いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

素晴らしい学歴や経歴を持っていて賢いはずの人が、どうして、役に立たず、害を与えるようなコンテンツをつくってしまうのか?


anond.hatelabo.jp
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 子どもの頃、『ザ・ベストテン』という番組の冒頭で、司会の黒柳徹子さん(もしかしたら、相方の久米宏さんだったかもしれない。記憶が曖昧ですみません)が、こんな話をしていました。

 私がこうやってテレビに出て仕事をしている1時間のうち、45分間は税金で、私の手元には残りません。だから払いたくない、というのではなくて、それだけ払っているからこそ、税金は有益に使ってもらいたい、と思っています。


 まだ小学生だった僕の率直な印象は「そんなに税金で持っていかれるくらい、この人は稼いでいるのか……」という驚きだったのだけれど、こうして自分が社会人になって、給与明細をみてみると、給与として勤め先から払われている金額のうち3割から4割近く、さまざまな税金とか保険料とかで引かれていて(僕がほとんど節税対策をしていない、というのもあるにせよ。でも、勤め人の節税対策なんて、たかが知れています)、この税金がなかったらなあ、なんて毎月思うのです。

 なんのかんの言っても、勤め人というのは、企業経由での健康保険とか年金とかもいろいろあって、優遇されてもいるんですけどね。仕事をしていなかった時期が1年くらいあったときには、国民健康保険の保険料の高さに驚愕したものなあ。
 企業側からすれば、人と一人雇うと、その人の給与の2倍のお金が毎月かかる、といわれているそうですし。

 最初に挙げたエントリのように、生活保護人工透析にかかる費用が税金から拠出されていることに対しては、「そういうことのために、税金っていうのはあるのだろう」と思っています。僕の場合、そういうシステムがなくなったら、医療という仕事そのものがさらに斜陽産業になってしまうのではないか、という打算も含まれているのですが。

 例のDaiGoさんの発言に関しては、炎上商法だとしたらあまりにも延焼範囲を狭く見積もりすぎだし、本心だとしたら、そういう発言がどれだけ人を傷つけ、自分の価値を落とすかも想像できない人が「メンタリスト」とか言って「金を稼いでいる」のか……と驚いてしまいます。

 DaiGoさんは、謝罪のなかで、「自分もいじめられていたことがある」と仰っていましたが、世の中には自分が逆境を乗り越えた経験があることによって、かえって、それを乗り越えられない他者に厳しくなるタイプの人って多いんですよね。「自分にできたんだから、あなたにできないはずがない!」って。人が置かれた境遇や状況というのはそれぞれ違うのに。


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 でも、「どうせあなたにはできないよね。しょうがないしょうがない。あきらめて気楽に生きようぜ!」みたいなスタンスも、それはそれで僕自身は抵抗があるのです。
 どうすればいいんだろうね本当に。

 そういえば、10年前くらいにひっきりなしに救急車が来る病院で当直をしていたときに、泥酔者が運ばれてきて、「俺は病院なんかに来たくなかったんだ!」と暴れまわり、なだめても、「お前らみたいなエリートさんたちに、俺の気持ちがわかるか!」とさんざん絡まれ、罵声を浴びせられたのを思い出しました。
 こっちは朝方まで一睡もできずにアドレナリンをドバドバ出して救急対応しているわけですよ。かなり疲れてもいるし、気が立ってもいる。

「わかるかボケ!酒を抜いてからきやがれ!」
 ……って、言いたくもなりますよね。言わなかったけど。


 長年ブログをやっていて、たまに「お金をいただいて文章を書く仕事」をすることもある人間としては、「結局、正しくて当たり前のこと」を真面目に書いても、誰も見向きもしてくれない、というのも痛感しているのです。
 
 誰が言ったかは忘れたけれど、「ネットでは、『面白いこと』か『役に立つこと』以外は、誰も読まない」。

 いやほんと、偉そうに書いていますが、僕だって、ネットニュースを見て、「鷲見玲奈さん、それが『水着』なのか?」とか悪態をついているのが日常なわけです。ネットニュース断ち、しているつもりだったのに、すでにけっこうリバウンドしています。


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 この本のなかに、こんな言葉が出てくるんですよ。

 私が教えている大学の授業で、学生の一人がこんな質問を投げかけてきました。
「ネットメディアの経営者の多くは、素晴らしい学歴や経歴を持っていて頭がいいはずなのに、どうして役に立たないような、害を与えるようなコンテンツをつくってしまうのでしょう」
 昨今の混乱したネットメディアの状況を見る限り、そうした疑問を持つことは至極まっとうだと私は感じました。しかし、その質問に答えるのであれば、大変に皮肉な話ですが、「彼らの頭がよすぎるからそうなった」という回答にたどり着く気がします。
 企業である以上、経営者に与えられた究極的な使命とは「お金を儲けること」です。優れた経営者ほど、その目的を達成するために要領のよい、最短ルートをつくることに勤しみ、その明晰な頭脳を駆使するでしょう。


 率直に言うと、僕はお金をいただいて文章を書くとき、自分の書いたものがPV(ページビュー)を稼げなかったり、同じメディアの他の執筆者よりも反応に乏しかったりすると、申し訳ない気持ちになるのです。
「いい記事だと思いますよ」と褒めてくれる人もいるのだけれど、「誰も読まない『いい記事』に存在意義はあるのか?」というのは、ネットで書いている人たちの共通の悩みでしょう。

 時間をかけて取材して書かれた海外の難民についての記事よりも、『ワイドナショー』で松本人志さんがこう言った、という記事のほうが読まれ、お金にもなるとすれば、多くの人がラクで稼げるほうに流れるのは必然ではないのか。


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 この本からは、『週刊文春』のスクープの現場や週刊誌全盛期の熱量が伝わってきました。
 紙の雑誌がどんどん売れなくなっていくなかで、『週刊文春』も、デジタル化、ネットでのニュース配信での収益化に舵を切ろうとしているのです。
 記事の内容がテレビで採りあげられるときに「使用料」を徴収するようにもなりました。
 そんな高い志があるのなら、芸能人のスキャンダルじゃなくて、政治家の汚職とかだけを追うようにすればいいのでは、とも思うのだけれど、実際に「売れる」記事は芸能人のスキャンダルのほうなんですよね。

 今のマスメディアは、くだらない記事ばかり、と言いたくなるのだけれど、メディア側の言い分としては、「ちゃんとした記事では稼げないから、『くだらない』と言われるゴシップでお金を稼いで、その利益で社会や政治などの硬派な内容を取材・発信している」のです。

 これまでの出版社やマスメディアの多くは「大衆ウケする出版物やニュース、そして広告」で稼いで、お金にはならないけれど、社会に広く知らしめたい、必要としている人がいる、儲からない本や記事を発信して、金銭的にバランスをとっていた、という面もあるのです。

 ところが、個人のYouTubeやブログで、「賢い人たちが、効率的にお金を稼ぐことだけに力を入れる」ようになると、良くも悪くも「注目される」「PVが稼げる」ものだけを採りあげるのが正義になりました。

 ヒカキンなどの一部の先駆者は、以前のGoogleのように”Don't Evil.”を貫いているようにみえますが、先行者利益が望めない現在では、「最初から有名な人がYouTubeをやるか、炎上芸、ケンカに徹するか」しかなくなってきています。

 DaiGoさんのような賢い人が、なぜあんなことを……というのではなく、賢い人だからこそ、より効率的に稼げる方法を狙ったのかもしれません。
 
 正直なところ、炎上からの対応・展開の早さからすると、予想外の炎上だったのか、それとも、「炎上から謝罪、ホームレスや生活保護受給者への関係者取材までパッケージングされたネタ」だったのか、判別しがたいような気もしています。
 
 「私の亡くなった母親が生活保護受給者だったら……」なんてくだりは、要するに、「身内のこと」と仮定するしか、想像、共感する手立てがないのか、そもそも、「共感」できなくても、セーフティネットの存在する社会は自分自身にもプラスだと考えられないのか、とも思いました。
 「こういう涙の謝罪が、いちばんみんな『効く』んだろ?」って見透かされているようで、僕は感じ悪かった。


 いかん、書こうと思っていたことを書く前に、こんなに字数を費やしてしまった。
 だからこのブログはPV稼げないんだよね。逆に言えば、ここではPVにこだわらなくていい、というのが僕にとっての居心地のよさなのですが。


 冒頭の『匿名ダイアリー』を読んだ人たちに知っておいてもらいたいのは、日本は、生活保護や貧困者への税収の再分配に関して、かなり厳しい、あるいは偏っている国である、ということなんですよ。にもかかわらず、「もっと制度を厳しくしろ!」という人が多いのです。そして、それを支持する人が少なくない。なぜそうなるのか?


 長くなるので、この話の続き(というか本題)は次回に。

 たぶん面白くはないけれど、少しは役に立つのではないかと。


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