村上春樹さんが、「父親」について語ったエッセイが掲載されていると知って、ふだんは、芥川賞受賞作の掲載号しか買わない『文藝春秋』の最新号を読みました。
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『猫を棄てる 父親について語るときに僕の語ること』というタイトルをみて、『納屋を焼く』と『走ることについて語るときに僕の語ること』のセルフパロディみたいだな、と思ったのですが、「父親について語る」というのは、村上さんにとっては、長年「禁忌」だったのではないか、と僕は考えていたのです。
そもそも、村上春樹作品には「親」の存在は希薄で、とくに主人公の「父親」が描かれることはほとんどありませんでした。
『1Q84』(2009年)の感想で、僕はこんなことを書きました。
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(2)「父親」の登場
過去の村上春樹作品のほとんどでは、「父親」が不在でした。もしかしたら、主人公たちが抗ってきた「世界のシステム」そのものが「父親」であり、肉体を持った父親というのは、不要だと考えておられたのかもしれません。
しかしながら、この作品には、主人公の「父親」がついに実体を持って登場してきます。
ただ、「出てくること」が、そのまま「受け入れること」に繋がっているのかどうかはとても微妙です。
少なくとも、「感動の和解劇」みたいなものではない。
それでも、「赦す赦さないはさておき、あちら側の事情にも耳を傾けようとしている」のは、大きな変化なのではないかと。これは、「壁と卵」のスピーチで、亡くなられた御尊父の話が出たこととも、大きな接点がありそうです。
村上春樹さんにとって、父親との「和解」、そして、その死というのは、ある種の転機だったのかな、とも思うのです。
ただし、このエッセイのなかでも、その「和解のようなもの」の詳細が、感動的に語られるようなことはありませんでした。
それでも、こうして父親のことをエッセイにして世に出すことができたというのは、大きな変化だと思うのです。
それにしても、お父さんが亡くなられたのが90歳で、当時、還暦を迎えようとしていた(見かけや、ラジオでのトークを聴いていると、とても現在70歳には思えないのだけれど)村上さんと、お互いにその年齢になって、ようやく、ぎこちなく和解できたのだなあ、と感慨深いものがあります。
村上さんは、お父さんが亡くなられたあと、日本で、あるいは中国で太平洋戦争に従軍していたときの記録を丹念に調査し、このエッセイのなかで、淡々とその経過を書いておられるのですが、注意深く主観が廃されているからこそ、息子として、作家としての「思い」が伝わってくるような気がします。
これを調べながら、村上さんは何度も、「ああ、生きているうち、元気なうちに父親に直接これを聞いておくべきだったな」と、思ったのではなかろうか。
僕も父親との関係は、決して良いものではなかったのですが(さりとて、極悪なものでもなく、今から考えると、世間一般の父と息子の「ふつう」の範疇なのかもしれませんが)、この年齢になると、僕のような扱いにくい息子を持ち、生まれた場所とは全く違う土地で開業医として人付き合いをしていくなかで、いろいろと思うとことがあったのだろうな、と想像せずにはいられません。
僕の父親は50代半ばで亡くなってしまったので、和解することはできなかったし、孫の顔を見せることもできなかった。
子どもに対しては、いつもそっけない態度をとっていた人だけれど、孫に対しては、どんな顔をしたのだろうか。
子どもが親を「許せる」ようになるのは、だいたい、手遅れになってから、なのかもしれない。
冒頭に出てきた「お父さんと一緒に猫を棄てにいったエピソード
」を読んで、僕は、この猫がいなかったら、あるいは、この猫が順調に「棄てられて」いたら、作家・村上春樹は誕生していなかったのではないか、と、なんとなく思ったのです。
8歳のときの村上さんの写真が、まさに「いまの村上春樹をそのまま8歳にした顔」だったことに、ニヤニヤしてしまいました。
このエッセイのなかで、村上さんは、お父さんとの「確執」の一端を語っておられます。
すごく頭の良い人で、太平洋戦争後、京都大学で勉強をしていたのだけれど、家族と食べていくために、学校の先生になったお父さんは、「自分の興味があることしかやろうとせず、期待したほど学業成績が振るわない息子」にもどかしさを抱いていたのです。
自分のように戦争や貧しさに振り回されずに、やりたいだけ勉強ができる時代に生まれたのに、なぜ、その幸運を息子は活かそうとしないのか?
村上さんには、その「父親にとっての理想の人生を押し付けられること」が、耐えられなかった。
僕は今でも、この今に至っても、自分が父をずっと落胆させてきた、その期待を裏切ってきた、という気持ちを――あるいはその残滓のようなものを――抱き続けている。ある程度の年齢を越えてからは「まあ、人にはそれぞれに持ち味というものがあるから」と開き直れるようになったけれど、十代の僕にとってそれは、どうみてもあまり心地よい環境とは言えなかった。そこには漠然とした後ろめたさのようなものがつきまとっていた。
僕はこれを読みながら、村上さんとお父さんとの葛藤が、あまりにも「ありふれたもの」だったことに、少し感動していたのです。
世界的な作家になってさえも、こんなコンプレックスを払拭することは、なかなかできなかったのか、と。
いやむしろ、こういう「あの時代には、ありふれた葛藤」から逃れられなかったことが、村上春樹作品の普遍性につながっているのかもしれません。
おそらく僕らはみんな、それぞれの世代の空気を吸い込み、その固有の重力を背負って生きていくしかないのだろう。そしてその枠組みの傾向の中で成長していくしかないのだろう。良い悪いではなく、それが自然の成り立ちなのだ。ちょうど今の若い世代の人々が、親たちの世代の神経をこまめに苛立たせ続けているのと同じように。
村上春樹ファンは、ぜひ読んでみてください。
……って言われなくても、みんな読んでいるのだろうけど。
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