うん、今週も面白かった。
ひらまささんもみくりさんも「かわいすぎる」よ。
で、「最近ちゃんと『恋ダンス』をエンディングでやらないなあ、まあみんなネットで観て忘年会の練習をするんだろうけど」とか思いつつも、「えっ、そのタイミングでダンスかよ!朝までどうなるんだよこの二人!いや、そう簡単に『そういうこと』にはならないだろうけど!」とか、それはそれでちょっとモヤモヤしてしまうわけなんですが。
でもまあ、正直言うと、今週はなんだか「箸休め」的というか、なんだかちょっと安心して観ていられる回でした。
ちょっと紛らわしいことがあって嫉妬されたりしていたのですが、「嫉妬してくれたんですか?」だって!
ああ、僕もガッキーに嫉妬されてみたい!
しかし、ああいうシチュエーションって、正直に「知り合いとそば屋に行ってる」とか返信すべきなんでしょうか。ウソはよくない、とは思うけれど、僕も「会社」って返信すると思う。
余計な心配をさせたくないというか、面倒事を引き起こしたくないというか。
しかしながら、それがさらに面倒なことにつながってしまうという。
ただ、ああいうのって、ウソだから本当だからというよりは、ふたりの関係が良好なときは大きな問題にならなくて、こじれてくると何をどう説明してもダメ、みたいなことになりがちだよね。
個人的にいちばん印象的だったのは百合さんが「自由に生きる」というコピーへの思い入れを語っていたところで、僕はそれを聞きながら、「だから結婚できないんだ」とか言われてしまう働く女性のいたたまれなさとそんなことを言う連中のアホらしさとともに、「自由に生きる」っていうのは、ある意味、いまを生きている人間(男女かかわらず)にとって、最大の「呪縛」になっているんじゃないかなあ、とか考えてしまったのです。
ネットとかで「自由に生きる」って言う人は多いじゃないですか。
僕だって自由に生きたい、と思うのだけれど、あらためて考えてみると、自分が求めている「自由」って何なんだろうな、って。
自由だったらさ、自分がやりたいこととか、やるべきこととかを考えなきゃいけないよね。
自由なんだから、家でずっとゴロゴロしている、というのは、それはそれで精神衛生上すごいプレッシャーがかかってしまう(僕の場合は、です)。
実際、自由だからって、そんなにやりたいことって、できることって、あるだろうか?
もしかしたら、何か「やらなければならないこと」が適度にあって、「やらされてるんだよ」って言い続けているほうが、ずっとラクなのではないか。
奴隷根性、って言われるかもしれないけれど、「自由に生きる女性のロールモデルになる」なんていうのを双肩に背負っているかのような百合さんをみていると、それははたして幸福なことなのだろうか、とか思うのです。
そもそも、「女々しい」と男をバカにしたり、「だから結婚できないんだよ」って同性を糾弾したりする女性って、けっこういるんだよなあ。だからといって、男性側の罪が軽くなる、というわけじゃないけど。
みくりさんも、現状では「家事代行業」が仕事だけれど、もしひらまささんと対等なパートナーとなれば、家事は仕事ではなくなってしまうから、「自立する」ためには外で仕事をしなければ、と考えているようにみえます。
百合さんもみくりさんも「できる人」「優秀な人」で、だからこそ、「外で自分の力を証明しなければならない」という自己実現欲求を抑えることができない。
でも、「仕事をして、家族との時間をつくって、家事をして、育児もして……」なんてことをすべて完璧にこなすのは、男女にかかわらず、誰にもできない。
ところが、そういう「できないこと」をやらなければならない、というプレッシャーは、よりいっそう強くのしかかってくる。
「自由に生きなければならない不自由さ」って、もう何がなんだか、って感じなんですけどね。
また今週もわけのわからないことを書いているな。
あと、もうひとつ気になったのは、Pepperのシーンでした。
いやほんと、よくできてるよPepper。
キャナルシティ博多にいるロボットとは隔世の感がありますね。
あれもけっこうかわいくて僕は好きなんですが(知らねーよ!という声が聞こえてくる……)
www.softbank.jp
以前、こんな本を読んだのですが、ロボット相手のコミュニケーションは成り立たない、というのは、もう昔の話ではないか、と僕は思うようになりました。
僕は、いつか人間を作れると思っている。「人間を工学的に実現する」ことはおそらく可能なのだ。だれもが「このロボットは心を持っている」と思うロボットが実現できれば、それは人間と一緒である。そのロボットはすなわち「人の気持ちを考える」とはどういうことか、そして「人間とは何か」という根源的な問いに対する答えとなる。
つまり、ロボットが「人間の条件」を教えてくれるのだ。
この新書で、著者の「人間らしいロボットへの試行錯誤」を読んでいて、僕はものすごく「腑に落ちた」のです。
世の中って、「やっぱり人と人とのふれあいが大事」とか「機械には人間の心がわからない」なんて言うじゃないですか。
でも、僕のなかには「対人関係のめんどくささ」みたいなものが、ずっと溜まっていて。
この本の著者は「テレノイド」という、「クリオネ」みたいな、顔と短い手と丸まった下半身を持ったロボットでの実験結果を、このように紹介しています。
僕が作ったロボットで、もっとも「気持ち悪い」と言われるのは、「テレノイド」である。こんな気持ち悪いものを作り、高齢者に抱かせて実験しようなどと考えた人間は、僕のほかにはいないだろう。
テレノイドは、人間としての必要最小限の「見かけ」と「動き」の要素のみを備えた通話用のロボットである。やわらかな形状をした端末を抱えながら、声を通して相手と話す。対話相手の姿を見ることはできない。一方で、テレノイドを操作している人間は、ロボットに附属するカメラで撮影され、向うからは姿が見えた状態で話をする。
(中略)
複数の施設の協力を得て実験したところ、高齢者はこのテレノイドでの通信を好み、「生身の人間以上(実の家族以上)に親しみやすい」と評価する傾向が、如実にあらわれた。もちろんそれでも「気持ち悪い」と言う人もいるが、大抵の人はテレノイドを使って通話し始めると、夢中になって話をするようになる。これは日本だけでなく、オーストリアやデンマークなど、さまざまな施設で行なったアンケート調査から明らかになっている。
70代〜80代の老人たちは、なぜ自分の息子たちとの対面のコミュニケーションより「テレノイド相手に息子と話すほうがいい」と言うのか。なぜ「かわいい孫やひ孫はまだいいが、50代〜60代になる自分の子どもには会いたくない、テレノイドのほうがいい」と言うのか。
テレノイドを通じての対話なら、家族が内心抱いている「親の世話をするのは面倒くさい」という雰囲気や、不安が表情に出ることもなく、それが親に直接的に伝わることもない。だから高齢者は「テレノイドと話すほうが快適だ」と言うのである。
高齢者には肉親のみならず、デイケアセンターのスタッフや医者、看護師との会話にも気後れする人が多い。「先生に迷惑をかけてしまうのではないか」といった後ろめたさが付きまとい、医者とあまりしゃべらない人も多いのだという。
もう少し「らしく」なってくれれば、もう、Pepperで十分じゃないかなあ。
……とか、思ってしまうんですよね。
結婚しない人や恋人がいない人が増えたのは、「人生で何かを得て、何かを捨てると考えたとき、これまでは『結婚』は「必要条件」だと見なされてきたけれど、もう「選択肢のひとつ」でしかなくなっているからではないのかな。
正確には、いまが、「必要条件だと思っている世代」と「選択肢のひとつでしかない世代」の交代期なのでしょう。
というわけで、残り2話となった『逃げ恥』。
とりあえず、最後までなるべく静かに見届けようと思っております。
そういえば、ひらまささんとみくりさんのやりとりを観ながら、僕は『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリー提督と副官のフレデリカ・グリーンヒルさんを思い出していたのです。
「だけど言わなくて後悔するよりは言って後悔するほうがいい・・・ああ、困ったものだな、さっきから自分の都合ばかり言っている。要するに・・・要するに、結婚してほしいんだ」
この申し込みに対する答えを、彼女はどれほど長い間、考えてきたことだろう。
「二人の年金をあわせたら、老後も食べるには困らないと思いますわ。それに・・・私の両親は八歳ちがいでした。そのことをもっと早く申し上げておくべきでしたわ。それに・・・あの、どうかなさいましたか?」
深刻に困惑した声を出すヤン。
「・・・返事をまだしてもらってないんだが、どうなんだろう?」
イエスかノーかはあまりにも明白だったので、彼女はそのハードルに気づきもしなかったのだ。
「イエスですわ、閣下、ええ、喜んで・・・」
ヤンがぎこちなくうなずいた。
「ありがとう。何と言うか・・・何と言ったらいいのか・・・何と言うべきか・・・」
何のことは無い、結局のところ、ヤンは何も言えなかったのである。
まあでも、このもどかしさって、たぶん、人生でも最良の瞬間だよね。
当事者がリアルタイムでそう感じることは無いとしても。
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