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僕自身は、ソーシャルゲームにそんなに大金をつぎ込んだことはないのです。課金したことがない、とは言えないけど。
ひと昔前までは、「形として残らない、いつ終わるかわからないソーシャルゲームのガチャにお金を使うなんてバカらしい」と言う人が多かったと思うのです。
いや、僕と同じ世代、40代以降くらいは、みんなそうなんじゃないかな。
音源を購入するときにも、どうしても、CDを買ってしまう。
CDで持っておけば、iTunesにいつでもインストールできるから、って。
まあでも、いつでもインストールできる、は、「だからとりあえず今はインストールしなくてもいいか」につながり、開封されないCDがうちにはけっこうあるのです。
いま中学生、小学校低学年の僕の子どもたちをみていると、「形のないデータを買う」のが当たり前、なんですよね。
音源もiTune Storeで直接買うし、ソフトも第一選択はダウンロード版です。本体のメモリが足りなくなったとか、欲しい特典がついている、とかでなければ、パッケージ版を選ぶことはありません。
いちいちソフトを持ち歩かなくてもいいしね。その分、子どもがダウンロード版で遊んでいるときには、僕はダウンロードソフトで遊べない、という状況になるので、そのためのパッケージ版を何本かストックしてはいるのですが。
TSUTAYAのレンタルコーナーに人が少なくなったのをみるたびに「時代は変わったなあ」って思うのです。
そりゃ、借りに来て、期限内に返す、という手間を考えれば、オンデマンドのほうがラクだよね。
でも、僕の場合、観ないんだよオンラインで借りると。
冒頭の2つのエントリをはじめて読んだときには「そんな形のないものに多額の課金をするなんてバカバカしい」と思ったのですが、あらためて考えてみると、僕自身もギャンブル依存人間なわけで、偉そうなことはまったく言えません。
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とりあえず収入がけっこうあって、自由に使える時間がそんなになかった(あと、僕が臆病だった)から、なんとか破綻せずにこれまでやってこられただけで、競馬だけでも、賭けた額でいえば、地方都市でマンションの1部屋くらいは買え、ローンも払い終えていたのではないかという気がします。
毎年70~80%くらいは返ってきているので、失ったお金でいうと、けっこう高い車一台分、といったところでしょうか。パチンコに関しては、お金もだけど、失った時間も大概ですよね……
まあ、僕の場合は、こうして書くネタにすることによって、多少なりとも取り返している、と言えなくもない……こともないですね。ああ勿体ない。
先日の秋華賞で単勝1倍台の圧倒的人気になったソダシの惨敗なんて、終わってから「レースを嫌がっていた」「ゲートで歯が折れてしまった」なんていう話が伝わってきましたが、「そんなのお金を賭ける前に言ってくれよ……」って話です。2021年のNHKマイルカップで、僕の本命バスラットレオンは、ゲートを出た瞬間に落馬して馬券は紙屑になったのを思い出します。
……まだソーシャルゲームに課金するほうが、よほど有益ではないのか……
子どもたちをみていても、ソーシャルゲームに課金して強いキャラをつくる、とかレアカードを手に入れる、というのは、もう「現実の一部」でしかなくて、「ソーシャルゲームみたいな形として残らないものに課金するのは意味がない」という発想そのものが昔の人間のものなのでしょう。
美味しいものや旅行で観た風景も、終わってしまえば、脳に記憶として残った「データ」でしかないわけですし。
基本的に、余剰資金であれば、何に使おうがその人の愚行権の行使でしかない、とも言えます。
ただ、それにお金を使い過ぎて日常生活に支障が生じる、とか自己破産、という域に達してしまうと、やっぱり困りますよね。
「賭け」の魅力、あるいは魔力というのは、怖ろしい。
優秀な経営者で、東大を出た人でさえ、「ギャンブルで客側が最終的に勝つことはない」ことは理屈ではわかっているはずなのに、ギャンブル沼にハマってしまうのです。
でも、コツコツと貯金をして、老後のために2000万円貯めて、健康的で他人に迷惑をかけない人生を送る、なんていうのは、それはそれで「何が楽しいのだろう?」という気もします。
そもそも、世の中の「娯楽」というものは、多かれ少なかれ、顧客を「依存」させることによって成り立っているのです。
ここ数年、株を買っているのですが、ソーシャルゲームをやっている会社の株価掲示板を覗いてみると「さっさと新しいガチャを出してユーザーにどんどん課金させろよ」みたいな「株主(たぶん)の意見」がたくさん書かれているのです。
「稼ぐ側」からすれば、課金してくれるユーザーなんて、「ネギをしょってくる鴨」みたいな感覚なんですよ。
もちろん、ユーザー側だって、そう簡単にお金を使ってはくれないわけですが。
fujipon.hatenadiary.com
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ちょっと古めの本なのですが、『あなたはなぜパズドラにハマったのか? ソーシャルゲームの作り手が明かす舞台裏』には、こんな記述があります。
課金しそうでしないユーザーを特定して、それまで「絶対無課金」と言っていたユーザー層に対して、セールを機に一回でもアイテムを買わせることを狙います。
何故なら一度でも課金してしまうと、その後のソーシャルゲームにお金を払うハードルが、かなり下げられるから。
人って一度お金を遣ってしまうと、「あと100円ぐらい、いいか」と何かあった時にまた課金してしまうものなのです。
運営側が狙っているのは、そんな「課金の習慣化」。
恋愛と一緒ですね。
酔った勢いでチュウまで行ったらなし崩し、みたいな。
ソーシャルゲームにハマりたくない人は、最初の課金は心してください。
最初は遊びのつもりだったのに、ちょっと課金したのがきっかけで、その後もずぶずぶとハマってしまうかもしれませんよ。
この本では、ゲーム開発者である著者が、こう述べています。
悪いところを挙げると、それはもちろん、人によってはお金を使す。ユーザー側の立場だと「会社が儲かってるんだから、お前が綺麗ごと言うな」と思う人もいるでしょう。事実、私はゲーム会社に勤める身ですから、ガチャの収益も含めた各ゲームの売上のいくばくかを給与として受け取っています。そのうえでゲーム開発者として
見たとき、やはりお金を使いすぎてしまうガチャには多大なマイナス面があると感じています。というのも、ガチャがあることによって、ゲームプレイで受け取れるお金と満足度のバランスが”いつまで経っても平行線”になるからです。例えばコンシューマゲームに1万円を払い、たっぷりと遊んで楽しんだプレイヤーの満足度は1万円を払ったという意識を超えて上昇し、「このゲームはすごく楽しかった」という記憶に昇華されていきます。作品によっては大満足までたどり着くことでしょう。
ですが、ガチャありきのスマホゲームはいつまで経っても大満足のボーダーを超えられません。決まった金額分を楽しむわけではなく、ゲームプレイに応じてお金を投入するため、プレイして楽しいなと思ったら、もっと楽しく感じるためにガチャを引く流れになります。5万円払ったんだから、10万円払ったんだからと”楽しさの要求値”は延々と高まっていきます。そして、いつしかプレイヤーの気持ちが追いつけなくなると、支払ったお金のぶんだけ失望に変わる。それが開発者として見たときのガチャの恐ろしさです。
いまの莫大なお金が動くソーシャルゲームの世界では、「課金する側」は、分単位でユーザーの動向を確認しながら、もっとも効率的に課金してもらえるように作品を「更新」しているのです。
そして、ユーザーの側も、いちどお金を使ってしまうと「せっかく課金したのだから」「あれだけつぎ込んだのだから」と、そのゲームに忠誠を尽くさなければならない、という考えに陥りがちです。
パチンコやパチスロでも「もう5万も入れたんだから、そろそろ出るはず」と客側は思うのだけれど、実際は、最初の1回目の抽選でも、5万円使った(負けた)あとでも、次の1回の抽選で当たる確率は変わりません。最近は、「遊タイム」(パチスロでは「天井」)という、特定の回数外れ続けると、救済措置として何らかのメリットを得られる、というタイプの機種もあるのですが。
そこで、これまでの負けを受け入れて「損切り」できる人は、本当に少ない。もちろん、僕もできません。
『ウマ娘』のサイバーエージェントの決算をみると、ソーシャルゲームって、一山当てるとすごく儲かるんだなあ……と驚くばかりです。
その稼ぎのおかげで、社長は数億円もする高額の競争馬を何頭も購入していますし。
まさに、孝行娘!(会社側にとっては、ね)
スマートフォンのソーシャルゲームというのは、公営ギャンブルとは違って、「24時間開催されているし、どんどん新しいものが出てくる」一方で、「商売にならないものは、見切られてしまう」のです。最近は、お金をかけたソーシャルゲームでも、立ち上げて結果が出ないと、早めに「損切り」して、サービスを終わるようになってきています。
僕も正直、「競馬やパチンコに使ったお金があればなあ……」って、思うんですよ。
ただ、こうして半世紀も生きていると、「だからといって、そのお金で英会話学校に行ったり、スポーツジムに通ったり、インデックス投資をしたりはしていなかっただろうな」ということもわかります。
結局、人って、やりたいことと、どうしてもやらなきゃいけないことしかやらないんだよ。
あえて言っておくとすると、「興味が無い人は、最初の100円を使わない」ことが大事だ、ということと、ソーシャルゲームだけが浪費として「特別」でも「無意味」でもない、ということくらいでしょうか。
あと、「ギャンブル依存」とか「ソーシャルゲームへの過剰な課金」というのは、鬱などの精神疾患を合併している可能性が少なからずある、ということは知っておいていただきたいのです。
この本のなかで、精神科医の森山先生が2008年に発表したという「病的賭博者100人の臨床的実態」という論文が紹介されています。
その100人のデータによれば、初診時の平均年齢は39.0歳で、ギャンブルを始めた平均年齢は20.2歳となっています。
平均27.8歳で借金を始め、初診までには平均1293万円をギャンブルに注ぎ込んでいます。平均負債額は595万円。100人のうち28人は自己破産を含めた債務整理をしていました。また、17人がうつ病、5人がアルコール依存症を併発させていて、本人だけでなく配偶者の15%もうつ病やパニック障害などで治療を受けていました。
ギャンブル依存は「それだけ」ではなくて、さまざまな精神疾患を合併する場合も多く、周囲への影響も懸念される、ということなんですね。
ただ、うつ病とかアルコール依存というのが、ギャンブル依存の原因なのか結果なのかは、現時点ではよくわかっていないそうです。
確実にいえるのは、「一度そうなってしまうと、その人の意志や根性でどうにかなる行動ではない」ということです。
じゃあ、競馬もパチンコもソーシャルゲームも酒も、みんな世の中から無くしてしまえ!っていう人もいると思います。
でも、そういう「安易な娯楽」がなくなったら、すべての人間が勤勉に自らの職務や天命に邁進する、というものではないんですよね、たぶん。
何かにハマって破滅するのも、その人の「運命」ではないか、と考えてしまうこともあります。
それじゃダメ、なのだろうけどさ。
もはや「現実」よりも「自分のオンラインゲームのキャラクター」のほうが大事、という生きかたを、否定できない時代になっている、と僕は感じています。
とはいえ、自己破産とか借金地獄になってしまえば、オンラインでの幸福を維持するのは難しくなるんですよね、今のところ。
近い将来、「ベーシックインカム的に、現実が苦手な人が、ずっとオンラインで生きられる仕組み」が可能になるとしたら、それをみんなは受け入れることはできるだろうか?
「実際はすでにそうなっている人」が、世の中には少なからずいるのではないか、と僕は思っているのですけど。