いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ある日、突然教授から電話がかかってきた。

ある日、突然教授から電話がかかってきた。
「君、前に留学したいって言っていたよね。ボストンの大学に行ってみない?」


「えっはい行きます行きます、よろしくお願いします」


と、電話で即答したあと、青ざめた。
僕は英語ができないし、いまさらアカデミックな生活をやる自信もない。
「行きます行きます」と言ってしまったのは、相手が教授だったのでとりあえず逆らえないというのと、半分は見栄だ。
そういうときに「大変だから、行きたくありません」と答える勇気も、「とりあえず考えさせてもらっていいですか」と保留する慎重さも、僕にはないのだ。


ああ、どうしよう、行くって言っちゃったけど、現実的にそんなの無理だろ、日本語も通じないようなラボで仕事をし、海外で生活するなんて……
と煩悶していると、母親があらわれて、「ほんと、あなたはいつもそうなんだから……ちゃんと自分のことをよく考えてから、なんでも返事しなきゃダメじゃない、すぐに先生に電話して、『やっぱり考えさせてください』って言いなさい。時間が経てば経つほど、断りにくくなるから」と諭された。
そうだ、こういうときに、あれこれ自分のなかで悩んでしまって時間を過ごしてしまい、いつも物事をこじらせる。
電話しなくちゃ、でも、やっぱり言いにくいよなあ……



……というところで、目が覚めた。
ああ、留学しなくていいんだよな、と自分の中で、いま見ていた夢を反芻。
僕が何歳の設定だったんだろうなあ、この夢って。
そういえば、いまでも「あと1週間なのに、国家試験の勉強を全然していない!」という夢をみる。
年は取りたくないものだが、もしそういう状況で若返ることができるのだとしても、遠慮する。


他人の夢の話ほどつまらないものはない、と言われるし、僕もそう思うのだが、この夢には、僕という人間の問題点が詰まっているような気がするので、記録しておく。

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