いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ゴダールの15分間、森博嗣先生の3冊

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 僕自身、映画に関しては、DVDも含めて、年間100本も観ていないくらいなので、年末に「今年観た映画のなかでのランキング」とかやっても、映画マニアの皆様からは「ちゃんちゃらおかしい」とか思われているのだろうな、と想像できるのですが、想像しないようにしています。
 こういうのは「じゃあ、遠慮して書かなければその奥ゆかしさを誰かが褒めてくれる」っていうようなものでもないし、半分は備忘録のつもりで。


 「年間○○本観た私」とか「年間××冊読んだ僕」とかいう数字比べになると、上には上がいるもので、他者を圧倒するのは難しいんですよね。
 僕は自分なりに「本をたくさん読んでいる」つもりでいたのですが、岡田斗司夫さんが「18歳までに1万冊読んだ」と書いていて、「こりゃかなわん。僕がこれまで読んだ本と同じくらいの冊数を、20歳になる前に読んでいるのか……」と悶絶した記憶があるのです。
 そのときの僕は、40歳にはなっていなかったんじゃないかな。
 映画であれば、もしかしたら、人生をそれに賭ければ、世界中で年間に公開される全作品を観ることは(時間的には)可能かもしれません。たぶん、誰もやらないだろうし、やれないからこそ「映画評論家」とか「宣伝会社」が存在しているのでしょう。


 本の場合は、図書館に行くたびに、「ああ、ここにある本の棚一つ分、あるいは1ジャンルも読み切れずに僕は死ぬんだな、いっそのこそ、銀河鉄道999に乗って、スキャナの身体を手に入れ、Googleで永遠に古今東西の本をスキャンし続けたい!とか……思わないかやっぱり。
 手に取ることが可能な情報の量はどんどん増えていくのに、それを処理する人間の側はそう劇的には変化しないものですよね。


 「数」というのを突き詰めると、とんでもないことになってしまう。


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 このなかで、草森紳一さんという有名な蔵書家が紹介されています。

 草森(紳一)が自宅に所有する本の数は約3万冊、加えて帯広近郊の生家に建てられた書庫に収められた分を含むとその倍、つまり約6万冊を所有していた。

 2DKに約3万冊を詰め込むと生活に支障を来す。手前と奥に二段ずつ置いても入りきらなくなり、本棚の前に「床積み」したという。そうすると床が本で埋まってしまうため、家の中ではカニ歩きでしか移動できなくなってしまったというからすごい。そのような状態なので、気をつけていても事故は多発した。袖がぶつかっただけでも本が崩れ、ときには本の山が下部からドドッと地響きを立てて、根こそぎ倒壊することすらあったという。

 そんな草森は2005年に『随筆 本が崩れる』を出版してから3年後に逝去している。そのときの様子はちょっと尋常ではない。

 部屋には所せましと本が積み重ねられており、遺体はその合間に横たわっていた。あまりの本の多さに、安否を確認しに訪れた編集者でさえ、初日は姿を見つけることができなかった、という。

                        (『読売新聞』2008年7月30日付)


 まさに本好きとしてはあっぱれな死に方である。だが、そんな彼ですら、床が抜けたという話は一行も書いていない。


 これは「本死」とでも言うべきでしょうか。まさに「本望」だったに違いありません。


現代マンガ図書館」の責任者である、内記ゆうこさんが、こんな話をされています。
 内記ゆうこさんのお父さんの稔夫さんが、この図書館をつくったのですが、1978年の開設時に3万点だった蔵書(および、マンガ関連の資料やグッズなど)が、現在は18万点もあるそうです。

「読むという意味で父はさほど情熱はなかったのではないかな。父がマンガを読んでいるのをあまり見たことがないんですよね。どちらかというと経営とか収集、保存、管理の方が好きだったんじゃないでしょうか。順番に並べるとか揃えるとか。そういうのが好きだった。私はマンガが嫌いというわけではないので、あればパラパラ見たりするんですけど、姉ほどではない。一方で、管理や整理するのがけっこう好きなんですよ。その点で、三姉弟の中で私が一番父に似ています。父も似ているって言ってました」


 「万冊」レベルになると、1冊1冊をちゃんと読み込んでいる人は、そんなにいないはずです。
 むしろ、「本を集めて、整理して、自分の図書館みたいなものをつくる」ということそのものに興味がある人のほうが多いのかな、と。
 読書家、というより、整理魔、みたいなイメージです。
 実際、電子書籍の蔵書数を誇る人というのは(たくさん持っている人はけっこういるはずなのに)あまり見たことがないので、「本が好きだからこそ集めるのは事実だけれど、蔵書家がかならずしも最上の読書家ではない」ということはいえそうです。

乗り鉄」と「撮り鉄」みたいなものかな。


 映画の場合も、「たくさん観る」というのは、「楽しんで観る」のとイコールではありません。
 たくさん観れば観るほど、箸にも棒にもかからないような作品を観る機会も増えるはずだから。
 むしろ「こんなにたくさん観たんです!」と言うのが目的になってくるのかもしれません。
 ただし、ある程度の数を観ると、全体の傾向みたいなものはわかるのだろうし、逆に「つまらない映画を観ないと、面白い映画はどこが違うのかわからない」というケースも出てきそうです。
 「語る」ためには、「つまらない映画の洗礼を受けておく」のって、けっこう大事な気がします。
 だいたい、古いゲームの話でも、食べ物でも、盛り上がるのは「クソゲー」とか「不味かったもの」なんですよね。


 僕の場合、映画にしても本にしても「自慢できるほどの量は消化していない」と自覚しているので、たくさん観たり、読んだりしている人は、やっぱり偉い、と素直に感心してしまいます。
 野球の素振りみたいなもので、たくさんやったら上手くなるってわけじゃないんだけれど、技術を身につけるためには「フォーム固め」みたいなのって、大事なのだと思う。
 そのためには、それなりの「数」もこなすことが必要なのでしょう。
「素振りのための素振り」「素振りをした数を他人に自慢するための素振り」は無意味だとしか言いようがないけれど。


 ただし、世の中には「常識を飛び越えてしまえる人」っていうのもいるんですよね。


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この本のなかで、こんなエピソードが紹介されているのです。

 ヌーベルバーグの旗手として知られるフランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダール曰く「映画は15分だけみればわかる」そうです。実際、ゴダールは冒頭の15分を見ると、映画館を出て次の映画を見にいっていたといいます。

 読書においても、このゴダール的手法は使えます。永江朗さんはこれを「ゴダール式読書術」と呼んでいます。初めの数ページを読んで、著者が何をいいたいのか、とか何について書かれた本なのかがわかったらパタンと本を閉じて、次の本に向かう。それで全然かまいません。


 また、作家・森博嗣先生は、以前、『一個人』2008年10月号(KKベストセラーズ)の特集記事「2008年度上半期・人生、最高に面白い本」という記事のなかで、こんな話をされています。

 工学博士であり、なかでも建築が専門の森博嗣さんは、自らが設計した工作室兼書斎で一日の大半を過ごしている。もとはガレージだったというその場所には、車の代わりに鉄道模型や飛行機模型が所狭しと並び、本棚らしきものは見当たらない。
「基本的に再読はしないので読んだ本はとっておかないんです。だから、本棚もありません。雑誌には数十冊ほど目を通しますが、小説は年に3、4冊しか読めないんですよ。一冊読むのに2~3週間はかかりますから、書くのと同じくらいの時間がかかっていることになります」
 一度しか読まない代わりに、どのページに何が書いてあるかということが思い出せるくらい丹念に読む。繰り返し読むことはないのに、1日2時間で20ページほどしか進まないのだそうだ。
「だって、書いてある文章から世界を頭の中で構築しなくちゃいけないわけですから、すごく大変じゃないですか。むしろ、みんながどうして小説を早く読めるのかわからないですよ。僕は一度読んだストーリーは絶対忘れないし、自分の経験と同じくらい鮮明に覚えています。その点、頭の中にあることを書き留めるのは楽ですよね。小説を書くということは僕にとって頭の中の映像をメモするような感覚ですから」


(中略)


 再読はしない森さんが例外的に3回読んだのは埴谷雄高の『死霊』である。
「どうやったらこういうものが書けるのか、その才能が素晴らしいですね。これを読むと、刀が研がれるような、感覚が研ぎすまされるような、そんな気持ちになるんです。僕にとっては言葉を味わう詩集のような作品です」


 彼らは評論家ではなくて、クリエイター、という立場なので、同列に語るべきではないのかもしれませんが、こういう「作品への向き合い方」もあるんですね。
 言われてみれば、最初の15分はつまらないけれど、終わってみたら大満足、っていう映画はなかなか思い浮かばない。
 僕などは、どんなつまらない映画でも、15分しか観ないなんて料金がもったいない、と思うのだけれど、ゴダールは、時間のほうがもったいない、と考えているのかもしれません。
 森先生も、この記事の時点では大学職員で、いまは大学を退職されているので、以前よりは本を読んでおられるそうですが(趣味の本の割合が多いとのこと)、「良い作品を、徹底的に読み込んでいく」ほうが、「多読自慢」よりも、はるかに有益なこともあるのだな、と。
 僕なんか、本の上っ面をなぞっているだけだな。


 結局のところ、「これまで経験してきた数」が問題なのではなくて、その結果生み出されるもの(あるいは、本人の満足度)が素晴らしければ、意味があった、と考えるしかなさそうです。
 まあでもたくさんの数をこなすのに最も必要なのは、そのコンテンツへの愛情よりも、駄作にもめげない忍耐力とか、「これも観た!」って自慢したいという承認欲求なのかもしれません。
 いやほんと、僕もけっこう、面白くない映画を観ていて、「これ、どんな悪口書いてやろうかな」というのが唯一の「映画館を出ないモチベーション」になっていることって、ありますからね。どの作品とは言いませんが、『R100』とか『ギャラクシー街道』とか……



本で床は抜けるのか

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死霊(1) (講談社文芸文庫)

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死霊I (講談社文芸文庫)

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