明治時代、読書といえば四書五経のようなマジメな漢籍を読むことであり、絵空事を書いた「小説」は読書のうちに入らないとされていた。で、「小説のような悪書を読むのは不健全である」と新聞で論じられたりもした。ひとえに小説が新しいメディアで当時の大人達が慣れてなかったのである
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26
1950年代に漫画が悪書扱いされ、日本各地で焚書まがいの弾圧が行われていたのは有名だが、そのころ漫画を取り上げられて泣いていた子供たちが成長し老人になった今、誰も手塚治虫の漫画を悪書と呼ぶものはいない。
— こなたま(CV:渡辺久美子) (@MyoyoShinnyo) 2014, 11月 26
このツイートを読んで、以前、ネットで書いたことへの、意外な反響に驚いたのを思いだしました。
僕が子どもの頃、いまから30年くらい前だから、1980年代前半くらいのテレビゲームの話を書いたときのことです。
当時は、「ゲームセンターは不良のたまり場」と呼ばれていて、遊んでいると、中学生にカツアゲされたり、補導員に「きみ、どこの小学校?」と声をかけられ、「指導」されたりしていた。
というのを書いたら、読んだ人から、「そんなことあるわけない」「お前の脳内だろ」「それ、『1984』の世界線?」などと少なからず疑念を呈されてしまったのです。
いや、これ、まぎれもない事実だから。
1980年代前半は「小学生はインベーダー(当時のゲーム機は、みんな『インベーダー』よばわりされていました)禁止!」「ゲームセンターのような盛り場には近づかないように」などと、夏休みの前などには、必ず注意されていたものです。
女子は、「テレビゲーム」という言葉を聞くだけで、「オタク男子がやるもの」だと眉をひそめていたものです。
あんなものに1回100円も使うなんて、信じられない!
100円あれば、ジュースもお菓子も買えるのに!
当時の僕にとっても、100円というのは、けっして安くはなかったのです。
200円あれば『週刊少年ジャンプ』1冊買えたしね。
そもそも、200円でテレビゲームをやろうとしたら、何分もつか……
僕が最初にインベーダーゲームをやったときは、「800点」だったものなあ。
あまりにすぐに終わってしまって、啞然としてしまいました。
『ゲームセンターあらし』では、こんなものじゃなかったはずなのに!
それでも、僕はコソコソとゲームセンターに通っていたのです。
補導員と不良におびえつつ。
当時は、テレビゲームという「新しい遊び」が、キラキラと輝いていたんだよなあ。
お金がなかったので、椅子に座って、デモ画面を見ながらジョイスティックをガチャガチャするだけでもけっこう幸せだったし、ときどき、『リブルラブル』からチャカチャカした音楽が鳴り響くのを聴くだけでも、ワクワクしていたのです。
30年前の「テレビゲーム」は不良育成ツールみたいなものとみなされていて、「お金は使う、目は悪くなる、不良と付き合うようになる、勉強しなくなってバカになる」と、PTAからは目の敵にされていました。
本当に、そんな時代が、あったんですよ。
僕の親〜祖父母世代となると、「映画を観る」のが、「不良のやること」だったのだそうです。
筒井康隆さんに『不良少年の映画史』という作品があるのですが、それを僕が読んだ頃には、「映画」というのは、「高尚とはいかないが、ごく一般的かつまともな趣味のひとつ」だと認識されていたので、「映画を観るのが、不良のやることなの?」と驚いた記憶があります。
現在、2014年に「テレビゲームは不良のやるもの」だと考えている親は、絶滅危惧種レベルでしょう。
勉強はしなくなるし、目も悪くなるし、親からすれば困ったものではありますが、自分たちも子どもの頃、同じように遊んでいた記憶があると、「ま、しょうがないな」としか言いようがないんですよねやっぱり。
僕は仕事で20代前半くらいの人と接する機会があるのですが、彼らに「物心がついたときには、スーパーファミコンの時代でした」なんてサラリと言われると、カセットビジョンの『きこりの与作』でさえ小学校高学年だった僕は、彼らの「テレビゲームネイティブ」っぷりに絶句してしまうのです。
それも、男女関係なく、みんなテレビゲームの話をしてくれる。
もう、「あたりまえの娯楽」なんですよね、テレビゲームって。
そりゃ、彼らにとっては、「ゲームセンターは不良のたまり場」なんて言われたら、「ハァ?」って気分になるのも無理ないか。
いまの「テレビゲーム」に関する世間の温かい目を考えると、冒頭のツイートにあるように、「子どもの頃に、その遊びや文化にどっぷり漬かってきた人たちが大人になり、親になることが、つまり、世代交代が進んでいくことが、新しい文化が認知されるためには必要なのかもしれないな、と思います。
「いまの世界の大人たち」に迎合するよりは、「子どもたちに愛されて、彼らが成長するまで、一緒に歩みを続ける」。
30年前には、レジスタンスの闘士のような気分で「地下ゲームセンター」に潜入し、「警察が来た!」と誰かが声をあげたのを聞いて、トイレの窓から逃げ出したことがある人間にしか、わからない「テレビゲームがダークサイドだった時代」があったのですよ。
そして、当時の僕は、40歳を過ぎても、自分がテレビゲームをやり続けているなんて予想していませんでした。
大人はテレビゲームなんてやらないものだと思っていたら、いつのまにか、自分がそんな大人になっていた。
自分でこれだけやってりゃ、子どもに「やるな」とも言えないよね。
参考リンク:夢を運ぶもの(これがその「以前書いたもの」です)
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