いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

新作『漫喫漫玉日記 深夜便』が出たので、桜玉吉さんのことを語ってみます。

内容紹介
我らが兄貴! 桜玉吉が帰ってきた!! 見事、社会復帰を果たした完全新作登場!!


皆様、お待たせしました!! 長期に渡り体調を崩していた桜玉吉が、やっと筆をとり短編漫画を発表!!
それから2年半、コミックビームに掲載された作品が、ついにコミックス化!!


 僕はあまり熱心な漫画の読み手ではないのですけど、玉吉さんは『ファミコン通信』の『しあわせのかたち』の時代からずっと大好きで、「諸事情のため描けません」と伏せ字を連発している障子の陰に隠れたラスボスと戦う『ドラゴンクエスト2』とか、「『べるのむらまきこ』って、さすがに強引なネーミングすぎないか?」を苦笑しながら読んだ『オホーツクに消ゆ』とかもリアルタイムで読みましたし、その後なぜか『しあわせのかたち』が釣り漫画や日常日記になってからも、ずっと読み続けていたのです。
 そういえば、漫画が持ち込み禁止だった寮の部屋に僕が隠していた数少ない漫画のひとつが、『しあわせのかたち』だったんだよなあ(あと、連載が始まって間もない『BASTARD!!』も持ち込んでいたのだけれども、その僕が高校時代大好きだった数少ない漫画家2人が、いずれも「もう描けねえ!」と殴り書きの文字でページを埋めて商業誌に大穴をぶち空けた人だとは)。


 以後も『漫玉日記』シリーズから『なげやり』までフォローしていましたし、近年は生活に困窮して、ネットオークションで身の周りのものを売り捌いて生活している、なんて話も聞こえてきました。
 全盛期、というか、コンスタントに漫画を描き、単行本を出せていた時期は、「税金対策」として車を買うことを勧められ、キャンピングカーを買ったりしていたこともあったのに!
 アスキー株はどうしたんだ結局……


 僕は、「桜玉吉の人生ウォッチャー」なんですよね結局。
 ウォッチャーというか、とりあえず、玉吉さんが生きていてくれると嬉しい、というか。
 『御緩漫玉日記』の後半くらいから、かなり体調を崩されていたらしく、『読もう!コミックビーム』で、とりあえず生存を確認する、という状況が続いていたのですが、今回久々に新刊が!
 いまは、漫画喫茶を仕事場にしているという玉吉さんですが、とりあえずこうして漫画が描けるようになってよかった。
 その一方で、掲載されている作品の発表の間隔がどんどん詰まっていっていることは、喜ぶべきことではあるのでしょうが、ちょっと不安でもあります。
「なんとかコミック一冊分にするために、ギリギリのところでがんばった」のではないか、などと勘ぐってみたりもして。
 

 長年のパートナーであるO村さんをはじめとする『コミックビーム』編集部が、ヤマザキマリさんとちょっと揉めたりしたときには、僕は内心、「ヤマザキさんの気持ちやスタンスは理解できるんだけど、O村さんは『そういう作家と徹底的に付き合っちゃうタイプの旧い編集者』なんですよ、悪気はないというか、できれば仲良くやってほしいな……」などと外野から願っていたものです。
 ぶっちゃけ、ビームの財政悪化が、この11月、12月の「ガラスのエース」桜玉吉の連投につながっていなければいいが……と危惧してもいるのです。


 この『漫喫漫玉日記 深夜便』は、万人に薦められるような作品ではないと思います。
 桜玉吉未経験で読んでみたいという方は、『幽玄漫玉日記』あたりから始められたほうが良いです。
 すべて読み切りではあるのですが、これまでの玉吉さんの人生を知らずに読むと、「何これ」で終わってしまいそうな気がするし。

 「もし玉吉さんが漫画家としてこんなに(っていうほどじゃないかもしれないけど)売れなかったら、玉吉さんはこんなふうに深いところに落ちなくても済んだのではないか?」とか、考えてみたりもするんですよね。
 もし『ファミコン通信』で『しあわせのかたち』がヒットしなかったら、そりゃあ、実入りもそんなに良くはなかったかもしれないけれども、普通のイラストレーターとして、それなりに人生において「しあわせのかたち」を実感できたのかもしれないな、とか。


 僕は玉吉さんに関する言葉でものすごく記憶に残っているものがあるんですよね。
 それは、桜玉吉さんが売れまくっていたときに出した本『桜玉吉のかたち』に書かれていたものです。
 玉吉さんの昔からの友人が、玉吉さんを評した言葉なのですが、彼は、玉吉さんのことを、

適当に遊んでいて、仕事もソツなくやって、人付き合いもよくて、誰からも嫌われることもなく…自分の知り合いのなかで、あんなにバランスが取れた人間はいなかったと思う。

というように語っていたのです。


その後、玉吉さんは、鬱になり、ちょっと浮いては沈み……という人生を繰り返しながら、漫画を描き続けています。
「バランスがとれているひと」でも、鬱になるのか……
いや、実は、「バランスが取れすぎている」というのは、「全く拠り所が無い」というのと同じことなのかもしれませんね。


玉吉さんが「生きていてくれるだけでいいや」という気持ちと「やっぱり描いていてほしいな」というのと。
ファミコン通信』で『しあわせのかたち』を描いておられたときから、玉吉さんも僕もこんなところまで来てしまったのか、と嘆息しつつ、やっぱり今回も笑いながら読みました。
僕はあまり普段、漫画を読んで笑うことって無いのですけど、玉吉さんの「中年男の煩悩」みたいなのを読むと「ああ、みんなそうなんだな」って、ちょっと安心できるところもありますし。

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