いつか電池がきれるまで

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「子どもや若者の貧困」について知るための6冊


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 この子については、「これで本当に『貧困』なのか?」と言いたくなる人が出てくるのはわかるんですよ。でも、ちょっと考えてみてほしい。この女子高生をバッシングしたり、NHKを批判することによって、誰かが救われるのだろうか?
 NHK的には、もっと「わかりやすい貧困」のサンプルを提示することは難しくなかったはずなんですよね。
 それでも、この子のような、周りからみたら、「本当にこの子が『貧困』なの?」と思われてしまうような子どもが「相対的貧困」に陥っているというのが、いまの日本の問題だという認識だったのではないでしょうか(というのは、善意の解釈すぎますか?)


 これから、僕がこれまで読んできた「子どもや若者の貧困」についての本のうち、良書だと感じたものを6冊あげていきます。



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 僕は自分で子どもを持つまで、「日本の子どもの貧困」なんて、考えたこともありませんでした。

 だって、日本で「物乞い」をしている子どもを見かけたことはないし、『ポケモン』もあんなに売れている。

 でも、この本を読んで、「貧困」には2つの定義があることを知りました。

 OECD欧州連合(EU)などの国際機関で先進諸国の貧困を議論するときに使われる貧困基準も、日本の生活保護法によって決められている生活保護基準も、「相対的貧困」という概念を用いて設定されている。相対的貧困とは、人々がある社会の中で生活するためには、その社会の「通常」の生活レベルから一定距離以内の生活レベルが必要であるという考え方に基づく。つまり、人として社会に認められる最低限の生活水準は、その社会における「通常」から、それほど離れていないことが必要であり、それ以下の生活を「貧困」と定義しているのである。なぜなら、人が社会の一員として生きていくためには、働いたり、結婚したり、人と交流したりすることが可能でなければならず、そのためには、たとえば、ただ単に寒さをしのぐだけの衣服ではなく、人前にでて恥ずかしくない程度の衣服が必要であろうし、電話などの通信手段や職場に行くための交通費なども必要であろう。これらの「費用」は、その社会の「通常」の生活レベルで決定されるのである。


 これに対する概念が、「絶対的貧困」である。絶対的貧困とは、人々が生活するために必要なものは、食料や医療など、その社会全体の生活レベルに関係なく決められるものであり、それが欠けている状態を示す。絶対的貧困は、その概念を打ち出したのが20世紀初頭のイギリスの貧困研究者シーボーム。ロウントリー(1871-1954)であり、彼が貧困を「労働能力を維持するための、最低限」の「食費」を基とする方法で定義したため、「衣食住」を最低限満たす程度の生活水準以下と解釈されることが多い。発展途上国で飢える子どもや、終戦直後の日本など、一般の人々がイメージしやすい貧困は、「絶対的貧困」の概念ということができる。


 この「相対的貧困」と「絶対的貧困」について、著者の阿部さんは、こんな例を挙げて説明されています。

 これを説明するのに、筆者がよく使う例は「靴」である。いま、仮に、靴が買えず、裸足で学校に行かなければならない子どもが日本にいたとしよう。日本の一般市民のほとんどは、この子をみて「絶対的貧困」の状態にあると考えるであろう。しかし、もし、この子がアフリカの農村に住んでいるのであれば、その村の人々は、靴がないことを必ずしも「絶対的貧困」とは思わないかも知れない。つまり「絶対的貧困」であっても、それを判断するには、その社会における「通常」と比較しているのであり、「相対的観点」を用いているのである。


 現在では、OECDやEUなど、先進諸国の貧困を論じるときには、「相対的貧困」を用いることが多い。これは、ロウントリーが定義したような「絶対的貧困」は、先進諸国においてはほぼ撲滅されているという前提で貧困が論じられているからである。


「日本には、ストリートチルドレンや飢え死にする子どもはいない。だから、日本は恵まれた、『総中流』の国である」

 そんなふうに考えている人は、けっして少なくないと思います。僕もそうでした。

 ところが、この本は、経済協力開発機構OECD)の報告では、日本の子どもの「相対的貧困率」は、OECD諸国のなかでアメリカに次ぐ第二位であり、貧困率は14%である、という「現実」が示されています。

 1クラスが40人とすれば、5~6人は「相対的貧困の状態にある子ども」になってしまうわけです。



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 この本では、定時制高校に通う子どもたちから、中学校、小学校とどんどん年齢が下がっていって、最後は保育園の現状が紹介されています。

 「子どもの貧困」というと、僕自身も、「給食費未納」とか「服がいつも汚れている」というような「見かけに気を配れなくなるような状況」だというイメージがあったのですが、これを読んでいると、貧困のあまり、生命の危機にさらされている子どももいるのだということがわかります。


 そして、大人が自分の経験から考えている「貧困」と、現代のリアルな「貧困」というのは、まったく違ってきているのだということも。


 定時制高校の生徒指導担当の藤井先生の言葉。

「以前、アルバイトするのは車を買うためといった、自由に金を使うのが目的だった。今はそんな余裕はない。稼いだ金は学費や生活費に回る。学費の滞納もすごく増えた」

 藤井は2000年代の半ばごろから、子どもの貧困の広がりと深刻化を実感しているという。

「子どもには成長、発達のための学びが必要で、本来働かなくてもいい。このごく普通の生活ができず、学費を本人が働いて払わざるを得ないのが現代の貧困だ」

 藤井はこう説明する一方で、「子どもの貧困は見ようとしないと見えない」とも言う。

 藤井には苦い経験があった。5年前のことだ。授業中、携帯電話で話していた男子生徒に「電源を切れ」と注意した。

「俺の仕事と生きる権利を奪うのか」

 猛反発を受けた。電話の内容は、その夜の仕事の依頼だった。

 ダブル、トリプルワークで働く生徒たちにとって、職場の勤務シフト変更の連絡などを受ける携帯電話がなければ仕事にならない。

「学校は生活を保障できるのか」

「働く権利は?」

 教室で藤井と生徒たちはけんか腰の議論になった。

「生徒は携帯がないと仕事もできない、と初めて認識させられた。多くの教師は『携帯はぜいたく』と外見で判断してしまうが、それでは家庭や生徒の実体は見えない」

 貧困の広がりの中で、子どもたちを支える教育のセーフティネットは機能しているのだろうか。

「教育にかかる費用は全部無償化すべきなのに、反対に給食や教科書の補助が廃止されたり、条件は厳しくなっている」


 僕の世代(40歳以上)にとっては、子どもの頃になかった携帯電話は「子どもにとっては、ぜいたく品」というイメージが抜け切らないのですが、いまの子どもたちにとっては「日常生活に(仕事も含めて)不可欠なツール」なのです。



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 埼玉県南部の「底辺校」SA高校の実態を、著者はこんなふうに紹介しています。

(入学生約200人の)SA高校では例年、一年生で退学する生徒が50人、二年生になってやめる生徒が20人ほどで、三年生でやめる生徒はさすがに少ない。だが2008年に入学した生徒たちは厳しく、一年生の間に約60人程やめた。生徒が起こす事件も年間100件は超え、二日に一件は発生している。生徒たちはよほどストレスを貯めていたのだろう。


 教師たちによると、生徒たちの家庭の経済状態は「年収が200万円程度と思われる家庭が三分の一で、良くてもほとんどが400万円位まで」である。日本の平均的な世帯(570万円)とは大きな差があり、生徒のほとんどが生活保護程度しか収入がない世帯である。バイトが忙しくて学校に来られなくなる生徒も多く、なかには親に水商売をさせられている生徒もいる。家族の中で稼ぎ頭になっていて、バイトの給料をすべて親に持っていかれる生徒も少なくない。


(中略)


 生徒の学力は驚くほど低い。この高校では、定員割れすると中学からの成績がオール1でも入学できる。高校入学まで、小学校低学年レベルの学力のままで放置されている生徒が相当数いる。そのため、教師は1から100まで数えさせるといった補習授業をするのである。順番に数えていけば数えることができても、では「五五の次はいくつ?」と聞くと、10%の生徒はできない。SA高校の生徒にとって数字の理解は三十までで、それ以上の数を概念として理解するのはむずかしいようだ。一円玉、五円玉、十円玉をいくつか出して、「全部でいくらになる?」と聞いてもわからない生徒もいる。「一五三二五は?」と聞いても、高校三年生になっても読むことすらままならない。



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「助けてもらえない人」ではなくて、「SOSの出し方さえ、知らない人」が、この日本で、生きている。


 これを読みながら、日本の教育現場では、高度な数式よりも、まず、「基本的な公的手続きのやり方」や「生活保護のような公的扶助が存在していること」を教えるべきなのではないか、と考え込んでしまいました。


 現実は「善意」だけで解決するようなものではないのです。


 一方で知的障害者の社会的自立をサポートするワークショップ(作業所)のスタッフは、忸怩たる思いを語った。


「うちの施設にも、まさに鈴木さんの言うような10代の女性が来たことあるよ。でも、実習初日で逃亡……。働きたくないんだって。楽してお金稼げる(=売春)方法を知ってしまったからね。そしてそのような方の親御さんは、やっぱり軽度の知的障害者で、お父さんは生活保護、お母さんは16歳で子供を産み、計7人兄弟だったり。でも、家に居場所が無くて、台所の机の下で寝てるって言ってた。ある利用者は逃亡から3日後、昔いた児童施設の近くで見つかりました。手はいつも差し伸べてるつもり。福祉の対象を選んでるつもりもない。ほんとは、手を振り払われても、無理矢理にても引っ張ってくるべきなのかもしれないし、ただ、実際自分の目の前にいる、利用者さんたちのことはおろそかにはできない」


 確かに、彼女たちは間違いなく即座に救済すべき存在なのだが、かといって安直に福祉の対象として想像するような「大人しくちょんと座って救済を待っている障害者」ではない。想像以上に粗暴だった(ただし極度に粗暴と思える言動は、それまで受けてきた暴力へのリアクションや防御の姿勢かもしれず、そこまで思いを及ぼすことが必要かとは思われる)。



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 沖縄の「Fランク私立大学3年」の女子学生は、こう語っています。

「高校は県の給付型の奨学金で行きました。中学のときは成績よくて、母子家庭が条件の試験に受かって奨学金をもらっていました。大学は学費が年間80万円くらいで、基本的に毎月の奨学金です。月8万円を借りています。それ以外はバイトで稼いで、どうしても足りないときは親から借りたりしています。親が一切払ってくれないわけじゃないけど、できるだけ自分で払いたいって思っています。親に負担をかけたくないし、大学に行かせてもらって、お金がかかりすぎて家計が圧迫されたり、親が使うお金が制限されたら申し訳ないから」


(中略)


 奨学金8万円にアルバイトで5万円、月13万円の収入をやりくりして年間90万円の学費を支払っている。


「みんなどこかに遊びに行っても、なにも買わないし、食べないし、飲まない。だって、お金が払えないから。洋服とかも全部おさがりで、自分の洋服を買ったことはないです。そこにお金をかけられないので。この靴もバッグも全部、近所の人とか友達からまわしてもらっています。学校でもお金は使えません。お弁当を作れなかったら、一日なにも食べないですね。一日なにも食べなくて、水だけ飲んで家に帰って夕ご飯を食べます。


 一切、消費をしないことで学生生活を過ごしている。最近、なにかにお金を使ったのは120円のボールペンだけ。そこまで徹底しても教科書や交通費、ボランティア活動などにお金がかかるのでギリギリだという。


 こういう本の記述を紹介すると「自分のまわりには、こんな子はいない」「極端な例だけを集めているのだろう」と仰る方が少なからずいるのですが、それは、いまの日本の社会が「分断」されていることに多くの人が気づかず、「豊かな日本」「一億総中流」の幻想から抜け出せていないだけなのではないでしょうか。
 冒頭のNHKで採りあげられていた女子高生の話を読んで、僕も「彼女が本気で節約し、アルバイトをして、好きなものを我慢して貯金をしたら、50万円くらいはなんとかなるのではないか」と思ったんですよ。
 でも、そこまでやらないと入学金も捻出できないような状況で、アニメのキャラクターデザインを本格的に学ぶための時間的・金銭的な余裕ができるのだろうか?とも感じるのです。
 学校って、入ったら終わりじゃないからさ。
 大学時代に『あすなろ白書』(テレビドラマ)を観て、「取手君のプレゼント攻撃にあっさりなびいてるんじゃねえよ、なるみ!」とか息巻いていた僕が通り過ぎてきた、「クリスマスイブには、彼女とシティホテルで×××!」みたいな時代じゃないんだよね(個人的には、残念ながらそういう経験はありませんが)。
 スマートフォンが娯楽ではなくライフラインになっているというのも、いまの中高生の親世代にとっては、感覚的に理解しにくいのではなかろうか。



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 著者は、定時制高校で働く17歳の女子高校生・林さん(仮名)の話を紹介しています。

 林さんは中学校卒業と同時に定時制高校に進学し、友人に紹介された工場でずっとアルバイトを続けているそうです。

 別居している母親からは、いまでも何度も生活費を無心される、とのことでした。

 林さんが住んでいる現在のワンルームマンションは、工場の社長名義で借りている。マンションの連帯保証人は、勤め先の先輩になってもらった。林さんは未成年であるため、本人名義で賃貸契約ができない。いくつも不動産屋には断られたという。


「家族に連帯保証人をお願いすると金銭をタカられるので、工場で働く親しい先輩になってもらいました。だから家賃滞納とかできないんですよ。家賃は月額5万円。先月は給料が9万円だったので、家賃払うと生活が無理なんです。


 その生活費が足りないために、高校の教諭に相談をしたところ、わたしを紹介されて相談に来られたのだという。何とか高校通学を続けて卒業したいと語る彼女は、十分な食事もとれていないため、かなり痩せている。


「友達はダイエットに励んでいるけど、わたしは日常がダイエットですから(笑)」と語るくらい、食事は粗雑だ。いまでも忘れられないのは、相談を受けた日に聞いた食事の内容である。


「今朝は何を食べたの?」という問いに対し、「今朝というか、最近は毎日カレー。1週間まとめて作って、お腹が空いたときにチビチビ食べる。今日でカレー3日目」と彼女は答えた。他にも雑炊、鍋もの、煮込みうどんなどを大量に作り置きして、なくなるまで毎日少しずつ食べ続けることで生活しているのだ。


 最低賃金で働いて生活しながら、高校で勉強することは大変である。さらに最近は十分な食事もとれていないので、体調不良が続き、仕事も満足にできていない。


 だから生活保護申請をするために、わたしも福祉課へ同行することとなった。今は生活費で足りない部分だけを生活保護費で支給してもらう手続きを開始している。当然ながら、彼女は自分が生活保護制度の保護要件を満たし、支援が受けられることは知らなかった。


 彼女と接していてわたしが最も衝撃を受けたのは、次のような言葉だった。


「早く18歳になりたい。風俗店で働けるようになるから、お金に困ることもなくなるでしょ? 風俗店でお金を稼いだら、専門学校に行けるかもしれないし」


 希望は風俗店で働くこと――。


 昼間は工場で働き、定時制の高校に通っている女子高生は、それでも生活が成り立たず、自分が生活保護を受けられることも知らなかった。
 そして、風俗店で働くことでしか、現状を変えられないと悟っている。
 彼女に「若い頃の苦労は、買ってでもしろ、だよ」なんて言える大人がいるのだろうか?


 
 表向きは「普通」だったり、「浪費している若者」のようにみえても、実際はボロボロになるまで働いて勉強をする時間も気力もなくなり、目先の快楽のために散財してしまう。
 子どもの貧困というのは、お金の問題だけではなくて、自分の将来に希望が見出せないこと、ではないのだろうか。


 いや、わかったようなことを偉そうに書いてますけど、僕にも実感としては、よくわからないんです。でも、こういう世界は、確実に存在しているのです。
 ひとりでも多くの人に、この問題のことを、知ってもらいたい。
 まずは、知ることからはじめるしかないから。




 こちらは随時更新中の僕の旅行記です。有料(300円)ですが、よろしければ。

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