いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

いま、ブログにできること、ブログだからできること。

参考リンク(1):俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠

これを読んで、久々にブログ論でも書いてみようかな、と思っていたのですが、あらためていろいろ考えてみると、

参考リンク(2):個人ブログの現在、そして、たぶん未来 - 琥珀色の戯言

2年前に書いたことから、そんなにアップデートされるべきこともないので、どうしようかな、という感じです。


まあ、とりあえず、今思いついたことをいくつか。


うちの息子も、もう4歳になりまして、なんとか元気に幼稚園に通っております。
このくらいの年齢の子ども、とくに男の子っていうのは、「ギャング・エイジ」なんて呼ばれたりして、「悪戯」が大好き。
親だからといって、朝忙しいときに全く着替えてくれず、ご飯も食べず、なかなか言う事も聞いてくれずに、口を開けば『クレヨンしんちゃん』ばりの困った言葉連発……


でも、そんなとき、僕は昔書いた、このエントリを思い出すわけです。

参考リンク(3):昨日、子供が生まれた。 - 琥珀色の戯言


うん、生まれたときは、こんなだったよね。
あのときの「初心」を思い出すと、いまの悩みなんて、贅沢なものじゃないか。


40年くらい生きていて、あらためて感じるのは、「人間は忘れる生き物だ」ということです。
いま、幼稚園や小学校時代のことを思い出そうとしても、すごくインパクトがあった、ごく一部のことしか、思い出せない。
(ちなみに、某有名作家が、「作家になる条件」として、「昔の記憶を、いつまでも生々しく持ち続けていられること」を挙げておられました)
いまの時代、さまざなま技術の進化で、画像、あるいは映像の記録を残すことは、そんなに難しくなくなっています。
ちょっとしたお金と、マメさがあれば。


でもね、「感情」って、なかなか記録に残らないんですよ。
自分では覚えているつもりでも、長年持っているうちに、けっこう「改変」されてしまうことも多いですし。
失恋体験とか、部活のシゴキなんて、リアルタイムでは「甘美」だったり、「あのときはよく頑張ったなあ」だったりするわけがないのに、いつのまにか、そういう「その後の人生経験で、上書きされた記憶」を、「当時のこと」として覚えているようなつもりになってしまう。
その当時、本当は、「とにかくつらかった」「顧問を殴って、部活なんてやめてやろうかと毎日思っていた」はずなのに。


残念ながら、こんなに技術が進んだ世の中でも、「感情を記録する」ためには、書き残すか、自分で喋ったものを録音・録画しておくしかないのです。
もちろん、そうやって記録することを意識すると「本当のナマの気持ち」から、少し変化した、修飾されたものが出来上がってしまうのですが、それでも、「20年後に思い出す」よりは、はるかにリアルタイムのものに近い記録になるはずです。


歴史の本などを読んでいても、「この人は、その時、本当は何を考えていたのか?」というのが、最もわからない。
自分が本当に考えていることなんて、自分自身でも、よくわからないものではあるとしても。


しばらく時間が経って、「リアルタイムでの自分の感情」に触れるのは、すごく興味深いことではあります。
それと同時に、すごく気恥ずかしくもありますが。


でも、それはたぶん、自分自身にとっては、けっこう価値があることではないかと思うのです。


もちろん、twitterでも書けないことはないのだけれど、分量的にまとまった文章を書くことや、他者からのリアルタイムの反応に影響されてしまいがちなことを考えると、感情の記録は「ブログ向き」ではないかな。


「ブログで有名になったり、お金を稼いだりする」ブロガーが目立ちやすいのは事実ですが、誰も実行しない「ライフハック」を延々と書き連ねるよりは、自分の感情を記録していくほうが、はるかに有意義なこともあるはずです。
自分が嵐やAKBのメンバーでもないかぎり、誰も他人の感情を、わざわざ記録しに来てくれたりはしませんから。
「他の人は誰も興味ないよ、読まないよ」
そうかもしれません。
でもね、「他人のことを書いたブログ」って、「書いた自分でさえ、まず読み返さない」ですからね。


ネットでのブログ、テキストサイト文化の最大の革命は「商業ベースには乗らないような個人の言葉が、多くの人に読まれる可能性を持つようになった」だと僕は考えています。
「お金が稼げる」=「商売」になると、どうしてもスポンサーや発注主に気を使わなければならないし、出版社や編集者などの「仲介者」は、お金にならない言葉に対しては、良いと思っても支援しにくい。
結局、「商売」にしようとすればするほと、ネットでは批判されがちな「マスメディア」に近づいてしまいます。


それなら、「金なんて要らないから、好きなことを書く」。
いやまあ、それは強がりであって、「どうせ稼げないのなら、『プロブロガー』の真似なんてしても、自分が書いたものにストレスが溜まるだけで、バカバカしい」。
それが許されるのは、むしろ「特権」なのだと僕は思うようにしています。


ブログにできること、ブログだからできることって、まだ、けっこうあるんじゃないかな。