いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「電子書籍への漠然とした不安」について


note.mu


『解体屋ゲン』の電子書籍版って、こんなことになっていたのか……と読んで驚いてしまいました。
いまやマンガにとって、電子書籍というのは「紙の本と並立している主戦場」なのに、これだけ知られているマンガでも、読者に読みやすい状態で届かない状況になってしまうこともあるんですね。


fujipon.hatenadiary.com

この本には、現在の電子コミック市場について、こう書かれています。

 ここまで書いた紙媒体の落ち込みとはうって変わって、2016年の電子コミックは市場規模1460億円で前年比27.1%増。電子コミック雑誌にいたっては55.0%増という高い成長を見せている。
 2016年のコミック市場(コミック+雑誌)は、紙と電子をあわせて4454億円で前年比0.4%増。コミック誌限定では電子コミック雑誌が高い伸びを見せてるのにも関わらず紙媒体のマイナスを補填出来ず8.9%減。こうしたデータを照らし合わせても、電子コミックが現在の、そしてこれからの漫画界を支えているといっても過言ではない。
 電子書籍全体の勢いをまとめておく。出版科学研究所によれば、2016年の電書市場規模は1909億円と前年比27.1%増。その内訳は電子コミックが1460億円(前年比27.1%増)、電子書籍が258億円(13.2%増)、電子雑誌が191億円(52.8%増)。それぞれ高い伸びを見せてるだけでなく、その比率を見てわかるとおり、電子コミックが電子書籍の伸びを支えている。一昔前から「電子書籍元年」と言われ続けてきたが、本当にその扉を開いたのは電子コミックなのだ。


 僕は紙の本も電子書籍もそれなりに読んでいるのですが、まだ、電子書籍のなかには、きわめて質が低くて、文字や絵の大きさも設定できない、紙の本をスキャンしてそのまま並べて配信しだたけ、みたいな本も少なからずあるのです。
 それでも無いよりはマシ……なのかもしれないけれど、こういうのを掴まされると、かなりのストレスが溜まります。「内容以前の問題」で、読むに堪えない、と感じてしまう。
 けっこう大手の出版社でも、こういう「手抜き電子書籍」が、ときどきあるんですよね。これを編集した人は、自分で読んでみなかったのだろうか、それとも、「電子書籍なんて売れないから、お金はかけられない。どうしても電子で読みたい人は、これで我慢して」というくらいのスタンスなのだろうか。

 いまやマンガにとっては、電子書籍こそ主戦場、という面もあるわけで、『解体屋ゲン』という作品が、今回、読みやすい形でリニューアルされるのは素晴らしいことだと思うのです。
 これまでも、「質の低い電子書籍化」によって、読まれるべき、売れるべき機会を失った作品というのは、たくさんあるはず。

 
 ただ、この冒頭の文章や最近のさまざまな出来事から、僕は「電子書籍への漠然とした不安」みたいなものも感じたのです。
 『解体屋ゲン』は、読みやすくリニューアルされて再配信され、これまでの電子書籍版を持っていた人も、オンラインにすれば自動的に新しいバージョンに更新されるそうです。
 便利な世の中ではありますよね。
 昔のバージョンを買った人も救済される、というのは、すごく良心的です。

 ただ、こうして「自動的に新しいバージョンになる」というのは、「自分が買って、所有していたはずのものが、作者やプラットフォームの判断で、勝手に書き換えられる」というのも事実なんですよね。
 配信する側が「不出来だ」「使いにくい」ということで「改良」した作品は、『解体屋ゲン』の場合には、ほとんどの人には大歓迎されるはずです。
 その一方で、オンラインで消されたコンテンツには、「配信側は納得していなかったので削除されたあのページや絵、描写が自分は好きだったのに」という人だって、いないとは限らない。
 人の好みって、千差万別であり、すべての人が満足するようなものは作れないのは事実なのだけれど、そこで、「改善」されたものに変えるか、自分が買ったときのままのもので良いかを選択することが、現時点ではできないのです。もちろん、紙の本だって、増刷される際には、いろいろ調整されることは多いのですけどね。
 そして、いちいち「アップデートしますか?」なんて聞かれるのは鬱陶しい、と感じることも多いのはわかります。
 紙の本の場合は、なんらかの形で、前のバージョンは世界のどこかに残っている場合がほとんどなのだけれど、電子書籍ではという、上書きされ、「なかったこと」にされてしまう、というのが、なんとなく不安なんですよ。

 ピエール瀧さんが声優をやっていた作品で、瀧さんの声がアップデートで他の人の声に差し替えられる、というのを知って、本当にそれで良いのだろうか、と僕は考えていました。
 企業イメージとか、批判する人達への対応のわずらわしさとか、いろんな面を考えての判断なのでしょうけど、「オラフの声=ピエール瀧」という前提で購入した人にとっては、「先方の都合で、勝手に内容を変えられてしまう」というのは、けっして良い面ばかりではないはず。オラフは瀧さんの声じゃなきゃイヤ!返品する!と言うほどこだわっている人もいない、というのもまた事実ではあるのでしょうけど。


 「改善」されるのは良いことなのだけれども、それが自動的にオンラインで行われるようになると、突き詰めれば「都合の悪い人間は、オンラインでその痕跡を消されて、存在しなかったことにできる社会」だって、成り立ちうるわけです。
 現代のポリティカル・コレクトネスに合わなくなった作品も、どんどん「消されていく」可能性はあります。
 これまでもずっと議論されてきたことなのですが、現状は、「便利さのほうが大事」だということになっているようです。


 実際のところ、僕だって、ネット上から消されてしまえば、大部分の人にとっては、すぐに忘れ去られる「名無しさん」みたいなものでしょう。
 それでも、リアルでの知り合いとうまくやっていければ、それはそれで良いのかもしれないし、そのくらいが「身の丈にあった生き方」なのかもしれないけれども。


 なんのかんのいっても、「めんどくさい」には勝てないところがあって、いちいち確認してくれるシステムがあったとしても、僕は「自動更新」にしてしまうのだろうな、と思いつつ。


note.mu

解体屋ゲン 1巻

解体屋ゲン 1巻

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