いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

オルフェーヴル、お前は僕にとって、「競馬」そのものだったよ。

 オルフェーヴルの引退レースとなった有馬記念
 先週のアジアエクスプレスの悪夢を思いだすと、予想するのも無駄なような気がしていた。
 有馬記念くらい、とにかく後悔しない馬券を買おうということで、オルフェーヴルの単勝勝負。あと、オルフェーヴルからの馬連を少額で何点か。
 今回だけは「オルフェーヴルが負けたらしょうがない。でも、もしオルフェーヴルが勝ったにもかかわらず、馬券を外してイヤな思い出が残るのは避けたい」ということで単勝で勝負することにしたのだ。
 海外遠征帰りで、5歳の秋。
 日本国内では、大阪杯以来。
 調教での動きは今ひとつで、予想家たちも「強い馬だとは思うけど……」と歯切れが悪く、陣営も「完調とまでは言えない」とコメントしていた。
 その一方で、池江調教師、池添騎手ともに「この馬の最後のレースなので、勝たせてやりたい、能力を信じている」と言ってもいたのだ。

 オルフェーヴルという馬の絶対的な能力は知っていながらも、けっこう「とんでもないことをやらかしてくれる馬」でもあるし、引退レースで走る気がなくて惨敗、というのも、ある意味この馬らしいしなあ、なんて悩んでいた競馬ファンも多かったはず。


 ゴールドシップ以外は格が違うメンバーで、しかもそのゴールドシップは最近迷走中。
 血統的にも中山の力のいる馬場は向いているはずだし、と、プラス要素もたくさんあったのだけれども、そういう「何もかもが向いているようにみえるとき」に足元をすくわれるのも、競馬ではあるわけで。


 NHKの中継のパドックでも、解説の調教師が「オルフェーヴルはこれまでより活気がないのが気になる。年齢を重ねての落ち着き、だったら良いのですが……」と言っていて。


 ゲートが開いて、ゴールドシップはムーア騎手が押していって、後ろから5~6番手、といったところ。オルフェーヴルは、なんとゴールドシップよりも後ろの位置取りに。
 うーむ、中山だし、もうちょっと前で競馬するかと思ったのに……と不安になってきた。
 最初の1000mは、60秒8。
 まあ、スローではない、というくらいのペースかな、と思ったのだが、今の中山の馬場状態では、けっこうきついペースだったらしく、結果的には先行した馬は壊滅してしまった。


 3コーナーを回って、ゴールドシップのムーア騎手が押し上げて行こうとした直後、オルフェーヴルの池添騎手がゴーサイン。
 ムーア騎手が手綱を押して上がっていこうとするゴールドシップを横目に、ほとんど持ったままでゴールドシップを交わし、直線に入ってすぐに内に切れ込んで先頭に立った。


 いくら中山でも、仕掛けが早いんじゃないか?と一瞬不安になったのだけれど。
 岩田騎手のウインバリアシオンが一瞬追撃してきそうに見えたし。
 だが、差は詰まるどころか、さらに拡がっていく。
 ゴールドシップもムーア騎手の叱咤激励にこたえてジリジリと伸びてきたが、ウインバリアシオンも交わせず。

 
 オルフェーヴル、独走。
 後ろからは、何にも来ない。
 引退レースで、8馬身差の圧勝。
 2着のウインバリアシオンは、3歳のときのダービー、菊花賞で、いずれもワンツーフィニッシュをきめた戦友だ。
(ウインバリアシオンからすれば、「目の上のたんこぶ」みたいなものかもしれないけど)


 車のテレビの小さな画面を見ながら、泣いた。
 あまりにも見事すぎる、ひとつの「歴史」の終焉。
 ものすごく強くて、そして、ものすごく気まぐれだった、オルフェーヴル
 馬券を買ったときには来ず、馬券を買わないと嘲笑うように圧勝。
 途中で立ち止まりそうになり、「競争中止か?」とヒヤリとさせた後に最後方から再加速し、2着にまで巻き返してきた4歳の阪神大賞典は、まさに「衝撃」だった。
 マルゼンスキーという「スーパーカー」と呼ばれた馬が、レース中にゴールと勘違いして止まりかけてから再加速し、それでも後続(後の菊花賞馬などもいた)をぶっちぎって圧勝した昔のレースをビデオで観たことがあるのだけど、いまの全体的にレベルアップした日本の中央競馬でそんなことはありえない、と思っていた。
 オルフェーヴルはあの阪神大賞典で2着止まりだったが、僕の20年あまりの競馬人生において、あんなムチャクチャな、マンガみたいなレースは観たことがない。
 まともに走っていたら、何馬身ぶっちぎっていたんだろう?


 その次のレース、春の天皇賞では、人気を集めながら、全く見せ場のない11着惨敗。
「もう終わってしまったのではないか?」と言われて臨んだ、宝塚記念
 調教でもあまりパッとせず、競馬新聞でも印がつかなかったにもかかわらず、圧勝。
(このとき、僕は自信たっぷりにオルフェーヴルを外した馬券を買っていたのだが、ある意味、その経験が今回最後に活きた、とも言えるのかもしれない。オルフェーヴルは不安視されているときのほうが走るのだ、なぜかはわからないが)


 単勝を買えば岩田アタックを食らってジェンティルドンナにハナ差で敗れ、馬連で軸にすれば、なぜか連れてくるのは買っていない馬(ダービーのときのウインバリアシオンとか、3歳の有馬記念のときのエイシンフラッシュとか)。


 凱旋門賞ではソレミアの「奇跡の差し返し」とトレヴの実力+軽量の前に2年連続での2着。
 とくにソレミアに敗れた年の凱旋門賞は、当直室で「ついに勝った!」と拳を振り上げたのをよく覚えている。
 あのレース、結果的に、オルフェーヴルの仕掛けは、たぶん少し早かった。
 でも、ソレミア以外の馬は全く追いついてこなかったし、ソレミアがあんなに強い競馬をしたのも、あのレースだけだったのだ。
 まあなんというか、今から考えると、逃がした魚の大きさを、痛感せざるをえない。
 今年も、トレヴがいなければ……なんだよなあ。
 軽い肺出血で宝塚記念を回避したときには「もう引退させてあげたほうがいいんじゃないか」と思ったこともあったし。


 間違いなく、とてつもなく強い馬だった。
 しかし、勝つときも負けるときも、一筋縄ではいかない馬だった。
 東日本大震災の年の、三冠馬
 そういえば、あの年の皐月賞は、中山競馬場が使用できなくて、東京で行われたんだよなあ。
 そして、一番人気はサダムパテックで、オルフェーヴルは「有力馬の1頭」にしかすぎなかったのに。
 ダービーも「不良馬場」が味方したんじゃないか?とも言われていた。
 菊花賞は強かった。
 だが、レース後に、「お約束」として、池添騎手を振り落としていた。


 いやほんと、「伝説の名馬」っていうより、「わけわかんないんだけど、憎めないヤツ」だった。
昨日の有馬記念では、「じゃ、最後くらい、真面目に走ってやるよ」って、中山の3コーナーで、ニヤリと笑って上がっていった、そんなふうにも見えた。
 ああ、これでもう、馬券を買うときに、お前の取捨で悩まされることもないんだな。


 池江調教師は、レース後のインタビューで、安堵の表情を浮かべながら、こう言っていた。
「あんまり状態よくなかったんでね、心配していたんですけど。彼にはいつも良い意味でも悪い意味でも裏切られていたんでね。今回も一本取られたという感じです」


 参ったよ、オルフェーヴル。お前の勝ちだ。

 
 先週は「ダート馬が初芝でG1勝っちゃう競馬なんて、もうオワコンだ!」とか嘆いていたのに、こういう場面にたまに出会ってしまうから、そう簡単に競馬っていうのは、やめられないんだよな。
 宿命のライバル対決のはずが、牽制しあってノーマークの逃げ馬が勝ってしまうとか、引退レースで人気を集めて惨敗とか、稀代の逃げ馬が、府中の直線を前にして致命的な怪我をしてしまうとか、がっかりさせられることばかりなのだ、原則的には。
 もちろん、そういう「意外性」こそが競馬の魅力だという人もいるのだけれども。


 ただ、その中で、オグリキャップの引退レースとか、ウオッカダイワスカーレット秋の天皇賞のような「みんなが期待していたドラマ」が、稀に、ごく稀に、実現されることがある。
 稀であるからこそ、それを目の当たりにしたときの感動も大きいのだ。


 夢と期待と裏切りと驚きと、そして、最後に感動を。
 オルフェーヴル、お前は僕にとって、「競馬」そのものだったよ。

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