僕は現在50代半ばなのですが、学生だった1980年代から90年代前半にかけては、「オタク差別」的な雰囲気は色濃く残っていたのです。
クラスのなかには、いくつかグループができあがるものですが、アニメ好きの「オタクグループ」は、そのなかでももっとも少数派で、クラスでなんとかひとりぼっちにならないために、集っているという感じでした。
1988年から1989年にかけての東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人の部屋にアニメやホラーのビデオがたくさんあったということで、さらに居心地が悪くなってしまってもいたのです。
当時の僕の記憶としては、こんな感じだったんですよね。
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スタジオジブリのアニメだけは「別腹」で、それ以外のアニメは「オタク」が観るもの。
オタクだとみなされたら、スクールカーストで底辺になってしまう……いや、僕はどちらかというと、テレビゲーム、読書派で、ゲームもけっこう肩身が狭かったのですが、生き延びるためにアニメ好きのグループに所属していました。
大学時代、後輩の女の子が『新世紀エヴァンゲリオン』にハマっているという話を聞いて、「それを公言できる時代になったのか……」と驚いた記憶があります。
『エヴァ』は、たしかに時代を変えた。
大人の「オタク」を可視化し、産業としても認知させたのです。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の第1作『序』は2007年に公開されたのですが、僕がこれを観に行ったときには、まだ「オッサンが1人でアニメ映画、『エヴァ』を観に行くなんて、白眼視されないかな……」と不安だったのを思い出します。
いまや、ネット配信の人気ランキングにはアニメ番組が並び、人気アーティストはこぞってアニメに曲を提供しています。
というか、ヒット曲は「アニメ発」ばかりのようにすら思えるのです。
映画でも、興行収入上位にはアニメ映画が並んでいます。
あの頃、「アニメが好き」というだけで、「オタク」「ロリコン」などとバカにされていたのに、いまや、みんながアニメを観ていて、好きな作品を公言している。
「アニメが好きか嫌いか」ではなく、「どのアニメが好きか」を発信している。
今の時代に若者やりたかったなあ、ネットで好きな本が買えるし、電話で人と話さなくてもいろいろ予約できるし。
なんてことを対人コミュニケーションが苦手な僕は考えてしまうのです。
ただ、これは「人々のアニメに対する評価が変わった」というだけではないのだろうな、とも時代の変化をみていると感じます。
アニメの「一般化」に大きく影響したのは、AmazonプライムビデオやNetflix、U-NEXTなどの「ネットでの配信サービスの普及」だと思います。
それまでの1~2クール(12~26話)のアニメシリーズって、観ようと思ったら、リアルタイムで観るか、録画するか、レンタルビデオ(DVD)店で1クール放映終了後に借りるかしかなかった。
もちろん、好きな人、どうしても観たい人はそうしていたわけですが、間口が狭く、最初に触れるまでのハードルが高かった。
それが、配信サービスでは、好きなときに、好きな作品を好きなだけ観られるようになった。
配信サービスというのは「ちょっと観てみる」ことに関してのハードルが低くて、「観てみたらけっこう面白い」と感じた人も多かったはず。
テレビサイズのアニメは1回分が23~25分くらいだから、映画やドキュメンタリー、テレビの連続ドラマに比べて、「1回分を観る」時間がつくりやすかった。スマートフォンで隙間時間に観るのにもサイズ的にちょうどよかったのです。
アニメそのものも、それまでの「子供向け」「アニメ好き向け」から、幅広いテーマを扱うようになりました。
「大人がアニメを観るようになった」というのは、大人がアニメというジャンルに目を向けたというよりは、アニメと言うジャンルが、大人をターゲットとして意識するようになったのが大きい。
アニメが「クールジャパン」の象徴としてもてはやされ、世界市場に出ていくための日本の強みとみなされるようになったこと、俳優がたくさん出てくるドラマよりも権利関係がわかりやすく(個々の俳優への権利が存在しないため)、制作委員会方式でキャラクタービジネスを展開しやすかったこと、なども理由のひとつです。
最近では、マンガは「アニメ化されるためのショーケース」みたいになっていて、ネットのマンガ配信アプリでは「全話無料」なんてことが頻繁に行われています。マンガそのもので稼ぐ優先順位が下がっている。
アニメ化によって、そのキャラクターを用いてのキャラクタービジネスがやりやすくなり、原作マンガの売り上げよりも、スマホゲームとのコラボやパチンコ・パチスロ化などで稼ぐビジネスモデルになりつつあります。
上記の本の紹介を読んでいただければ、その一端はわかると思います。
アニメの海外展開はその後の潜伏期を超え、2012年以降にこれまでにない膨張期を迎える。驚異的なスピードで受け入れられたのは動画配信サービスのマーケットであり、5年で4倍規模に拡大した。もはや1兆円を超える「海外アニメ消費市場」は日本におけるアニメ関連の玩具市場の2倍、テレビ・映画・ビデオ・玩具をあわせた金額よりも大きい。
国内アニメ市場も成長し、7300億円から1兆円規模に成長したが、それは産業の成功のほんの一部でしかない。それよりも目を見張るべきは2010年前後で2000億円しかなかった「海外」がたったの10年弱で1兆円規模へと成長したことである。アニメをとりまく消費は海外ユーザーの需要と結びつくことで2010年代を通して5倍になった。海外ユーザーが国内よりも消費額が少ない点から逆算すると、少なくとも日本の2~3倍規模のアニメユーザーがこの10年に海外で形成されたとみてよいだろう。
なぜこれほどの海外市場が急激に形成されたかについては、詳しくは後述するが、2000年代に海賊版によるマンガ・アニメの購買層が日本コンテンツの愛好者として育ち、2010年代に動画配信インフラが普及したことでコンテンツのマネタイズが可能になったことが理由と言える。出版流通の制約があったマンガに代わり、アニメが日本のキャラクターの主たる伝道者となった。
だかそもそもそれ以前に、マンガよりもアニメよりも最初にグローバル化し、その二つの産業を根底から支えた産業があった。ゲームである。
マネタイズの決着点は「著作権(ライセンス)」である。作品の権利をもつプレイヤーはその作品がヒットしたときに、その人気をマネタイズして、収益配分にあずかることができる。アニメにはキャラクター画像、声、動画、ストーリー、音楽などがすべて込められている。マンガだとこうはいかない。マンガを映画にする、アニメにする、ゲームにする、商品にするといったときに「決まっていないこと」が多すぎる。背景を含めた世界はどうなっているのか、主人公はどんな声をしているのか、どんな音楽であればその世界に合うのか。マンガはこうした情報密度の低さ(それゆえにマンガは制作がスピーディで普及が早いメリットもあるが)ゆえに、メディアミックスの起点としては物足りない。ほとんどのキャラクターがアニメ化するのは、ライセンス展開してどんどん広げるための「その世界をとりまく情報」を一度固めることができるからだ。だからライセンスのハブとなるのはアニメである。
如実に作品差が出ているのはゲーム化・商品化のライセンス収入である。ドラゴンボールは国内/海外それぞれにおいて2014年で6億円/4億円だったものが18年に85億円/79億円と約20倍規模まで膨らんでいる。同時期のワンピースにおいては14年に36億円/9億円だったものが18年に32億円/28億円で、海外は3倍に伸びてはいるものの国内は同規模。ワンピースのライセンス収入はドラゴンボールに比べるとほとんど成長していないといえる規模だ。ちなみにワンピースの国内ライセンスが2010年の6億から11年の48億に急増したのも、DeNAのウェブゲームでのワンピースタイトルの成功によるものである。いかにアニメ各社もモバイルゲームからの利益配分シェアが無視できないどころか事業の根幹となりつつあるかを示しており、東映アニメーションの全社売上ベースで考えると、このワンピースとドラゴンボールの2タイトルの海外映像・ライセンス収入だけで50%を超える依存度の高さとなっている。
アニメに対する「オタク差別」がなくなったのは、アニメの質が向上し、みんながアニメを認め、観るようになったから、であるのは間違いないでしょう(昔のアニメは質が低かった、というわけではないけれど、かかっているお金も想定された観客も現在に比べると小規模でした)。
「オタクに対する手のひら返し」「みんながアニメ好きになった」というパラダイムシフトが2010年代以降に起こったのは、「アニメがコンテンツとして、以前よりはるかに大きなお金を生むようになった」から、という現実の影響があるのです。
これは、テレビゲームにも言えることではあります。
そして、テレビゲームとの共通点は、「世代交代によって、アニメやゲームに子どもの頃から好意的に接してきた世代がお金を使える現役世代になり、人口のボリュームゾーンを占めるようになった」ことなのです。
瀧本哲史さんが、この講義のなかで、こんな話をされているんですよ。
みなさん、パラダイムシフトって言葉、聞いたことありますよね?
パラダイムチェンジとも言うかもしれませんが、要は、それまでの常識が大きく覆って、まったく新しい常識に切り替わることです。
最近では、スマホが登場してガラケーに取って代わったことなんかは、典型的なパラダイムシフトでしょう。
一般的な用語として広まっていますが、でもこれ、もともとは科学ジャンルの言葉で、トーマス・クーンという科学史の学者が『科学革命の構造』という著書の中で使い始めたものなんですね。
たとえば、超有名な天動説から地動説への大転換があるじゃないですか。ガリレオ・ガリレイとかの。
あれって、どうやって起きたと思います?
どういうふうに、みんなの考え方がガラリと変わったんだと思います?
じゃあ、そこの方。はい。
生徒1「学会とかで議論して、認められた?」
なるほどなるほど、非常に良い答えですね。ありがとうございます。
他にいますか? はい、あなた。
生徒2「古い学者がみんな死んじゃって……」
そう、そう。そうなんですよ。
クーンはですね、地動説の他に、ニュートン力学やダーウィンの進化論など、科学の歴史上で起きたいろんな科学革命を調査・研究した結果、たいへん身も蓋もない結論に達してしまったんですね。ふつうに考えれば、天動説を超えるような人に対して、地動説の人が「こうこう、こういう理由で天動説は観察データから見るとおかしいから、地動説ですね」って言ったら、天動説の人が「なるほどー、言われてみるとたしかにそうだ。俺が間違ってた。ごめんなさい!」っていうふうに考えを改めて地動説になったかと思うじゃないですか。
でも、クーンが調べてみたら、ぜんぜん違ったんですよ。
天動説から地動説に変わった理由というのは、説得でも論破でもなくて、じつは「世代交代」でしかなかったんです。
つまり、パラダイムシフトは世代交代だということなんです。
これは、アニメに関しても言えることで、「いままでアニメをバカにしていた連中が手のひらを返した」というよりは、「アニメをバカにしていた人たち(とくに年齢層が高い人たち)の多くは、世界から退場したり、発言力を失ったりして、「アニメ・ゲームネイティブ世代」がボリュームゾーンを占めるようになっただけなのです。
映画だって、昔は「不良が観るもの」だと言われていたそうですし。
時代の趨勢がそうなってしまえば、僕の同世代の「アニメなんて」とバカにしていた人たちは、あえてその流れに逆らって自分の立場を悪くすることはない。
かつて、アニメ好きたちがマイノリティとして目立たないように生息していたのと、逆転してしまった。
あらためて考えてみると、いまの時代って、恋愛とか夢とか希望みたいなものって、自分でやるにはリスクが高くてめんどくさいので、アニメにアウトソーシング(外部委託)してしまっているのかな、とも思うんですよ。
僕自身にも、そういうところがあるし、昔から、自分にとってはハードルが高いことを「物語」に仮託する、というのは行われ続けてきたのだろうけど。
結局、世の中の人々の意識を根本的に変えるのは、金か世代交代しかないのかなあ、なんて身も蓋もないことを考えてしまいます。
それでも、僕にとっては生きやすい世の中になったし、いまの時代の若者になりたかったなあ、もうすぐ死ぬのもったいないなあ、と思わずにはいられないのですが。








