いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「オタクってただの趣味だよ」って言える世代は、正直、うらやましいよ。


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上の世代と言っても私も今年30歳になったばかりなんだけど、はてなとかツイッター見てると40~60代と思しき人のオタク差別意識見るとビックリする。

オタクを人間扱いしてなかったり、どういう罵倒をしてもいいと思ってたり、最近はオタクが統一協会と関わりがあると言い出したり・・・・・正気になって、オタクってただの趣味だよ?世の中のオタクはただ同じ趣味なだけの他人だよ?

ああいうの見てると、やっぱり世代なのかなと思う。


 これを読んで、もうすぐ50歳になる僕は「えっ?」って思ったんですよ。
 僕自身は「なんとか他人に『オタク』であることを気づかれない程度のオタクレベルをキープして学生時代を生き延びてきた人間」だったのです。
 「オタクってただの趣味だよ」って言える世代は、正直、うらやましいよ。


fujipon.hatenablog.com

新井素子さんや飯間さんの証言と僕の経験、そして、あの時代を描いた書籍などから考えると、1980年代前半は「おたく」を異端視する人はいたけれど、本人たちはそれなりに楽しくやっていた時代で、1980年代の終わりから、1990年代にかけて、「おたく」にとっては生きづらい時代があり、21世紀に入ってからは、「復権」したというか、「カジュアルオタク」が個性として認められるようになってきた、という流れになりそうです。
昔の「オタク」は、相手が話を聞いているかどうかなんて関係なく、自分の興味があることを延々と語り続けるような人ばかりだったけれど、いまは、あまり話題のない飲み会での会話の糸口として「俺って○○オタクなんだよね〜」と異性に語りかけ、「で、いま、付き合っている人いるの?」に繋げてしまう人さえいるのです。
いや、同じ「オタク」でも、その意味が違ってきているというか、昔のオタクには「自分の知識やこだわりに対する自信と覚悟」があったような気がします。「オタク」であるからには、そのジャンルのことで質問されたら「知らない」と答えることが許されない、というような。まあ、基本的には、面白くて、扱いが難しい人たちだったのだけれど。
僕は「オタク属性っぽいけれど、ひとつのことにこだわり抜けるほどの持続力がない」人間なので、彼らが羨ましくもあり、相槌をうつのがめんどくさくなることもあったのだよなあ。


ちなみに、この転換点となった1989年に、あの「宮﨑勤事件」が起こっています。
その宮﨑勤を論じる存在として、「宅八郎」さんがいて、彼らが「オタク」のアイコンとして世間に認識されてしまっていたのです。
長髪、メガネ、アニメのTシャツ(『うる星やつら』のラムちゃん、とか!)、リュックサックを背負い、自分の言いたいことだけを一方的に話す、そんな人たち、というのが「オタク」のイメージでした。
「オタク」は、あの連続殺人犯の「予備軍」として、弾圧されることになったのです。


 僕自身は、「オタク」だったかと言われると、「そんなたいしたものじゃないです」と言わざるをえないんですよ。
 あの、弾圧されていた時代、1980年代の「オタク」は、「ただの趣味」というより、「生きざま」みたいなところがあったから。
 どんなに世間に白眼視されても、自分はこれが好きなんだ、という信念めいたものがあったし、ネット時代みたいに仲間を簡単に見つけることもできなかった。


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 これ、あの岡田斗司夫さんが書いた本なのですが、現在の岡田さんの活動や人間性はさておき(そもそも、「オタクなんて、自分のことと好きなもののことしか考えていない、ぶっ壊れた人間」だと僕は若い頃認識していて、だからこそ僕はオタクになる勇気もなく、友人に「お前はなんでもそれなりに知っているが、これが好き、とかこれなら任せろ、というものは無い『広く浅く』の人間だな」と言われていたものです)、これを読むと、昔の「オタク(おたく)」の矜持、みたいなものがうかがえるのです。


 同じ「オタク」という言葉で語られているけれど、1958年生まれの岡田斗司夫さんにとっては、この本が出た2008年の時点で、「オタクはすでに死んでいた」わけです。

 第二世代というのは、現在(引用者注:2008年)の20代終わりから30代半ば過ぎくらいの人たちです。この人たちの青春時代は、前述の宮崎勤や、おたく評論家として一時テレビでもお馴染みだった宅八郎さんのおかげで「おたく」という言葉や概念が一般に浸透した時代でした。そのため、差別されたという苦い思い出を持っている世代でもあります。
 もともとは子供の頃に、マンガやアニメが好きで幸せなはずでした。そこは第一世代と同じです。それなのに、宮崎勤のせいで、親に「あんたもそうじゃないの」と思われ、宅八郎さんが出てきたときに、「あれと一緒にされたらかなわん」と思ったわけです。
 大体、80年代後半から、オウム真理教地下鉄サリン事件を起こした1995年までが青春期だった人たちです。
 ちなみに、私たち第一世代の人間は、宅八郎さんを見て苦々しく思ったりはしませんでした。「一緒にされたらかなわん」どころか、「おお、あんなの出てきたんか、面白い、面白い」と言っていたくらいです。なぜ大らかに見ていられたかについては前述の通り、「世間の理解などハナっから期待していない」からなんですね。
 第二世代のオタクの特徴は「オタク論が大好き」ということに尽きます。彼らにとってオタク趣味とは「生き甲斐」であると同時に、「いつの間にか背負わされた十字架」でもあります。「なんで自分はこんなものが好きなんだ」という問題意識と、それを世間に認めてもらいたい強烈な願望が、オタク論を語る口調を熱くさせるわけです。

 ここで断っておきたいのは、マンガやアニメやゲームなどの、個々の「オタク作品」が死んだ/ダメになったと言っているのではありません。それぞれの作品は相変わらず存在していますし、それぞれのファンも楽しく生きているわけです。
 では何が「死んだ」のか。
 それは従来のオタクが共有していた共通意識です。それが喪失されたということなのです。
「俺たちオタクだから」と思っている人たちが共通して持っていた意識、共通基盤みたいなものが急激に崩れてきた。先ほど使ったたとえで言えば「みんなが住んでいた『オタク大陸そのもの』が沈んだ」ということでしょうか?
 オタクたちが住んでいた大陸が沈み、いまやオタクたちは「ジャンルごとの避難船に分乗している難民」なのです。
「あれ、俺たちの住んでいるところ、沈んじゃったよ」みたいな、そんな感じがすごくする。アニメとかフィギュアとかミリタリーという、各民族が平和に共存していた大陸がなくなっちゃったなあ、ということです。
「俺たちオタクだから、仲良くやっていこうよ」みたいな感覚や時代が終わってしまったのです。アトランティス大陸がなくなってしまった。

 旧約聖書で例えれば、バベルの塔のようなものです。かつて言葉は一つだった。ところが塔を作ったら神様が怒ってしまった。バベルの塔は崩れて、みんなお互いに言葉が通じなくなってしまった。そして人はバラバラになって、人の心は二度と通じ合わなくなりました。
 かつてオタクは一つだった。ところが、ネットを作りブログができてブームを迎えて「萌え」と言い出した頃から、急速にお互いの言葉が通じなくなった。そしてオタクはバラバラになって……、と似たような話になるわけです。

 ひょっとすると私だけが誤解していたかもしれないけれども、「私たちオタク」という一体感みたいなもの。世間がクリスマスとはしゃいでいるときに「俺たちはコミケがいい」と言って団結できる、そういう「世間から外れたもの同士の仲間感覚」みたいなものがあった。
 今のたとえを使っても「でも俺、コミケ行かないから関係ない」と思わない、そういう意識。
 というような、なんとなく共有・共通している文化みたいなものが、なくなってしまっていたのです。


 僕が子どもだった頃、1970年代くらいの『宇宙戦艦ヤマト』の映画版や雑誌『OUT』などを基盤とした「第一世代」の「オタク」って、本当にめんどくさい人たちだったし、ある意味、社会的不適合者的なところもあったのです。
 岡田斗司夫さんは、10代の頃に本を1万冊読んだ、という話をされていましたし、ミステリマニアは、「ミステリを語るのなら、まず1000冊読んでから来い。話はそれからだ」みたいな姿勢を貫いていました。

 自他共に認める「オタク」になるのは大変だったし、なっても社会的には「変な人」扱いだし(ごく少数の仲間内では尊敬されているのですが)、弾圧されまくっていた時代の、新興宗教の初期信者みたいなものですよね。
 あるいは、まだ体罰やシゴキがあたりまえだった時代の運動部の部員。

 そこで、体罰や後輩へのシゴキがなくなって、「時代は変わった、よかったね!」で済ませられる人だけなら良いのだけれど、人間というのは、自分がそういう「過去の弾圧」を受けた立場だった場合、「なんで俺たちばっかり酷い目にあわされたんだ、こんなの不公平じゃないか!」とか思うことも少なくない。
 だから、先輩から後輩へのシゴキとかイビリ、かわいがり、みたいなのがなかなか無くならない。
 「やられたことを、やりかえさずに我慢する、負の連鎖を断ち切る」というのは、当事者にとっては、外からのイメージよりずっと難しいことなのです。


 ちょっと脱線してしまいました。

 冒頭のエントリの増田さん(「はてな匿名ダイアリー」の著者)が仰っていることはわかるのです。
 たしかに、あの「宮崎勤事件」をリアルタイムで経験したかどうかで、「オタク」に対するイメージが変わってしまっているのです。

 あの「弾圧」を経験してきた人たちは、「アニメやマンガが好き」ってカジュアルに言える世界に、羨ましさとともに、「俺たち(私たち)の世界にまで、リア充たちが我が物顔で乗り込んできやがった」という不快感もあるのではなかろうか。

 棄民たちが、みんな見向きもしなかった痩せた土地を開墾し、インフラも整備し、やっと住みやすくなったと思ったら、「おっ、ここいいじゃん!」って、全く苦労していなかった人たちが、そこに住んで快適な生活を享受するようになった。

 「自分が好きなものが、多くの人に認められること」を望んでいたはずなのに、本当にそうなってしまうと、なんだか腹立たしい。
 まあ、こういうのって、オタクに限らないですよね。バンドをブレイクする前から応援していた人たちも「売れてダメになった」とか、よく言っているし。

「オタク」であることが、「生きざま」であったり、「差別される要因」であった時代を生きてきた世代、「オタクである」というだけで、ジャンルは違っても「共感」できていた人々と、「正気になって、オタクってただの趣味だよ?世の中のオタクはただ同じ趣味なだけの他人だよ?」と、さらりと言ってしまえる世代が、そう簡単に「わかりあえる」とは思えないのです。


 個人的には、若い世代は、もう、昔のオタク世代の言うことは聞き流して、彼らが退場していくのを待っているしかないのでは、と思っています。結局、世の中の「常識」の完全な変化は、世代交代によってしかもたらされない。まあ、ときには昔話でもさせてくれ。
 同じ「オタク」でも、定義というか、その言葉が指している中身がここまで変わってしまっていては、議論そのものが噛み合わないでしょうし。

 というか、アニメとかマンガなんて、もう「オタク趣味」ではないよね。
 『エヴァンゲリオン』の旧劇場版では、『エヴァ』の映画を観るために劇場に集まった人たちを庵野秀明監督は「ネタ」にして物議を醸したけれども、『シン・エヴァンゲリオン』では、「現実に帰れ」というメッセージは薄められました。むしろ、「もはや、フィクションもノンフィクションもシームレスな世界に、われわれは生きているのだ」と僕は感じずにはいられなかった。


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 冒頭のエントリには、こんな記述もあります。

(昔はキモイとか偏見もあったけど)今はもう、アニメとかソシャゲとかにちょっと触れてるだけでもオタクという感覚なので、「映画が好き」な人を憎んでるみたいな、上手く説明できないけど「そんな憎しみの対象にするほど具体的な属性じゃなくない!?」というビックリがある。


 これに関して言えば、「映画は不良が観るもの」とされていた時代もあるのです(筒井康隆さんの『不良少年の映画史』という著作なども参考になると思います)。新しい娯楽とか文化って、大概、「年配層に憎まれたり、偏見を持たれる」ものではあるんですよ。



 何度もこの話をしているのですが、ゲームセンターも、30~40年前は「不良のたまり場」で、夏休み前には「インベーダーに行くな」と言われていたものです。カツアゲや補導員にビクビクしながら、僕もゲーセン通いをしていました。


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 歴史は繰り返す、というか、いつのまにか「オタク」は「死の宣告」ではなくなっていました。
 「俺ってオタクだからさあ~」なんて気軽に口にできる時代になったし、それに対して、「じゃあ、手始めに『ノックスの十戒』を言ってみろ!」という人も存在しなくなりました。


 ただ、僕のような古い人間からみると、マンガ、アニメ、ゲームなどは、とっつきやすいし、わかりやすく見える表現形態なだけに、受け手が無防備に受け入れてしまいやすい、とも感じるのです。
 インターネットもそうですよね。冷静に考えれば、メディアで発言している「専門家」と、本当はどこの誰だかわからない「ネットのインフルエンサー」のどちらが信頼度が高いかなんて、すぐにわかるはずなのに、人は「自発的に見た、知った(と思っている)ことを信じやすい」のです。

 「オタク的な趣味」とか「ネットの仲間意識」につけこんで人の心を操ったり、お金を稼ごうという人やコンテンツって、本当に多いんですよ。しかも、どんどん増えてきている。
 僕も、「オタク的な人間」なだけに、そういうものには警鐘を鳴らしたくなるのですが、きっと、そういうのって、若者にとっては「うっせーわ」以外の何物でもないんだろうな……


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