いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「作家」と「炎上芸人」


hagex.hatenadiary.jp


「作家」の定義とは何か?というのは、なかなか難しいところではあるのですが、この「はあちゅう」さんの件については、「肩書き云々よりも、あなた(はあちゅうさん)が気に食わない」ということで、バッシングしていた人もいたのではないかと。
 本人が「私はライターです」って言ったら、「お前なんかライターじゃねえ!取材もしてないくせに!」とか返されそうではありますし。


togetter.com


作家じゃなくて、「炎上芸人」だろ!というのも、「じゃあ、作家は炎上芸をやらないのか?」という疑問もあるのです。
最近、羽田圭介さんの『成功者K』を読んで、これはすごい「炎上小説」だな、と感心してしまったのです。
有名になった途端に、サイン会に来たファンや大学時代の同級生と寝まくる『性交者K』!
小説だから、どこまでがフィクションだかわからない、というのはあるんですけどね。
そういうのを「フィクションに昇華した」と受けとるか、「フィクションという逃げ道をつくった」と感じるかも、人それぞれ、なんでしょうけど。


小説家というのは、とくに日本の私小説の流れを汲んでいる純文学系の作家が「売れる」ためには、炎上芸的なことを意識的、あるいは無意識的にやらないと難しいのかもしれません。
太宰治(「純文学」かどうかは議論が分かれるところですが)なんて、何人もの女性と心中を繰り返していましたから、当時の人にとっては、「スキャンダル作家」だったでしょうし、僕が最も敬愛する筒井康隆さんには『大いなる助走』という、文学賞に落選した作家が選考委員に復讐するという作品がありました(これは筒井さんが「SFだから」という理由で直木賞を受賞できなかったことをきっかけに書かれたと言われています)。
恋愛小説とか、登場人物は著者と重ねられる運命だし。
それ以外にも、作品の内容とは無関係な「場外戦」として、芥川賞受賞時に石原都知事と喧嘩したことで話題になった田中慎弥さんや、お笑い芸人であることが売上げを押し上げた又吉直樹さん(僕は『火花』は傑作だと思っていますが、書いたのが又吉さんじゃなければ、さすがにあそこまでは売れなかったはず)など、作家の話題性が売上げをブーストした例は枚挙にいとまがありません。
百田尚樹さんのように「もう、作家が表に出ないほうが、作品にとってはプラスなのでは……」と感じる場合もあるんですけどね。


実際、「作家」って、学校の先生や弁護士や不動産鑑定士のように「資格が必要な職業」ではないので、「その人の解釈しだい」ではあるのです。
はあちゅうさんが「私は作家」と主張するのも、吉田豪さんが「はあちゅうさんは作家というよりライター」と言うのも、どちらかが正しい、というわけではなくて、お互いにとっての真実でしかない。
僕は、はあちゅうさんの「自分大好き」「恋愛の教祖」的な作風は苦手なので好んでは読みませんが(そもそも、恋愛ものって、苦手なんです。勝手にやってろよ、としか思えないことが多くて)、「セルフ炎上で話題になり、集まってきた人を相手に商売をする」というのは、いかにも「インターネット時代的」であるのと同時に「作家が生き残るための手段」としては、普遍的なものではあるのでしょう。
むしろ、自分の人生を賭けて大花火を打ち上げている太宰さんや筒井さんや羽田さんに比べると「少ない燃料、少ない犠牲で構ってもらえて、効率的」ですらあります。
みんな「叩きたい」から、「叩けるもの」を渇望していて、あまりにも叩くハードルが下がりすぎ、かえって「嫌いなはずのものを喜ばせている」ようにも感じるのです。


「作家」という仕事について、『13歳のハローワーク』という「13歳への職業案内」の本のなかで、村上龍さんはこう書いておられます。


www.13hw.com

13歳から「作家になりたいんですが」と相談を受けたら、「作家は人に残された最後の職業で、本当になろうと思えばいつでもなれるので、とりあえず今はほかのことに目を向けたほうがいいですよ」とアドバイスすべきだろう。


 この「最後の職業」だし、「本当になろうと思えばいつでもなれる」ということば、はじめて読んだときには、すごくインパクトがありました。
 作品の好き嫌い、あるいは優劣はあるとしても、何かを書いている人に「お前は作家じゃない」と他者が決めるべきではない。
 ただ、今回あらためて読み返してみると、村上龍さんは、この「職業解説」のなかで、こうも仰っているのです。

作家の条件とはただ1つ、社会に対し、あるいは特定の誰かに対し、伝える必要と価値のある情報を持っているかどうかだ。伝える必要と価値のある情報を持っていて、もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい。


「伝える必要と価値のある情報を持っているかどうか」
うーむ、そんな大層なものを持っている人は、そんなにいないのではないか?
でも、世の中には、多様な人がいて、多様な情報に対するニーズがある。
どんなにくだらなく思える話も、それを必要とする人は、世界にひとりやふたりくらいはいるのではないか?


「作家」って職業は本当に幅が広くて、この職業名にプライドを持っている人もいれば、自虐的に口にする人もいる。
 ちなみに「編集部の職業解説」には、こう書かれています。

正に実力の世界のため目指す人は多いが、作家として生きて行けるのはそのうちの一握りしかいない。


「資格職」ではなく、志望者が多いというのは、「誰にでもなれる可能性がある」一方で、激しい競争がある、ということにもつながっているのです。
そういう意味では、こうして現状生き残っている、はあちゅうさんは、けっこう凄い人なんですよね。
正直、「バッシングしている人以外の、誰が読んでいるんだろう?」とも思うのですが。
『コーヒーが冷めないうちに』が、ものすごく売れている、とかいうのも、僕にはよくわからないよ。
こうしてわかったようなことばかり書いてますけど、結局、自分の守備範囲外に飛んできたボールは、取れないんだよなあ。


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