いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

伊集院光さんの『らじおと』降板騒動と「ラジオの終わり」


jisin.jp


 本当に、大功労者であり、現在も多くのリスナーに愛されている伊集院さんにこんな仕打ちをするTBSラジオって終わっているな……と思いながら読んだのです。


 でも、あらためて考えてみると、僕は伊集院さんの深夜放送はけっこう長い間聴いていたけれど(いまは聴いてないです。睡眠導入剤を飲んで夜更かししないようにしているので)、『伊集院光とらじおと』は一度も聴いたことがないんですよね。放送時間は大概仕事中だし、ラジコで聴こうとまでは思わない。
 
 10代、20代では、勉強するときにラジオが欠かせず、その後も車を運転するときにはラジオ番組を聴いていることも多かったのだけれど(ラジオ番組って、けっこうブログのネタにできる話を聴けるというのもあって)、最近はラジコで村上春樹さんが月に1回やっている『村上RADIO』と、何か事件が起こったときに、ナインティナインのオールナイトニッポンを聴くくらいになってしまいました。
 「他のことをやりながら聴ける」というのがラジオの強みではあるのだけれど、最近では、YouTubeを流しながらブログを書いたり、仕事をする、というのがお決まりのパターンです。あとは、何度も観た回の『ゲームセンターCX』を流しながら、というのもあります(初見の回はもったいないので、ちゃんと休みの前日に大きなテレビで集中して観ます)。

 この伊集院光さんのラジオ番組の件に関しては、伊集院さん、あんなにラジオを大事にしているのに、こんなことで降板だなんて、リスナーにとっても不幸な話だよな……とは思うのです。
 その一方で、「芸の世界」で生きてきた伊集院さんの価値観と、世の中のコンプライアンス的なものがズレてきたのも感じるんですよ。


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番組の顔である伊集院さんに「お前、降板スレスレだからな」と言われたら、けっこうキツイと思うんですよ。

たとえば、自分が勤めている会社で、上司の部長に「お前、クビにするかどうかギリギリだからな」と言われたら、どんな気持ちになるか。
やっぱり「パワハラ」だと感じるのではなかろうか。

芸能界やスポーツ界は「実力と結果の世界」だから、一般企業とは別、なのだろうか。

僕だって、売れないアーティストを事務所がずっと雇っておけ、とか、長年結果を出せない二軍選手をクビにするな、と言うつもりは全くありません。

でも、間違いや足りない点を指摘するのも、やり方やタイミング、言葉の強さに注意すべき、というのが、いまの「コンプライアンス社会」なんですよね。

ネットでは、実社会以上に「パワハラ」「セクハラ」について、厳格な態度をとる人が目立つ印象があるのですが、この伊集院さんの件に関しては、「伊集院さんは悪くない」「黙ってクビにするのではなく、間違いを指摘するだけ優しい」というコメントが支持されているように感じます。「こんなことを週刊誌にリークするのは、TBS関係者にも問題があるのではないか」と考えている人も多いようです。

この件について考え始めると長くなりそうなので手短かに言うと、「コンプライアンスに厳格なのではなくて、『自分が好きな人、好感を持っている存在』には甘いし、『嫌いなヤツ』は、たいしたことじゃなくても叩く、という回路ができている人が多い」と僕は感じたのです。

個人的には「今回の伊集院さんのプレッシャーのかけ方にはかなりの問題があるが、この件だけでレッドカードを出すのは酷だろう」と考えています(やっぱり「これまでの功績や好感度」を排するのは難しいですよね……)。


 僕も伊集院さんのエッセイは素晴らしく面白いと思うし、ラジオも好きです。
 昔のラジオを聴いていた人間としては、「深夜放送でさえ、ポリコレ(政治的正しさ)に厳しくなっている」という状況には、寂しさもあるのです。
 ビートたけしさんや中島みゆきさんがパーソナリティをやっていた、僕が夢中になって聴いていた時代には、深夜ラジオには「制約から解き放たれた時間」という雰囲気もありました。

 笑福亭鶴光オールナイトニッポンとか、今あの内容で放送されたら、半分くらいの時間帯は「セクハラ」「パワハラ」と見なされるのではなかろうか。相手も承知の上とはいえ、アシスタントの若い女性タレントを「崖っぷちトリオ」とか弄っていましたし。


 例のごとく、前置きが長くなりました。


 僕が伊集院光さんの降板騒動については、「ラジオそのものが、もうオワコンなのではないか(オワコン=コンテンツとしての限界、終焉)」と思うのです。

 伊集院さんも、これだけのファンがいて、ラジオでは制作費も十分にかけられない、というのであれば、いっそのことYouTubeで番組を配信していったほうが良いのではなかろうか。
 もちろん、現状ではYouTubeではラジオのオビ番組ほど稼げない、あるいは聴ける人が限られる、スマートフォンのデータ量の消費など、リスナーの負担が増える、などのデメリットも大きいのでしょうし、これまで続けてきたラジオ番組というフォーマットへの愛着、というのもありそうです。
 とはいえ、僕自身も、「ラジオの代わりに、YouTubeを流す」ことが家でも車でもほとんどになっているのは事実です(車だと画面は観られないので音だけになってしまいますが)。
 ラジオの場合は、「積極的に聴こうとしていたわけではなく、カーラジオから流れてきた話がすごく面白かった」という偶然性が魅力ではあるのですが、正直なところ、それを期待してラジオ番組を何気なくかけておくのは、時間がもったいなく感じるようになってしまっているのです。
 YouTubeの動画にしても、最近は20分以内で終わるものを選ぶことが多いですし。

 ラジオの職人であり、レジェンドの伊集院さんに対する敬意が欠けている、とTBSラジオを批判するのもわかる。
 ただ、ラジオ局のほうも、テレビでさえオワコンだと言われ、広告費がネットに流れているこの時代に、「今のままのラジオでは、もう長くはもたない」という意識はありそうです。それがうまくいっているかどうかはさておき、若いリスナーに興味を持ってもらうために、「新しいことをやるしかない」と考えるのもわかります。

 そもそも、今の10代だと、「ラジオ番組なんて、ネットでの炎上騒動以外では、どんな内容なのか聴いたことがない」という人も多いのではなかろうか。通勤・通学中だって、公共交通機関を利用するのであれば、アマゾンプライムやネットフリックスなど、サブスクリプション(定額制)で「動画」を見ることだってできますし。
 ラジコはすごく便利ではあるのですが、ラジコのおかげでラジオを聴く人が劇的に増えた、という話も聞きません。
 おそらく、「既存のリスナー離れ」には一定の効果はあるのでしょうけど、「決定的な終わりを遅らせている」のが実状なのかもしれません。
 病院に入院中の高齢の患者さんをみていると、ラジオは癒しになっていると思うのですが、入院する世代が変わっていけば、ラジオを聴く人も少なくなっていきそうです。

 現状、ラジオというメディアは、そのリスナー数や広告収入に比べて、「公のメディア」として、何か失言や不祥事が起こった場合のリスクが高くなりすぎている面もあります。
 この『らじおと』の騒動にしても、「番組は聴いたことがないけれど、ネットで『パワハラ騒動』を知った」「ラジオなんてほとんど聴かないけれど、TBSラジオ許すまじ。伊集院さんがんばれ!」みたいな人が大勢いそうです(こうして言及している僕も『らじおと』は聴いたことがないのは、申し訳ない)。

 もちろん、好きな番組があったり、ラジオという文化を大切に思っていたりする人がいるのはわかります。
 僕だって、ずっとラジオを聴いてきたから。

 でも、今回の『らじおと』に関する騒ぎには、どちらが正しいとかいうよりも、「もう、ラジオは『オワコン』だってことじゃない?」と考えずにはいられませんでした。

 伊集院さんが、気心知れたスタッフを集めて、YouTubeで定期的に番組を配信すれば、本当に、ラジオは終わってしまうかもしれません。
 それでは、コスト的に見合わない、伊集院さんの収入が劇的に下がってしまう、というのであれば、テレビ局やラジオ局の「お金を集める力」は、まだまだ疎かにはできない、ということですよね。

 最近のネット動画をみていると、「視聴数を稼ぐノウハウ」を追い求めて、同じようなコラボ動画か、「はじめて〇〇やってみた」ばかりになっているように思えて、創り込まれたオールドメディアが見直される可能性もありそうですが。


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