いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「デスブログ」とか、カンニング竹山さんの「女性芸人差別」とか。

参考リンク(1):H-Yamaguchi.net: 「デスブログ」といういじめ

これは本当にその通りだと思うのです。
そもそも、「いま」のことをマメにブログに書いている人ならば、事件が起こればそれに関連していることをどこかに書いてある可能性は高い。
突き詰めれば、「Yahoo!ニュースはデスサイトだ!」とかいう話になってしまうわけで。


ちなみに、その『デスブログ』とか揶揄されているのは、このサイトなんですけどね(多くの人は知っているとは思いますが)。


参考リンク(2):東原亜希オフィシャルブログ 『ひがしはらですが?』



昨日、今週の月曜日に放送された『お試しかっ!』のスペシャルを録画で観ていたんですよ。
僕は『お試しかっ!』けっこう好きで、よく観るのですが、番組の冒頭で、ちょっと気になる場面があって。
その日のVIPゲストは、ドラマの番宣に出てきたらしい相武紗季さんだったのですけど、カンニング竹山さんが「相武さんだったら、『帰れま10』を外してもみんな怒らないと思う。でも、お前ら(女性芸人集団)が外したら許さん!」「俺は差別するからなっ!」と声高に宣言していたんですよね。

いや、あれはネタなんですよ、間違いなく。
言われる側の女性芸人たちも、「いじってもらってナンボ」だと、承知の上だったはず。
でも、僕は笑えなかった。
というか、不快だった。

ルックスが良い人がもてはやされるのは、男女問わず「ひとつの現実」ではあります。
もちろん、大部分の場面では「公言」されませんが。
僕だって、そりゃあそうだろうな、とは思う。

それでも、自分のルックスに自信が無い人間としては、見ていてつらかった。
「ネタ」だったら、「ルックスで差別する!」と公言しても良いのか?
とはいえ、そういうのも禁止!になってしまったら、その女性芸人たちにとっては、むしろ「メシのタネを奪われる」のかもしれない。


東原さんの場合、別に『デスブログ』を目指していたわけではないし、誰かが不幸になるような事件や事故と結びつけて語られるのは、やっぱり嫌だったと思います。
御本人もテレビ番組でそう仰っていましたし。
その一方で、自分のブログが「デスブログ」と言われていることを、お笑いトーク番組のネタにしたりもしていて、「嫌は嫌なんだろうけど……」と、こちらとしては困惑してしまいます。
もちろん、難病にかかった芸能人がそれをテレビで告白することでキャスティングされたとしても、それを「疾病利得だ!」と責めるのは筋違いでしょうし、結局のところ、「どうせだったら、利用してしまったほうがマシ。どうせみんな面白がって言っているだけなのだから」と割り切ってしまっている面もあるのでしょう。


僕は、『デスブログ』呼ばわりはもちろん、『お試しかっ!』の竹山さんの「ルックスいじり」も「ダメ」だと思います。
「相手は嫌がっていないのだから、良いんじゃないか」というのは、「いじめる側の理屈」です。
「いじめるつもりじゃなかった、いじっているつもりだった」というのと同じ。
「この人たちはそれで儲けているのだから」と「例外」をつくるのは、いじめる側の得意技です。
「いや、あれはコミュニケーションなんですよ。構ってもらって、あいつも喜んでいましたから」


「あれは芸能界という特殊な世界のことだし、本人たちもわかってやっていることだから」
「むしろ、気を遣われてしまうほうが、芸人としては困るんじゃない?」
まあ、実際に困るだろうな、とも思うのですが、それが「ネタ」として成立してしまうこと、そして、「いじめ撲滅!」とか言っている人のなかにも、「あれはネタだから」と受け容れてしまう人もいることに、僕は納得いかないのです。


ただ、「そこまで潔癖なのが、本当に正しいのか?」という迷いは、正直あります。
バラエティ番組の「ネタ」が、いじめの「お手本」になっているといるように思われる一方で、人間って、そこまで聖なるものじゃないから、こういうお笑い番組が「ガス抜き」として必要なのかもしれない、とも考えてしまって。

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