最近、「ネットの向こうの人間」についてのゲームを2つクリアしたので、その感想を書いてみます。
そのゲームのひとつめはこれ。
- 出版社/メーカー: マーベラス
- 発売日: 2015/11/26
- メディア: Video Game
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■ネットハイ の商品紹介■
レッツ炎上!!
本作は、"非リア充"の主人公・俺氏が、超高性能ウェアラブル端末『MEGA-NEXUS(通称:メガネ)』と
ポンコツAIの力を借りてネットにはびこる迷惑な"リア充"の嘘を暴き爆発炎上させるシミュレーション×アドベンチャーゲーム。
インターネット特有のさまざまな機能を利用して、リア充たちの巧みな嘘を暴け!
SNS至上主義の近未来。
SNSのフォロワー数が、その人間の階級を決める世界で、フォロワーほぼゼロ、非リア充で引きこもりの主人公「俺氏」が、自分より格上のネット有名人たちに「炎上バトル」を仕掛けて成り上がりつつ、ネット上で「リア充」をアピールしている彼らの正体を暴いていく、というゲームなのです。
ゲーム内のツイッターみたいなシステムで情報を集められたり、かわいいAIがアドバイスしてくれたり、なんか微妙なプチ恋愛ゲームの要素(これは要らないと思うのだけど)が入っていたりして、なかなか面白かったのですが、ゲームシステムが「ヌルい逆転裁判」で、ストーリーも「ネットマニアはニヤニヤできるけど……」という感じのネットスラング連発のバトルもの。
最後はそれなりに盛り上がるし、悪いゲームじゃないとは思うのですが(というか、けっこう丁寧につくられている佳作)、それこそ、『シュタインズゲート・ゼロ』と同じくらいのお金を出して買うかと言われると、まあ、ちょっと悩ましいところではありますよね(僕は買いましたが)。実際に、そんなに売れていないみたいですし。
このゲームでは、SNSで可視化されている「人格」と、その人のリアルの人生との解離というのがひとつのテーマであり、見せ場でもあって、ネットではこんなにカッコ良く見えている人が、実際は……というギャップが、なんだかとても物悲しいのです。
現在でも、facebookではありがちな話だけれど。
ただ、「ネットの仮想空間よりも、人と人が直に接することの尊さ」みたいなものに話が収斂していくことには、正直、ちょっと違和感もありました。
いや、それが悪いというよりは、「これだけ突き抜けようとしているように見えるゲームだし、これを買う人は、そんなベタな説教じみた結末なんて、望んでいないのではないか」とかなんとか。
ふたつめが、これ。
- 出版社/メーカー: 5pb.
- 発売日: 2015/12/10
- メディア: Video Game
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010年11月。世界線。 これは岡部倫太郎が、7月28日に“彼女”を救えないまま戻ってきた後の物語。 倫太郎は“彼女”への想いもタイムマシンへの情熱も封じこめ、ラボへもほとんど足を運ばず、ごく普通の大学生活を送るようになっていた。 そんなある時、大学のセミナーで一人の女性と出会う。 その女性の名前は比屋定真帆 (ひやじょうまほ) 。 “彼女”と同じヴィクトル・コンドリア大学脳科学研究所の研究員で、セミナーにて講演を行うレスキネン教授の助手として来日したのだった。 そのレスキネン教授が研究している『Amadeus』と呼ばれるシステムが、やがて自身を再び陰謀のはびこる世界へと導くことになるとは、このとき岡部はまだ知らなかった。 そう、そこに『彼女』は今もいる――
まあ、PS4版の『シュタインズゲート』のダウンロードコードがついているだけでも買って損しない、という感じではあるのですが、この『牧瀬紅莉栖が死んで、椎名まゆりが生き残ることを選択した世界」での岡部倫太郎の彷徨というのは、なんだかとても身につまされます。
ちなみに「正統続編」と銘打たれていますが、実際は『シュタインズゲート』のトゥルーエンド(一応のハッピーエンド)に至るまでの過程を補完する物語です。
いや、40男がこんな中二病ワールドにハマってて良いのか、とも思うし、結局のところ、アドベンチャーゲームというよりは、ストーリー中にいくつかある分岐点での切り替えのみで、謎解きの要素もなく、いくつかの平行世界のストーリーをグラフィック・サウンドつきで読める、電子小説ではないか、という気はするんですよね。
それにしては、この値段は高いといえば高い。
でも、個人的には十分満足できました。
登場人物のなかで、「弱くて、何か特技があるわけではないけれど、ひたすら優しい」椎名まゆりを、いろんな「役に立つ能力」を持っているはずの人たちが命を投げ出してでも生き延びさせようとするのは、なんだかとても不思議でもあり、納得できるような気もして。
このゲームの中で、牧瀬紅莉栖は亡くなっているのですが、「データ化され、人工知能としてコミュニケーション可能な牧瀬紅莉栖」が登場してきており、彼女がこの物語の鍵を握る存在なのです。
声優さんは「岡部を知らない設定で喋るのが難しかった」と仰っているそうです。長いつきあいだものね。
『ネットハイ』では、「相手の姿は見えないけれど、ディスプレイの向こうには人間がいる」という前提でのコミュニケーションがあって、そこでの「嘘」を暴くことがひとつのテーマになっていました。
『シュタインズ・ゲート』のAI牧瀬紅莉栖は「こちら側からは機械であることがわかっているのだけれど、牧瀬紅莉栖と同じ声で喋り、同じ(であろう)反応を示す存在」なのです。
そして、岡部はAIの牧瀬紅莉栖に、惹かれていく。
これだけ、「顔が見えないコミュニケーション」が発達してきた時代だと、結局のところ、「本当に自分がSNSでコミュニケーションしているのが人間かどうか?」というのは、わからないと思うんですよ。
ましてや、そこにあらわれているのが「その人の本性」かなんて、なおさらわからない。
触れられない、ぬくもりを感じられない、とは言うけれど、「実際に会って話す」から、「手紙」「電話」を経て、「メール」「SNS」とコミュニケーションの形式が変化していっていることを考えると「恋人でもないかぎり(あるいは、恋人であっても)、身体的接触を必要としないのが当たりまえの世界」が、近いうちにやってくるかもしれません。
お互いが同意すれば、遠距離でも3Dプリンタで製作され、記憶をインストールされた「コピーロボット」みたいなものが瞬時につくられて、いろんな欲求を満たすことができる、とか。
韓国の李世ドル九段が人工知能(AI)「アルファ碁」と対戦し、5戦して1勝4敗と大苦戦したことは記憶に新しいのですが、僕が記憶している30年前のコンピュータ将棋は「とりあえず二歩とかの反則をやったり、王手をかけられても無視したりしなければ上出来」というシロモノでした。
もし、そのレベルのAIを相手に勝負をすれば「これは(強い)人間じゃないな」と判断することは、難しくはなかったはずです。
ところが、もし相手の顔が見えない状況で、ネット経由でアルファ碁と対戦したら、それが「人間」なのか「コンピュータ」なのか、わかるかどうか?
どうも、いままで僕が「人間らしさ」だと思っていたものの多くは「強さ」とか「攻撃のバリエーションの多さ」みたいなものでしかなかったのではないか。
少なくとも、将棋とか囲碁のような「ルールが定まっていて、やることが限られた世界」では、もう、人間とコンピュータとの「境界」は、わからなくなってきているのです。
ただ、その「ルールの設定」そのものが現時点では、人間とAIを隔てる最大の壁になっていて、現時点では「曖昧なルールをおおまかに認識して、応用できる」という能力において、AIはまだまだ人間には及びません。
「自由演技」になればなるほど、「人間」とAIには差がついてしまう。
今はあくまでも「過渡期」でしかなくて、いつか、その壁が崩れてしまうのだろうとは思うのですが。
この新書、たいへん興味深い内容なのですが、この中で、著者の石黒浩さんは、こう仰っています。
僕は、いつか人間を作れると思っている。「人間を工学的に実現する」ことはおそらく可能なのだ。だれもが「このロボットは心を持っている」と思うロボットが実現できれば、それは人間と一緒である。そのロボットはすなわち「人の気持ちを考える」とはどういうことか、そして「人間とは何か」という根源的な問いに対する答えとなる。
つまり、ロボットが「人間の条件」を教えてくれるのだ。
ある意味、『アルファ碁』は、「囲碁の相手」としては「人間」と同じになっているとも言えますよね。
もちろん、「人間の機能の、ごく狭い範囲の再現」ではありますが。
対戦中に会話したりはできないけれど、今後は、「強さ」よりも、そういう要素が求められるようになっていくのでしょう。
たぶん、「人間らしさ」という概念は、この先何十年かの間で、大きく変化していくのではないかと僕は予想しているのです。
みんなが「人間らしい」と思っていたことの多くは、実は、「高度な処理」だっただけで、機械にもできる。
僕は子供の頃から、ずっと疑問だったのです。
『銀河鉄道999』では、「生身の身体」と「機械の身体」が対比され、限りある命だから、人間は尊い、ということが描かれていました。
でも、「悪いことをしない機械人間」の可能性だってあるだろうし、本当にそうできるのなら、やっぱり「死なない」ことを選ぶ人のほうが多いのではないか?
「本物のラーメン」はおいしそうだし、機械の身体といっても「ネジ」とかにはなりたくないですけどね。
まあ、そういう世界になったとしても、「機械化してまで、生きる価値があると判断される人間」なんて、ごくひとにぎりなんだろうなあ。
ネット社会で、「ネットに書かれたものは永久に残る」ような幻想を抱いていたけれど、その多くのデジタルコンテンツは、プロバイダー契約が切れたり、ブログサービスが終了したりすることによって、自然消滅してしまっているのですから。
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/03/11
- メディア: 単行本
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- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 中経出版
- 発売日: 2015/03/10
- メディア: Kindle版
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※なんかよくわからないエントリでごめん。