あの「WELQ問題」を告発した朽木誠一郎さんが、こんな記事を書いておられました。
朽木さんのこれまでの仕事については、下のエントリを御参照ください。
amanojerk.hatenablog.com
僕は医療という仕事を今もやっているのですが、書店で「病気や健康法についての偏った見解を示している本の数々」を見るたびに、暗澹たる気分になるのです。
ラクにダイエットできるというふれこみの本や、癌が消えた、なんていう「奇跡の治療」のほうが、「食事を減らして運動したら痩せますよ」とか、「こういう種類の癌には抗がん剤が比較的効きやすくて、副作用もありますが、3カ月平均寿命が延びます。治療するかどうか、申し訳ないけれど、最終的には自分自身で判断するしかありません」という内容よりも、キャッチーだし、売れますよね。
それはもう、しょうがないのかな、とは思う。
でも、僕はずっと疑問だったのです。
商売としてはそうかもしれないけれど、ライターや出版社や書店は「売れるから、おかしいことが書いてあっても、容認している」のだろうか?
そもそも、著者だって、「自分自身も本気で信じてはいないけれど、商売として書いている」のではないか?
冒頭の記事は、この疑問に対する、ライターさんや出版社の「本音」を引き出しています。
「“みんなやってるじゃん”という感覚が、ハードルを下げている面もあるかと思います。眉唾な話をしていたり、賛否両論を引き起こす著者でも、〇〇から本を出して売れているなら、うちでもやっていいのでは、というような」
一般論として、売れる本というのは、できるだけ「楽して得する」内容。そして「過激なタイトル」の本であると、Bさんは分析する。
いまの時代、お金を出して買う「情報としての書籍」と「WEB上の個人サイト」のいちばん大きな違いって、本になっているのだから、少なくとも、著者が書いたものを垂れ流しているだけではなくて、編集者なり監修者なりが書かれていることをチェックしているという信頼感だと思うんですよ。
もちろん、WEBでも、ちゃんとしたところは校正なり事実関係の確認をしているはずですが。
でも、「売れる」「お金になる」ということが正義の世の中では、「そんなきれいごとばかり言っていても、食えない」という主張が強くなってしまう。
そして、「稼げないと、事業として続けられない」というのは、まぎれもない事実なわけで。
そうやって稼いだお金で、僕を楽しませてくれる「面白い本」が世に出ているという面もある。
僕は今までたくさんの本を読んで感想を書いてきたのですが、そのなかで、書店で売られている、それなりに知られた出版社から出た本のなかにも、間違った記述を鵜呑みにしてい引用したり、「本当なのかどうか疑わしいノンフィクション」とのちに指摘されたものを嬉々として紹介したりもしてきました。
そこに「悪意」はなかったのだけれど、結果的に、嘘やデマを拡散するのに協力してしまった。たとえ、影響力は小さくても。
本に書いてあることだって、正しいとはかぎらない。
書いている本人も、読者を騙して稼ぐつもりの本であれば、それは、わかりやすい悪ですよね。
ただ、書いている本人はそれでうまくいって、本人にとってはそれが正しい、と信じて書いているものを「悪」だと言えるのかどうか、というのは、大変難しいのではないかと思います。
(癌でも、自然に消えるというケースが稀にですがあるのです。そういう場合、その人がやっていた根拠のないおまじないが効いたのか、自然に消失したものなのか、証明するのは難しい)
学会での「症例報告」みたいなもので、そういう体験が、新しい知見の突破口になる可能性だって、無いわけではない(ただし、専門家の学会発表にはきちんとしたルールや審査がありますし、発表の場では厳しい質問にさらされることもあります)。
ちょっと話を広げてしまうと、ネットでは、医療情報じゃなくても、投資とか出会い系とか会員制セミナーとかで、「とりあえず誰かからお金をむしり取れれば、その相手がそのあとどうなっても構わない。自己責任、自己責任」って、考えているのが伝わってくる人が大勢いるんですよ。
ネットで、いちいち他人と顔を合わせなくてよくなったのは、僕のような非コミュにはありがたいのだけれど、それは、「他者と直接接触することなく、騙し、お金を巻き上げられるようになる、罪悪感が少ないシステム」を生んでもいるのです。
そうは言っても、僕だって、「あいつのせいで、つまんない本やゲームを買っちまった……畜生、くたばれ!」とか、大概恨まれていると思います。ごめんなさい。ほんと、何かを売るとかお金をもらうというのには、けっして、真っ白ではいられないところがある。
あらためて考えてみると、「無知な人をひっかけて、お金を稼ぐシステム」なんていうのは、人類が言葉を使うようになってから、ずっと存在していたものであって、それが、ネットのおかげで、より広範囲に絨毯爆撃できるようになり、罪悪感なくできるようになっただけではあるのかもしれません。
「危険な健康本」が世の中に氾濫してしまう理由としては、買い手もラクなほうを選ぼうとしてしまう、というのもあるし、自分の主張を信じている著者を「お前の経験談や主観は嘘だから、世に出すな」とは言いづらいところもあります。
しかしながら、それを野放しにしておけば、被害を受ける人も、当然出てくる。
出版社にチェック機構を担ってほしいし、そうであるはずだ、と多くの人は信じてきたけれど、その信頼は、もう崩れつつある。
それでも、「ネットでの情報に比べると、現状ではまだマシ」ではあるのでしょうけど、というか、そうであってほしいけど。
僕が考えた、この問題に対する解決方法のひとつは「信頼できる医療関係者が、『健康本』をキュレーション(情報を収集し、その価値を評価してあらためて提示すること)するようなサイトをつくって、いいかげんな健康本へのカウンターにする」ことなんですよね。
ネットは、デマを拡散しやすいツールだけれど、デマを否定するのに有用なツールでもあります。
健康本に対する専門家のAmazonレビューのような仕組みをつくって、淘汰していけば、あまりにもひどいものは蹴落とせるのではなかろうか。
まあでも、ステマとかが横行しそうだよね。
医者というのは、正しい医療知識の啓蒙をするよりも、日常診療をやったほうがお金になるし、ニセ医学を批判するより、新しい論文を書いたほうが、ずっと大きな実績になるのです。
半日かけて怪しい健康本を読んで、エビデンスを検証してレビューを書いて、いくらかの収入になるとしても、大概の医者は、その時間に外来とか健康診断のアルバイトに行ったほうがよっぽど稼げるし、人生に波風も立たない。「トンデモ本」の著者と争っても、めんどくさそうだし、労力のわりに得られるものはあまりにも少ない。いいかげんなことを広められて辟易してはいるんですけど……
もしかしたら、「人に会うのがイヤな医者にとっての新たなビジネスチャンス」なのかもしれないな、と思いつつ、自分でやるか、と言われると、僕はそんなに立派な人間でも素晴らしい医者でもないので、考え込んでしまいます。
専門家だからこそ、「きちんとやらなければならない」というプレッシャーもある。
ただ、医療側にも、この問題に向き合っている方もいるんですよ。
fujipon.hatenadiary.com
今日の話は、とにかく、この『「ニセ医学」に騙されないために』という本を読んでみてほしい、というだけで済んでしまうんですよね、基本的には。
余談ですが、僕は、これからどんどんAIが診療をし、論文を書きまくる時代になれば、人間の医者に残った最後の仕事って、「顔を合わせて人間を説得すること」になるんじゃないかな、なんて考えていたりもするのです。
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