いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

インターネット時代の「読書」を殺すのは、幻冬舎なのか、書店なのか、それとも、読者なのか?


togetter.com

 僕にできることは、津原さんの『ヒッキーヒッキーシェイク』のハヤカワ文庫版を買って読んでみることくらいではあるのです(単行本とKindle版は幻冬舎から出ているので、気をつけてね)。


 僕はけっこう幻冬舎の本を読んでいますし、有名人が2~3時間くらい適当にしゃべっただけの内容を1冊の新書に仕立てて売る、きわめて生産性の高い出版社だな、とも思うのですが、スキャンダラスな内容も嫌いじゃない、というのが本音でもあるのです。
 「嫌いじゃない」人が多いから、幻冬舎の本はベストセラーになるわけだし。

fujipon.hatenadiary.com


 しかし、この「文庫版の契約を反故にする」というのは、見城徹さんの意向が反映されていたのだろうか、それとも、幻冬舎の中間管理職クラスが、ベストセラー『日本国紀』とその作者たちに「配慮」したものなのだったのか。
 こうして、Twitterのおかげで可視化されただけで、この手の人間関係に伴う出版中止、みたいなのは、これまでも起こっていたのではなかろうか。

 個人的には、見城さんは極端な人ではあるけれど、こういうときには、あえて喧嘩させて売るのではないか、という気もしたんですけどね。それは、けっこう長い間、見城さんを眺めてきた僕の目が曇っているだけなのか。


fujipon.hatenablog.com




 この花村さんのツイートを最初に読んだときには、「そんないいかげんな編集者だったのか」と思ったんですよ。でも、あらためて考えてみると、ゴダールが映画の冒頭15分間しか観なかったのと似たようなものなのかもしれません。


fujipon.hatenablog.com


これが事実であるならば、見城さんはそれで成功しているわけだし、尾崎豊さんや石原慎太郎さんのような「話題性先行型」の作家だけではなくて、村上龍さんや中上健次さんのような、文学的な評価も高い(とされている)作家とも深くつきあってきているのです。


「出版の自由」「言論の自由」を尊重すべき出版社が、傍からみると至極当然である津原さんの指摘に対して、「逆ギレ」したのはみっともない。
 しかしながら、一私企業としては「金の卵を産む鶏の機嫌を損ねないために、そんなに売れないであろう『めんどうな作家』を排除した」というのは、合理的な判断である、とも言えます。出版契約はどうなってるんだ、とは思いますが。

 現実的には、理想を貫いてベストセラー作家に嫌われるリスクを冒す余裕は、いまの出版社にはない、ということなのかもしれません。

 有名出版社から、ヘイト本や、あやしげな「がんは放置しろ」とか、「精神科は嘘ばかり」みたいな本がたくさん出版されていて、しかも、それを丸善とか紀伊国屋とかジュンク堂が堂々と「推して」いるのをみると、僕はとても悲しくなります。
 でも、彼らだって、食べていかなきゃならないんだよな。
 医者のなかにも、あんまり医学的な効果があるとは思えない「ニンニク注射」とかを、不承不承やっている人がいるのと同じように。


 実はこのエントリを書く際に、「これが幻冬舎が出してきた、『スキャンダル本』の歴史だ!」という内容にしようと思っていたんですよ(僕も物好きですね)。
 でも、『ハダカの美奈子』は講談社だったし、『絶歌』は太田出版だし、『がん放置療法のすすめ』は文藝春秋なのです。いやほんと、『日本国紀』だけでなく、最近の出版界は「売れれば正義」なんだよなあ。

 もちろん、そうではない、良心的な作家や編集者の存在も知っていますし、自社のヘイト本に辟易しながらも、「その稼ぎが、良質だけど売れない本を出す原資になっている」ことにジレンマを感じている出版人も多いのではないか、と感じています。

 読者がアホだから、こういうことになるんだ、とも思うのだけれど、僕もそういうアホな読者の一人である、という自覚はあるし、世の中が『方法序説』や『ソクラテスの弁明』みたいな本ばかりだと、やっぱり困る(誤解を招かないように追記しますが、これらは人類の叡智と言うべき名著です)。
 

 それにしても、『日本国紀』って、なんでこんなに売れているのだろう……と考えていたのですが、結局のところ、「(良くも悪くも)話題になっているから」売れるし、売れるから話題にもなる、ということなのではないかと。
 多くの人は、その本の内容よりも、ベストセラーを読むという「祭り」に参加しているだけなのかもしれません。
 そして、それに頼らないと、出版社は生きていけなくなっている。
 


 万城目学さんのこのTweet、本当にその通りだと思います。
 こういうふうに、当事者の言葉で検証できるようになったのは、インターネットによる人間の集合知の一例、でもあるんですよね。

 だから、絶望するには、まだ早い、と思いたい。


fujipon.hatenadiary.com

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

アクセスカウンター