関係者によると、手前のパーキングエリアで、ワゴン車の進路を塞ぐように駐車していた男性を嘉久さんが注意した。怒った男性は高速道路上を追い、後方から接近したうえ、前方に割り込んで減速し、一家の車を追い越し車線上に停止させた。車から降りて嘉久さんの胸ぐらをつかむなどした直後に、後方から来たトラックがワゴン車に突っ込んだという。
朝、このニュースをワイドショーで観ていて、暗澹たる気持ちになりました。
迷惑駐車を注意したら、逆恨みされて、こんな目にあわされるなんて。
亡くなられた夫婦の御冥福を心よりお祈りします。
そして、残された子どもさんたちに、少しでも幸多からんことを。
後ろから追突してしまったトラックを運転していた方も、消せないトラウマを抱えてしまったはずです。
本当に、この逮捕された容疑者は酷い。
こういう事件の話をきくたびに、「なんなんだこの世の中は」と憤りを感じてしまいます。
車を運転していると、「怖い運転をする人」というのは少なからずいるんですよね。
それ、ぶつかったらお前も死ぬぞ、と思うのだけれど、ああいうのって、自分が大丈夫だと信じているのか、あるいは、自分も他人も命なんて軽いものだということなのか。
Twitterのタイムラインを眺めていたら、この事件に関して、「だから、ああいうモラルが無いDQN(ドキュン:以前放送されていた『目撃ドキュン』というテレビ番組に出演していたような、道徳心・公共心に欠ける反社会的な人々)に注意するからこんな目に遭うんだって、ムカつくことがあっても、家族のことも考えて、ガマンしたほうが賢い。関わったら負けだよ」みたいな意見がけっこうあって、「いいね!」されたり、リツイートされたりしていたんですよ。
それに対して、「そうだよね」と同意する人もいれば、「みんなが関わらないようにしていることが、結局、そういう人たちをのさばらせ、今回のような事件の原因になっているのではないか」と言う人もいて。
僕自身は、「多少不快な思いをしても、関わらないほうがいい」という意見に、なんか悔しいけれど、処世術としては正解なんだろうな、と同意せざるをえないのです。
実際、ネットではこんなに強い批判がたくさんあるのに、ああいう人たちは、ふだんの生活で、面と向かってたしなめられる機会って、それほど多くはないような気がします。
いまの世の中って、「失うものがない人」のほうが強い、という面は、たしかにあるんですよね。
ああいう危険な運転をする人や「自分や他人を危険にさらすことに歯止めがきかない人」「モラルが極めて低い人」は、少なからず存在しています。
今回は、あんな悲惨な事故が起こってしまったがために、大きく取り上げられているだけで。
長年運転をしてきた人ならば、一度や二度は、危ない運転をする車に遭遇して肝を冷やした経験があるのではないでしょうか。
僕は賢いのではなくて、怖いから、ああいう人を注意できない。それは正しくないことだと思うし、みんなのそういう姿勢が、ああいう人をのさばらせている。君子危うきに近寄らず宣言には、処世としての正しさとともに、絶望も感じる。
— FUJIPON (@fujipon2) 2017年10月11日
世の中には、罪の意識が極めて薄かったり、なんでも他人のせいだと思う人がいて、反省とか更生にも才能が要るのではないか、という気がする。
— FUJIPON (@fujipon2) 2017年10月11日
公道とインターネットは似ている。
— FUJIPON (@fujipon2) 2017年10月11日
「ああいう人とは、関わらないのが正解」なのだろうと思うのです。
でも、「ああいう人」として隔離してしまうのは、ある種の差別だったり、人間に対する信頼感の欠如なのかな、という気もしてきて、悪いことは悪い、とちゃんと注意した被害者の方に比べて、僕は情けない人間だよな、と悲しくもなるのです。
僕は、圧倒的な暴力で自分自身や大事な人が危険にさらされている状況で、「正しさ」を貫く自信は、ない。
「法で裁く」のが大原則なのだとしても、今、そこにある危機に対して、法は必ずしも有効ではない。
命が失われたあと、相手がどんなに重い罪に問われても、「そんなヤツの命」なんて、なんの代わりにもならない。
いつでも、「ちゃんと戦った人」は、報われないことが多い。
ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』の、この一節を思い出します。
収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく1ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。
人間の歴史を通じて、ずっと、「本当にいい人は、帰ってこなかった」のです。
どんな状況でも、リスクを背負っても、「ダメなものはダメ」と言う人には、この世界はあまりに危険すぎる。
触るものをみんな傷つけるために存在しているナイフのような人だって、いる。
fujipon.hatenablog.com
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インターネットでは「あんなヤツは許せん!厳しい判決を!」「ちゃんと注意した被害者は立派だ」と叫ぶ一方で、周囲の人とは「やっぱり、関わらないのがいちばん安全だよね」と頷きあう。
「ああいう人たち」は、仲間内でさえ面子が保てれば良いことが多いから、ネットで叩かれても、そんなにダメージは食らわない。
「人間どうし、尊重しあおう」と言っても、相手に全くそのつもりがなさそうな場合、どこまでも歩み寄らなければならないのか。
歩み寄りが難しいからといって、徹底的にやり合うわけにもいかないよね。
「こちら側」にとっては、あまりにも割に合わない戦いだし。
「あちら側」からみれば、「仲間には礼儀正しくて、気配りのできるヤツ」だということもある。
結局、「交わらない」のが正解なのだろうか?
ふだん、交わる機会が少ないからこそ、公道という、公共の場所で接触してしまうと、こんなことをやる人が出てくるのか?
人間が車を運転することがリスクなのだから、さっさとGoogleの自動運転車が完成しないかな、とか、突き詰めれば、人間というあまりにも不完全な生物の存在そのものが、最大のリスクファクターなのではないか、とか、つい、考えてしまうんですよね。
それでも、人間をやめるわけにはいかないのだけど。
fujipon.hatenadiary.com
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