これは本当にそうだよなあ、と。
それでも、2000年くらいのネット黎明期に比べると、はるかに全体の情報量は多くなっているし、良質なサイトもたくさんあるんですよ。
でも、あまりにもノイズが多くなりすぎて、自分にとって必要な情報にたどり着くのが難しくなっているのです。
ちょうど1年くらい前、中川淳一郎さんが、『ネットは基本、クソメディア』という著書のなかで、こんな話をされています。
中川さんは、2017年5月22日に広島市内で逮捕された「渋谷暴動事件(1971年)」の大坂正明容疑者の逮捕直後の検索結果について紹介しています。
逮捕報道から6時間、グーグル検索で「大坂正明」と入れると、トップに来るのはウィキペディア、続いてこの件を報じた産経新聞の記事が来る。
私がこの文章を書いているのは23日朝5時だが、産経の記事は「5時間前」だ。3番目には第一報であろうNHKで「6時間前」となっている。そして、ここから「勝手サイト」が三つ続く。
(中略)
学生運動をしていた中核派となれば、当然どこの大学かが気になるわけだが、この三つ目のサイトは見出しにその要素を入れてきた。だが、中身を見ると力が抜ける。
大坂正明容疑者の出身大学は一体どこだったのでしょうか?
大坂正明と検索をかけるとまっさきに【大学】という検索ワードが出てくるので気になっている人も多いんだと思います。大坂正明容疑者の出身大学について調べてみたんですが、信憑性のある情報は一切出てきませんでした。出身が北海道ということもあるので地元の大学を出ているという可能性も高いですね。中核派のメンバーの一人なので、そこで活躍していたのは東京に出て来てからだと言われています。 (本にはこのサイトのURIも掲載されているのですが割愛)
あのよ、「一切出て来ませんでした」って、「一切」とまで言えるの? 「出身が北海道ということもあるので地元の大学を出ている可能性も高いですね」って、何が根拠よ。当時大坂は学生で、渋谷の暴動に参加しているわけで、北海道からわざわざ来たとでも言いたいのか? 私も大坂の出身大学は知らないため(千葉県内の大学という報道はあった)、これ以上は言わない。「地元の大学を出ている可能性も高いですね」と同様に「〇〇大学の学生だった可能性も高いですね♪」なんて恐ろしくて公の場で書くわけにはいかない。
こうした記事が上位を席巻するというのは、もはやグーグルがクソサイトに完全敗北したようなものである。「そこそこ有名な芸能人」「健康情報」「美容情報」「犯罪者」を検索すると、こうしたサイトが上位に並ぶようになったため、ニュース以上の情報を得るためには、グーグルの2ページ目以降に行かなくてはいけなくなってしまったのだ。
こういうこと、本当によくありますよね。
世界最高の頭脳集団であるはずのグーグル、もうちょっとしっかりしてくれよ……と言いたくなります。
こういうサイトを強引に上位に表示するのが「SEO対策」というのなら、それはネット利用者に対する嫌がらせでしかありません。
「大坂正明容疑者の出身大学は一体どこだったのでしょうか?」
それを知りたくてクリックしたんだよ!
検索上位にこんなサイトがかなり多いことに、愕然としてしまうのです。
(ちなみに中川さんは、著作権も肖像権も無視した「とにかく人々の興味を持ちそうなネタを網羅し、検索上位に表示させよう」といった意図を持ったサイト群を「勝手サイト」と総称しています)
「〇〇(有名人の名前) 結婚」とかで検索してみると、「〇〇さんは結婚しているのでしょうか?ネットで検索してみましたが、信憑性のある情報は出てきませんでした。でも、美人でモテそうですから、もう結婚していてもおかしくはありませんね」とかいうのが、検索上位にずらっと並んでいるのです。
こういうのをたて続けにみせられると、パソコンを壁に投げつけたくなります。
Googleも有益なサイトを上位表示するように、改善を続けているようなのですが、そのアルゴリズムの隙をついて、「勝手サイト」は繁殖していきます。
「勝手サイト」のほうは、Googleの出方をみて、それに合わせればいいわけですから、どんなにGoogleが頑張っても、なかなか「勝手サイト」を根絶することはできないのです。
ネットの広告でお金が稼げるようになってから、こういうのが、本当に増えてきました。
とくに、ちょっとマイナーなキーワードで、ネットを頼るとこういう目に遭いまくるのです。
それでも、1年前よりは今のほうが少しマシになってきているような気がするのは、Googleの対策のおかげなのか、WELQ事件の影響もあって、自浄作用がはたらいてきている可能性もあるのではないかと。
ネットに関しては「お金」が絡むということのメリット・デメリットについて考えずにはいられません。
稼げるようになったからこそ、コンテンツの全体としての質や量が増えたのは確かですし、僕も少なからず恩恵を受けています。
その一方で、「稼ぐことに最適化できていれば、内容にはこだわらないサイト」、あるいは、「あえて炎上するようなことを書いたり、他者を挑発したりして、人を集めるサイト」も増えてきました。
一部の「プロブロガー」なんてその最たるもので、おそらく最初は「ネットという自由に表現できる空間で、自分がやりたいことを多くの人に知ってもらいたい」という動機だったのに、それで稼げるようになり、食べていくようになると、収入がなくなってしまう恐怖にかられ、「なりふり構わず、お金を稼ぐことが第一の目的」になって、「ライフスタイルねずみ講」をはじめてしまう。
そして、もうひとつの問題は「お金のため」だけではなく、とにかくPV(ページビュー)が多い記事が良い記事なのだ、という価値観を持っている人がたくさんいる、ということなんですよね。
お金になる、商品を売りつけるための健康関連や化粧品などの記事だけではなく、僕にとっては主戦場である本や映画の感想についても、「こういうのが読みたいわけじゃないのに」と言いたくなるような記事が個人ブログでも蔓延し、Googleでは検索上位で表示されています。
僕はけっこういろんなブログを読んでいるのですが、映画や本の感想を書いている人が、「自分の記事にアクセスが集まるのもわかる。よく書けているもの」というようなことをつぶやいておられて、驚きました。
僕はその人の映画の感想を読んで、「これって、WikipediaとYahoo映画の登場人物紹介などの内容を切り貼りし、あらすじのネタバレで文字数を稼ぎ、『おすすめです。好きな人が見たら面白いと思いますよ!』って書いてあるだけじゃないか」と思っていたのです。
「こんなの誰が読むんだよ、自分の言葉での感想らしきものがほとんどなくて、ただただ冗長で、有名サイトの内容をコピペし、ネタバレしているだけの『感想』なんて、その映画を観にはいかないけれど、観たふりをしたい人にしか役立たない、検索されやすさしか考えていないクソ記事じゃないか」というのが、僕の認識でした。
僕だってあらすじとかも書きますけどね。でも、僕にとって感想というのは、「自分にとってどうなのか」なんですよ。
あらすじや登場人物の紹介は公式サイトやYahoo映画の領分だと思っていたし、極力これから観る人の楽しみを奪いたくないので、ネタバレも控えています。
僕は、そういう記事を書いている人たちはみんな「こういうのは自分の言葉じゃないし、面白くないのは百も承知だけど、Google様が優遇してくれて検索上位に表示され、お金になるからしょうがないよね」と割り切っているのだろうな、と思っていました。
でも、そうじゃなかった。
本人は、それを「いい記事」「自分の記事」だと自画自賛しているのです。
ああ、あれを自分自身では「良記事」だと本気で思っているのか……
そして、「そうだそうだ!」と賛同してくれる人たちもいる(これは本気なのか付き合いなのかわからないけど)。
あらためて考えてみると、当たり前のことなのですが、ネットに書かれているものの「善し悪し」や「価値」というのは、人それぞれ評価基準が違うのですよね。
一昔前(2000年代)くらいまでは、ある種の割り切りというか、「稼ぐために、SEO対策をして、つまらないと自覚しつつ記事を公開していた」人が多かったのだと思います。
ところが、「ネットで稼ぐこと」があまりに当たり前になってしまい、「稼ぐための競争」が激化したことで、ネットを使って発信する側に「検索上位に表示され、PVを稼げるのが(内容は関係なく)良記事なのだ」というパラダイムシフトが起こってきたのです。
「だって、まずは読まれないと意味ないだろ?」
僕は、それを否定しきれない。
検索を利用する側とは決定的なズレがあったはずなのだけれど、利用する側も、少しずつ「上位に表示されるのがこの程度の情報なんだから、このくらい知っておけばいいんだろ」もしくは「ネットの情報なんてアテにならないな」という二極化が進んでいるように思われます。
たぶん、ネットにお金が絡んでくるかぎり、こういう傾向は続いていくのでしょう。
それはもう、好むと好まざるとにかかわらず。
Googleがどんなに頑張って、アルゴリズムを変更しても、「稼ぐために、検索に最適化したサイト」は、薬剤耐性菌のように変異しながら、検索上位をキープしつづけるはずです。
むしろ、これからは、「リアル知人からの口コミの時代」に回帰していくのかもしれません。
ネット検索について、僕が気をつけていることは、いくつかあるのですが、端的に言うと、「ひとつのサイト、ひとりの人間の情報を信用しすぎない」ということです。
検索結果も、最低10か所、できれば20か所くらい眺めてみれば、あまりに偏った情報を除外することは可能ですし、AmazonやYahoo映画のレビューにしても、「個々のレビューではなく、全体平均の星の数だけ確認する」(もちろん、ある程度の評価数があることが前提で)ほうが有用ではないかと思います。
ネットが多くの人に普及したことにより、「顔のない集合知」みたいなものはたしかに感じるようになりました。
こちらが手間をかけることを厭わなければ、それなりの答えは得られるのです。
読んで面白いのは、ひとりひとりの「偏愛」に満ちたレビューなんですけどね。
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