参考リンク(1):自分は観客だと思っている人たち(まつたけのブログ)
首の骨がガクガクいうくらい、頷きながら読みました。
ほんと、ネットというのは、相手がいることを想像せずに酷いことを言う人が多すぎる。
そういう罵詈雑言って、しかるべき組織が本気で辿れば、誰が発信したか、簡単に突き止められるものなのに。
(参考リンク(2):【読書感想】突然、僕は殺人犯にされた (琥珀色の戯言))
そんなのでいろんなものを失うのは、お互いにとって何のプラスにもならないじゃないですか。
ただ、これを読みながら、僕はちょっと考えたんですよ。
これって、「ネットの双方向性が、失われていることの証拠」なのかなあ、って。
有名ブロガー、ちきりんさんは『「Chikirinの日記」の育て方』という本のなかで、こう書いておられます。
ネット上で活動する人には誰でも、180度異なる二つの選択肢が与えられているのです。それは、「有名人をネタにして自分の人気を上げる。その代り、その人とリアルな関係を持つことは諦める」という道と、「肯定的な思いを積極的に伝えることで、リアルに関わりが持てるチャンスを高める」という道です。
ここでは想像しやすいように”有名人”と書きましたが、実際には相手が有名だろうと(フォロワーの数やブログ読者の数にも)関わらず、同じことが起こります。人は、自分を罵倒してくる人をフォローしたり、その人のブログを紹介したり、ましてやリアルに会ったり対談したいとは思わないものなのです。
うん。
言われてみれば、これほどもっともな話はないわけで。
それでも、率直に言うと、「憧れの人と、実際に繋がる道」というのは、いまのネットの世界ではあまりにも遠くかすんで見えるのも事実で。
ただ、罵倒ブックマークばかりつけている人を見るたびに感じるのは、僕がネットに夢見ていたような「年齢とか社会的な立場を超えた、フラットなやりとりができるツール」は死んでしまったのだな、ということでした。
どうせ、自分たちの声は「上」には届かない、という絶望が、こういう「無責任な観客」を生みだしているのです。
いやむしろ、「火を起こして『炎上』させることでしか、自分たちの意思や存在をアピールできない」と感じているのかもしれません。
テレビの前で野球観戦をしながら、罵詈雑言を吐く人は多い。
球場に行けば、野次る人はいるけれど、割合は少なくなります。
ベンチの前の「砂かぶり」の席であれば、罵声を吐く人はほとんどいません。
選手の家族や友人は、ひたすら応援するでしょう。
繋がっている人たちは、上流階級どうしで、けっこう繋がっているんですよ。
その一方で、やり場のない苛立ちの捌け口として、ネットで罵詈雑言を繰り返している人もいる。
ただし、それに関しては、僕も無関係というわけではなくて。
以前、『サマーウォーズ』という映画の感想が、けっこう荒れたことがありました。
(映画『サマーウォーズ』感想(琥珀色の戯言))
たいへんネガティブな内容ではありますが、「作品としては評価している」つもりです。
僕自身のこれまでのあまり思いだしたくない経験がフラッシュバックしてきて、つらかったので、こう書いたのですが、「お前の個人的な経験なんか、知ったことか!」というお叱りをたくさんいただきました。
それでも、これを書いたことを後悔してはいないんですけどね。
僕は「自分の背景も含めた感想を書くことができる」のが、個人ブログの唯一にして最大のメリットだと思っているから。
ただ、当時はわからなかったけれど、今はなんとなくわかります。
ネガティブな内容は、ネガティブな反応を引き出しやすい。
誰だって、相手にどんな理由があったって、自分が好きなものを否定されるのはイヤだものね。
僕自身は、せめて、その相手の「背景」をなるべく読み取るようにしたい、とは思っているのですが、それこそ、ネットというのは文字だけの世界だし、たぶん、上っ面だけなんだろうな、と自問を続けています。
実際のところ、ネットでの「選手」と「観客」の棲み分けは、野球場ほど明確ではないし、入れ替わる可能性はあるのだけれども、そんなに流動的なものでもありません。
「ネットでは1対1で、平等」だと主張して有名人に殴り掛かり、相手が反撃してくると「自分の影響力も考えずに、弱者を潰すひどい人」と嘆いてみせる人は、少なくないのです。
まるで、「殴り返してきたら、お前も俺たちと同じだからな」と言いながら、殴り掛かってくるいじめっ子みたいです。
しかしながら、影響力がある人の側からすると、ネズミをやっつけるために「ちきゅうはかいばくだん」を使うわけにはいかないので、泣き寝入りしなければならないことが多い。
「かかわったら負け」なのだと思います。
本当に、割に合わない。
ただ、こんなことも考えてしまうんですよ。
「じゃあ、『観客』がいないプロ野球は、興行として成り立つのか?」
プロ野球ファンの大部分は、テレビの前で愚痴ったりするかもしれないけれども、球場ではメガホンを叩いて応援し(というか、球場で観戦するだけでも、けっこうコアなファンではあります)、日常においては野球のことはとりあえず脇に置いておいて仕事や学業に励んでいる人たちです。
やかましい「野次将軍」的なファンの数百倍、あるいは数千倍は、そういう人たちがいる。
彼らは、舞台に立つことを望んではおらず、無責任な立場で、ただ「観戦」することに満足しています。
少しだけ、自分の人生の何かをチームや選手に投影しながら。
そういう人たちが使ったお金が、野球チームを成り立たせているわけです。
個人ブログも、たぶんそうなんですよ。
大部分の人は「仕事の合間や寝る前に、気に入ったブログを眺めて、気分転換をしている人」なのだと思います。
「普通で、真っ当な意見」は、ネットではかき消されてしまうか、あえて書く必要がないので見えませんが、ネットでのコメントをみていると、「ストライクゾーンのど真ん中」だけが、ポッカリと空いているように見えることが多いのです。
たぶんそこに、ほとんどの人の「書き込まれなかった気持ち」が含まれているのではないかと、僕は思う。
とりあえず「今日もこっそり読んでくれている人」がいることに、僕は安心し、少しだけ満たされる。
考えなくてはいけないのが、「じゃあ、ブログを書いている側は、『観客』をどう認識し、扱っているのか?」ということです。
名指しはしませんが、急激に人気を上げてきているブログの中にはPV(あるウェブサイトが一定期間内に閲覧された回数。ページビュー)やアクセス数、アフィリエイトの話ばかりのものが多いと感じています。
「数字」や「稼ぎ」のためなら、読者を挑発し、不快にさせることも厭わない、そんなブログ。
まともなコンテンツもないのに、アクセス数のことばかりを語り、ブックマーク数にこだわるブログ。
そんなに読んでほしいのなら、「読まない、ブックマークをつけないお前らが悪い」というのではなく、面白いことを書こうとすればいいのに。
相手を「数字」とか「金づる」だと思っているのに、相手が自分のことを丁重に扱ってくれるのを期待するのは、あまりに虫がいい話じゃないですか?
誹謗中傷というのは、多かれ少なかれ、ある程度の人に読まれているブログの宿命ではあります(すごくイヤだけど)。
だからこそ、ブログを書いている側も、いや、ブログを書いている側にこそ、「観客を数字やアフィリエイトの金額ではなく、ひとりひとりの人間の集まりだと想像する」ことが必要じゃないかと思っています。
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