いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「仕事の対価を払ってくれない人」について

この問題のきっかけは、柳美里さんブログのこのエントリでした。


『創』休載の理由 - 柳美里の今日のできごと
『創』休載の理由 - 柳美里の今日のできごと



それに対する反応をまとめたものがこちら。

柳美里氏「雑誌『創』が何年も原稿料未払いだ」への反響 - Togetterまとめ
柳美里氏「雑誌『創』が何年も原稿料未払いだ」への反響 - Togetterまとめ


さまざまな書き手が、この問題について、自分の経験なども含めて反応しています。以下はそのごく一部です。


現時点での『創』側の見解は、以下のブログに書かれています。
作家・柳美里さんとのことについて説明します。- 月刊「創」ブログ


『創』の篠田編集長は「プロの書き手として柳さんが言われていることは当然のことで、異論の余地はありません」と全面的に「未払い」と「それが非常識であること」を認めておられますが、現実的には「無い袖は振れない」という状況のようです。


うーむ。
2007年から7年間、とありますから、柳さんもよく我慢してきたものだなあ、と。
そして、こういうのって、最初に我慢してしまうと、なかなか言い出せなくなるものですよね。


これを読んでいて、僕自身の大変みみっちい話を思いだしてしまいました。
もう10年以上前になるんですが、ある先輩に「当直を替わってくれ」と頼まれたんですよね。
日頃お世話になっているし、困っておられたみたいなので、いいですよ、と引き受けて、行ってきました。
ちなみに、当直の対価は、4万円くらいだったと記憶しています。


ところが、その日の当直料が、いつまでたってももらえない。
その先輩は、当直先の病院から、1か月単位で当直料を振込でもらっているとのことで、後で払うよ、という話だったんです。
何度か催促してみたのですが、「ごめん忘れてた、今度払うから」というやりとりを繰り返すうちに、お金の催促をするのも、なんだかイヤになってしまって、その当直料は、うやむやになってしまいました。
申し添えておくと、その先輩は金の亡者のイヤなヤツ、とかでは全然なくて、基本的にはすごくいい人なんですよ。
お金に困っている様子もなかったし、一緒にご飯を食べに行ったら、ごちそうしてもらうこともありました。
むしろ、「自分がお金に困るようなことが無かったので、他人のお金に対するこだわりにも無頓着なタイプ」だったのではないかなあ。
相手がドケチで、「ニヤニヤしながら僕をただ働きさせて、金は横取り」みたいなタイプであれば、僕だってそんな人間とは縁を切るのも覚悟で、当直料を回収しにかかったかもしれません。当直先の病院と直接交渉すれば何らかの進展はあったんじゃないかな。
あるいは、「こんな人を信用したのが悪かった」と、無理矢理忘れてしまったかもしれない。


このときのことを、いまだに引きずっているのは、結局、お金を徹底的に請求することができなかった自分の不甲斐なさと、「お金に対するこだわりとか優先順位というのは、人によって違うものなのだな」と思い知らされたから、なんですよね。
僕のなかにも「数万円くらいで、『良い先輩』と事を構えるのは損だ」という気持ちはありましたが、「忙しいなか一晩当直してきたのに、ただ働きというのはあんまりじゃないか」とは思いましたし、4万円というのは、無視できるほど小さな金額でもなかったのです。
その一方で、「それが無いと生きていけない」という額でもなかった。


むしろ、最初から「ごめん無報酬だけど」って言ってくれていれば、こんなにこだわらずに済んだかもしれない、などと考えたこともありました。
それでも、相手が困っていれば、タダでも替わっていたとは思うのです。一度くらいなら、ね。
「お金は払うから」と言われて仕事をしたから、もらえることを期待していたから、裏切られたことがつらかった。


この柳さんと篠田編集長とのやりとりをみると、なんだか、あのとき僕が抱えていた鬱屈を、思いださずにはいられなくて。


篠田さん自身は、このブログの内容を読むかぎり、「お金よりも大事なものがある」というか、「お金への執着心が少なくて、お金への他人のこだわりというのが、実感できない人」ではないかという気がします。
あのときの、僕の先輩のように。
そして、長年の付き合いがあり、仲が良かった柳さんを「同志であり、自分と同じように気にかけない人」だと思い込んでいた。
柳さんの側は「それはそれとして、払うものはちゃんと払ってほしい」と思いつつも、篠田さんや『創』との長年の関係などもあって、なかなか言い出せなかっただけなのに。


もちろん、柳さんだって、「金の亡者」じゃないと思うんですよ。
でも、「もらえるはずのものがもらえない。しかも、こちらはこんなにジリジリしているのに、相手は涼しい顔をして、まともに取り合ってくれない」というのは、すごくストレスだっただろうなあ、と。
篠田さんのことが嫌いじゃなかったから、7年間も「待った」のだろうし。


そもそも、「媒体を使って、なんらかの表現をする」という行為と「お金」については、人によってスタンスがあまりにも違いすぎるところがあるのです。


「仕事なんだから、お金をもらって書くのが当たり前」
「メディアで発言することが、自分自身や自分の作品の宣伝になる場合には、無償か廉価で書くことも戦略的にある」
「無償でも全然構わないから、自分の考えをメディアで伝えたい。話を聞いてほしい」


これらのさまざまなスタンスの人たちが、同じ「雑誌」(あるいはWEB)という媒体に寄稿しています。
商売としては、原稿料だってなるべく抑えたいでしょうけど、一般的には「読者を呼び込める書き手」というのは、タダではなかなか書いてくれない。


考えてみれば、ちょっと不思議な話で。
もし「搾取至上主義」であれば、柳さんのような看板になりうる作家に対して優先的に原稿料を払って、若手の「とりあえず雑誌に自分が書いたものを掲載して、実績をつくりたい」「自分の話を聞いてほしい」という人たちの原稿料を踏み倒せばよかったはずなのに。
もしかしたら、柳さんは人気作家だから、お金に困っていそうもないから後回し、ということだったのだろうか。
あるいは「同志」だったから?


人気作家だから、お金を持っているから、お金にこだわらないであろう、というのも「誤解」ではあるんですよね。



最相葉月さんの『星新一 一〇〇一話をつくった人』のなかで、星新一さんと筒井康隆さんの、こんなエピソードが紹介されていました。

 新一の筒井に対する感情があふれ出たのは、筒井が昭和62年に『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞を受賞し、さらに、井上靖吉行淳之介らが編集委員となった小学館の『昭和文学全集』シリーズに筒井の作品が選ばれることが決まり、新一には声がかからなかったときだった。筒井のパーティの二次会で、終始不機嫌に酒を飲んでいた新一は、有名人のおもしろい発言を集めた筒井の「諸家寸話」(「野生時代」昭和60年5月初出、『原始人』昭和62年9月刊所収)に言及し、筒井の妻もいる前でとうとう口にしてしまった。


「勝手に書きやがって……、人のこと書いて原稿料稼ぎやがって……」


 筒井が「諸家寸話」で紹介したのは、二人の間で交わされた次のようなやりとりだった。

貫禄
おれ「(星新一が原稿料の話ばかりするので)大作家ともあろうものが、あまり金の話をしてはいけません」


星新一「大作家だからこそ、平気で金の話ができるんです」


「お金」って、ステータスだと考えている人も世の中にはたくさんいる。
野球選手にも「年俸が自分の選手としての評価だ」と言う人がいます。
そして、「お金にこだわらないのが、人間としてカッコいい」と思っている人もいる。
大部分の人は、「お金がすべてではないが、お金のことにはこだわらずにはいられない」という感じなのでしょう。


もしこれが、コンビニでのアルバイトとか、引っ越し業者とかであれば「報酬を支払わないなんてありえない。ブラック企業というか、詐欺だろ!」と一刀両断できるのだけれど、こういう「表現」というジャンルとなると、「柳さんが言うことは、もっともなんだけど、なんかスッキリしない」のも僕の実感なんですよ。
なんでだろうなあ、こういうのって。



この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)

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