いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ハ行」が苦手な僕が、「眼を酷使しない趣味」を考えてみた。


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 なんて身につまされる話なんだ……
 物心ついてからはずっとインドア派で、趣味は読書、テレビゲーム、インターネット。
 自分でも、「目を酷使する趣味ばっかりだなあ」と思ってはいたのです。
 
 そして、迎えた40代後半。
 認めたくはなかったけれど、ヤツは確実に忍び寄ってきています。
 ヤツの名は、老眼。

 昔、自分の父親が「近くのものが見づらくなった」と、かけている眼鏡をわざわざ外して文字を見ていたのを思い出します。
 当時の僕の実感としては「遠くのものが見えないのはわかるが、近くの文字が見えないって、なんかよくわからないな」だったんですよ。
 しかし、いま僕も、同じような眼の変化に直面しているのです。

 老眼が、こんなにもストレスフルなものだとは、思わなかったよ。
 いま、僕が本を読んでいて、もっとも困っているのが、「ハ行の濁音と半濁音の判別がつらい」ことなんですよ。
 まあ、ハ行以外には無いんですけどね、半濁音。
電子書籍スマートフォンで、文字の大きさ標準で読んでいると、「これは『バ』なの? それとも『パ』なの? はっきりせえよもう!」みたいなことが頻繁にあって、かなりのストレスなのです。
 おそらく、どっちでも大意には影響なし、というケースがほとんどなんでしょうけど、僕はそれが気になって仕方がない。
 既知の単語とか文脈的に判断できることも多いのですが、「たぶん『パ』なんだろうけど、確信が持てない……」という場合には、やっぱり引っかかって、文字を大きくして確認することも少なくありません。


 そして、長時間本を読もうとすると、かなり疲れます。
 映画のDVDも、家で1時間くらいみていると、眠くなってくる。
 車の運転も薄暮のときはまぶしく感じて用心しなければならないし、テレビゲームもアクションゲームはつらく、それ以外でも文字が潰れているとイライラする。
 おそらく、もう遠近両用メガネの出番なのでしょうね。
 知り合いの外科医は「もうそろそろ細かい手術はきつくなってきた」と嘆いていました。
 人間は眼と歯と骨から弱る、というのは、こういうことなのか、と僕も日々実感しています。

 いまのところは、「老い」が悲しいというよりは、自分の身体の変化に困惑したり、未知の体験としてブログのネタにしたりしている、という段階ではありますが。


 「眼に負担がかかる趣味ばかり」というのは、僕も昔から危惧していて、少しでも「眼を使わないで時間を過ごす方法」が無いかと考えてきました。
 でも、実際にやってみると、「見ない、あるいは集中して見ないでできる娯楽」というのは、けっこう限られているのです。

 そのなかで、いくつか思いついたものを挙げてみます。
 ただし、アウトドア系は除外します(書ききれないし、正直、僕にはよくわからないので)



(1)音楽鑑賞
 誰もが最初に思いつくはず。しかし、「純粋に音楽だけを聴いてリラックスしながら過ごす」のは、僕にはけっこう難しかった。
 音楽を聴きながら何かをする(本を読むとか勉強をするとか)となると、あんまり意味ないですよね。



(2)ラジオや落語を聞く、ポッドキャストAmazon Audibleを利用する
 僕には音楽よりもこちらのほうが性に合っているようです。
 眠れない夜とかは、ラジオや落語などを聞きながら、目をつぶって横になっています。
 ラジオに関しては、「誰かが自分に関係ない世間話をしている声」って、僕はけっこう癒されるんですよね。誰かと話したい気分ではないときでも。
 あらためて考えてみると、話好きの人にとっては「誰かと喋る」というのは、眼に負担をかけない趣味になりますね。僕にはハードルが高いけれど。


Audible (オーディブル) - 本を聴くAmazonのサービス

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サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福

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 あと、落語やaudibleを寝る前に聴いていると、「いつのまにか、なんとなく頭に入っている」という感じもします。『家出のドリッピー』戦術、とでも言えばいいのか。



(3)食べる(あるいは料理をする)
 こうしてみると、人間の娯楽というのは、五感の何かを酷使しないと難しいものではありますね。
 これも定番ではありますが、難点としては、これで潰せる時間には限界がある、ということでしょう。



(4)散歩
 まあ、散歩が面白いと思えるのであれば、眼の酷使が不安にならないよな、とも思うのですが、年を重ねてくると、30分くらいブラブラ歩くのは案外楽しいこともあります。
 ただ、散歩のための散歩というよりは、いつも車で行っているコンビニに歩いて行ってみる、というような目的がないと僕はまだつらいです。



(5)将棋、囲碁
 少なくとも読書やテレビゲームよりは、眼の負担は少ないはずですが、今は将棋の対戦相手を探そうと思えば、ネットで探したほうが早いし、人間相手よりも対局ソフトで、という人も多いですよね。



(6)風呂、サウナ
 眼の負担も軽いし、ドライアイも(一時的にでも)解消されて万々歳! と言いたいところなのですが、個人的には手間の割に消費する時間が短いのと、他人と一緒にお風呂に入るのが好きじゃないのです。眼が悪いと公衆浴場に入るのって、気も眼もけっこう使うよね。



(7)寝る(あるいは瞑想する)
 究極的にはここに行きつくしかないのかもしれません。
 


(番外)『リアルサウンド』をプレイする
fujipon.hatenadiary.com
 これ、発想も内容も僕は大好きなんだけどなあ。
 画面がぐるぐる回るとすぐに「画面酔い」してしまう僕には、最近のゲームはつらいものが多いのです。


fujipon.hatenablog.com


 こうしてみると、「視ることが難しくなっても可能な趣味や娯楽」というのは、けっこう限られていることを思い知らされます。
 ここに挙げているものだって、「まったく視えない」と楽しみづらいものが多いのです。

 ただ、こんなに運動不足だと、眼の寿命云々の前に、脳血管障害や心疾患の心配をすべきではないか、とも思います。
 それはそれで、「眼の寿命と身体全体の寿命がちょうど良い塩梅で一致する」ことになるのかな。


リアルサウンド風のリグレット

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銭湯図解

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