響はないのです。
 個人的には「ブックマークは、ネガティブなものも含めて、たくさんつけば多くの人が読んでくれるきっかけになって、それで『読んで欲しい人』にも届くことがあるのではないか」と割り切っています。
 コメントの内容は、ほとんど読んでません。
 それに、嫌がらせをする人に対するもっとも有効な対応は「無視」ではないかと。
 嫌がらせをする人にとっては、相手が嫌がってくれるほど嬉しいのだろうから。


 やめる理由が、自分の中にあるのなら、それはしょうがないと思う。
 書くことに疲れたとか、時間がとれなくなったとか、いろいろバレてしまったとか。
 でも、「あいつらの仲間にされるのはイヤ」とか「嫌がらせをされたのが不快」であるのだとしたら、僕は、やめなくてもいいんじゃないかと思う。


 だって、考えてみてください。
 嫌がらせをされたという理由であなたがブログをやめたとして、喜ぶのは誰で、悲しむのは誰か。
 喜ぶのは「嫌いなものを排除することに成功した『嫌がらせをしてきた人』」で、悲しむのは「ずっとあなたと、その書くものを応援してくれた人」じゃないですか。
 嫌いなヤツらを喜ばせて、大事な人を悲しませる。
 そんなの、バカバカしくないですか?


 あなたが人気芸能人でもないかぎり、あなたが不快に感じたものに対して、誰かが代わりに「復讐」してくれることはありえないし、そんなことは、行われるべきでもない。
 そもそも、「馴れ合い」バッシングをしたくなる僕自身だって、ここではいちおう「古参」のひとりであり、「既得権者」でもある。
 まだ『ホームページビルダー』とかを使っていた時代に、なんとか6HOTを脱出したくて、人気ホームページの掲示板に、コメントを書くという名目で自分のURLを出していたことを思うと、「馴れ合い」をバカにできるものでもないな、とも思う。
 

 宇宙飛行士の古川聡さんが、『宇宙飛行士に学ぶ心の鍛え方』という著書のなかで、「ストレスに対応するため」の考え方のひとつとして、こんなことを書かれていました。

 しかし、成果が見えない中で続けるというストレスに耐えるのは、簡単なことではありません。宇宙飛行士の訓練ではストレスに耐えられるかどうかというよりも、仕事でそれを使うわけですから、そこは割り切ってやるしかありません。そうではない方は、どうすればよいか。


 単純に言えば、「割り切る」そして「できることをやる」の2点です。元プロ野球選手の松井秀喜さんは、「自分にコントロールできること、できないことに分けて考え、できないことに関心を持たない」そうです。私も「自分がコントロールできないことを心配しても仕方ない。自分にコントロールできること、自分にできることをやればいいんだ」と思います。


 結局のところ、「他の人の気に入らないエントリ」とか「他者の反応」って、コントロールできないんですよね。
 だから、僕は、自分にできることとして、ネットの片隅で、「自分が書きたいこと」を書いて、それが、読みたいと言ってくれる人に届いてくれることを願っている。
 それしか、できないから。
 でも、逆に言えば、他の人はどうあれ、それだけはできる。


 10年以上やっていると、長年のネット仲間(とはいっても、オフ会で仲良くしている、とかじゃなくて、お互いのブログをさりげなく読み合って、生存確認をしていたり、結婚や出産などの節目にしみじみとするくらいの関係です)にも、いろんな変化が起こってくる。
 それは、かならずしも良いことばかりではないかもしれない。
 でも、不思議と「つながっている」気がする。
 僕自身は、自分の人生のさまざまな荒波に対して、こうして書いている間、短時間でも「自分を客観的に見られる時間」があったおかげで、なんとかこうしてやっていけるのかな、と思っています。


 あなたにはあなたの、わたしにはわたしのブログがある。
 そして、わたしのブログのいちばんの愛読者であり批判者は、わたしである。


 輪の外部からみれば「はてなブログ」云々じゃなくて、「ブログを一生懸命書いている人なんて、みんな気持ち悪い」のではないかと思うしね。


fujipon.hatenablog.com



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