いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ドラフト緊急生特番!『お母さんありがとう』」の望月涼太選手のエピソードを観て、考えたこと。

www.tbs.co.jp


昨夜、「ドラフト緊急生特番!『お母さんありがとう』」というのを観ていたんですよ。
こんなお涙頂戴番組に泣かされないぞ!と言いたいところなのですが、カープの大瀬良大地投手と弟さんのエピソードを観て以来、毎年ドラフトの余韻を感じつつ、これを観る習慣がついています。
ドラフトって、本当に残酷なところがあって、くじ引きの直前まで「贔屓のチームに来てくれ、頼む!待ってる!」と、半ば「うちの子」みたいな気持ちでみていた選手が、抽選が終わった直後に「にっくき読売の一員」になっていることもある(まあ、僕的には、最近はあんまり読売憎し、って感じでもないんですけどね。今村投手の頭部死球に対する長野選手の心遣いとか、心底ありがたいな、と思ったし)。


カープファンとしては、中村奨成選手の交渉権を獲得できたので、すごく嬉しいドラフトになりました。というか、CSの負け方があまりにひどかったので、緒方監督の「残ってましたね」という言葉にも、当たりくじだけじゃなくて、「どん底の気分だったけど、まだ、ギリギリのところで、運が残っていたのかな」って。
CS敗退で、何をやってももうダメなんじゃないか、という気分になっていて、こんな状況で抽選になったら、負けるにきまってる、と僕は思っていたのです。
中日が中村選手を指名してきたときには、2分の1の確率なのに、もう、「外れる覚悟」をしていました。
いやほんと、シーズンの最後に、また希望が繋がった。
結果的に、中日も良い指名になりましたし。2位のあの順番で石川投手が獲れるなんて!


けっこう良い気分というか、「地獄に仏」ってこんな感じなんだろうな、と思いつつ、「お母さんといっしょ」というタイトルにも疑義が呈されているこの時世に、いつまで「お母さんありがとう」なんだろうな、などとも考えつつ観ていたのですが、2番目の九州共立大・望月涼太選手のエピソードは、観ていて「えっ?」と驚かされるものでした。「美談」の番組じゃ、なかったのか?


matome-search.net


子供の「野球の練習」につきあうために、大金持ちでもないのに85万円もするマシンを買い、経営していた会社に身が入らなくなり、社員に数千万円を横領され、家庭が崩壊。
「15年間、家族写真が一枚もない」という状況のなかで、望月選手は野球を続けます。
「家族がこんなになってしまったのは、自分が野球をやっていたせいだ」「もう、ここまできたら、自分がプロ野球選手になって、家族をラクにしてあげるしかない」
司会の中居正広さんは「子どもにこんなこと考えさせちゃいけない」と仰っていましたが、僕も、望月選手が追い込まれていく姿に絶句してしまいました。
それでも、ドラフトで上位指名でもされれば、「苦労してやってきた甲斐があった、これから人生逆転するぞ!」ってことで、美談化される可能性もあったのですが、なんと、ドラフトで望月選手は「指名なし」。
現場にいたアナウンサーも「これはキツイ仕事だ……」と思っていたに違いありません。
ゲストの古田敦也さんが、ものすごい顔をして(本当に、「ものすごい顔」としか言いようがなかった)、「僕と同じなんですよ。自分も大学時代、指名濃厚と言われながら指名されず、ものすごく悔しい思いをした。こうしてみんなが集まっているなかで、名前を呼ばれないのって、本当につらい。でも、その悔しさをバネにしてがんばって、社会人になってからドラフトで指名されて、ここまでやってきたから」とコメントしていたのが、すごく印象的でした。


多くの人が、この望月選手のお父さんを批判したくなる気持ちはわかるよ。
子どもに自分の夢を押し付けて、「子どもの夢のため」という理由で、お父さんのほうがのめり込んでいってしまった。
全く才能がない子どもだったら、どこかで諦めがついたのかもしれないけれど、高校時代もけっこう活躍していたし、今回も指名される可能性は十分にあった。ただし、清宮選手や中村選手のように「1位確実」というクラスではなく、「どこのチームでも、指名してくれればありがたい」というランクだった。
ドラフトというのは選手にとっては就職活動のようなものかもしれないし、「希望するチームに行けないのはかわいそう」なんだけど、実際は「入れるのであれば、どこのチームでも喜んで!」という選手のほうがずっと多いんだよね。これは、一般的な就職活動も同じ。
このお父さんは「いきすぎ」であり、「異常」だったのかもしれないけれど、プロ野球って、「異常に野球が上手い人」が「常人にはできないハードなトレーニングをして、大観衆の前で活躍しなければならない世界」であり、『巨人の星』の星一徹のような父親のエピソードは少なからずあるんですよね。
それが親から押し付けられたものであっても、すでにそれが本人にとっても「夢」や「希望」になっている場合、そう簡単にリセットできるものでもないでしょう。
プロ野球の球団側としても、「かわいそう」「応援したい」で選手を採用するわけにはいきません。選手枠の問題もコストの問題もある。
ひとり獲得すれば、かわりにひとりクビになる世界です。
かなり力がある選手なのかもしれませんが、逆に「ここまで厳しくやってきて、今くらいの選手になった」というのは、今度の伸びしろが少ないのではないか、と判断される可能性もあります。
けっこうすごいんだけど、ちょっと足りないところがある、というのは、諦めるタイミングも難しいですよね。
古田選手のような事例もあるので、諦めなかったら、可能性はある。
なんのかんの言っても、人生って、才能と結果オーライなんだよね。



僕はこの望月選手の家族のエピソードをみて、2人の芸人の話を思い出しました。


まず、北野武さんが、『アキレスと亀』という監督した作品について語ったこと。


DIME』No.19(小学館)のインタビュー記事「DIME KEY PERSON INTERVIEW vol.24・北野武『芸術の危うさ』」より(2008年:取材・文は門間雄介さん)。

(「」内は北野武監督の発言です)

 その著作で、北野武は「才能があると思っているやつは最悪だ」という趣旨の言葉を残している。『アキレスと亀』の主人公・真知寿も、才能があると勘違いしてしまった最悪な男のひとりだ。では、お笑いでも映画でも頂点を極めた北野武という男は、自分の才能をどのように自覚しているのか。


「才能のあるやつっていうのは、変な言い方をすれば、ランクが上がるごとに自分の才能のなさに気づくやつのことでさ。自分で上手いって言うやつはたいてい下手だね。自分の才能のなさに気がついていないから。お笑いに関して言うと、おれはいまの若手によく言うんだよ。おれを尊敬しろ、でもいまのおれはお前らより全然おもしろくないって(笑い)。現役時代ならおれの芸のほうが数段上だけど、陸上競技でも昔の記録がそのまま残っているわけじゃないじゃない。その時代では一番だったけど、いま100mを12秒台で走っても遅いわけで、いまのお前らより下だよって。そういうふうに理解しないとダメだよね」


そう言うと、彼はちょっと上を向いて、どこからか取り出した目薬を右目にさした。お笑いに関して、あの北野武が何かを終えたという自覚を持っている。そのことになにより強い衝撃を覚える。しかし、自分を客観視するその技術こそ、彼が言う「才能」なのだ。


「でもさ、どんな負けず嫌いだとしても、あきらめたあとの楽しさっていったらないと思うよ(笑い)。ランキングから外れるんだもん。悪口は言えるしさ、これほどうれしいことはないよ。もちろん勝ち負けの楽しさも感動もないし、なんて言うんだろうな、やっぱり現役のほうがいいに決まってるよね。でも、それをどうやってごまかして楽しくするのかが、年寄りのテクニックだから(笑い)」


(中略)


この日、北野武はCNNの密着取材を受けていた。”キタノ”の作品を、世界が手ぐすね引いて待ち構えている。


「あなたの国で一番影響力のある宗教団体はどこですか? いますぐその信者になるから」


海外でのヒットをあざとく狙う彼のジョークに、CNNの取材クルーがたまらず吹き出す。
その姿を見ていると、彼は『アキレスと亀』の主人公と違って、小さい頃からの夢をすべてかなえてしまった人物のように思える。


「いや、小さいときにやっちゃいけないって言われたことを、気がついたらやってるんだよ(笑い)。完全にトラウマだよね。絵を描いちゃ親に殴られたし、小説を読めば怒られて、遊びみたいなのもいっさいダメだった。うちの母ちゃんは誇り高かったからさ、人に笑われるようなことが大嫌いなわけ。恥ずかしいって。だから、他人様に笑われるようなことをやるんじゃないって言われていきて、結局おれがやってるの(笑い)。でも、お笑いをやってない人生は想像できないから、運命みたいなところもやっぱりあるんだろうね」


今回の映画からも、その言葉からも、彼が「子どもの夢」について特殊な――でも、実に真っ当な――考え方を持っていることがわかる、北野武の新作が胸を打つのは、僕はその点だと思った。


「いまの時代は夢を持っているやつのほうが、なんの夢もないやつよりよっぽどいいとされてるじゃない。だって、夢を持っているんだからって。でも、現実は同じなんだよ。いま何もやっていないことに変わりはない。それなのに、いまの時代は強制的に夢を持たせようとし出したから、夢のないやつがそれを社会のせいにして、ナイフで刺しちゃったりするでしょう。でも、夢なんて持たなくていいんだって言わなきゃいけないんだと思うよ。下町だったらさ、いいんだよ、お前バカなんだからで終わるから(笑い)。別に、人に誇れるものなんてなくていいんだよね。ないやつだっているし、ない自由だってあると思うよ」


日本を代表するお笑い芸人であり、世界的に評価される映画監督である北野武さんにこう言われると、納得と反発が入り乱れてしまうのですが、「人に誇れるものや、夢なんてないやつだっているし、ない自由だってあるんだ」というのは、口にしにくい時代ではありますよね。


オードリーの若林正恭さんは、著書でこんなエピソードを紹介しています。

fujipon.hatenablog.com


(『社会人大学人見知り学部 卒業見込』 (若林正恭著/ダ・ヴィンチブックス) より)

 芸歴12年ともなると、お笑いの世界から足を洗った仲間をたくさん見てきた。
 このあいだ大阪に行った時に、5年前に芸人を辞めた友人に会い、居酒屋で二人で飲んだ。
 友人は保険会社に勤めていて、結婚もして子どもも生まれて風貌はすっかり立派な社会人パパになっていた。話は芸人を辞めてからの辛い瞬間の話になった。
 その男曰く、通勤中の電車に揺られて中吊り広告なんかをぼーっと眺めていると、ふとした瞬間に漫才やコントのネタが思いついてしまうことがあるらしいのだ。
 そうなると、頭の中でネタの構成は進んで行き、よし! これならウケるぞ! と思った時には相方もいなければライブにも出られないという現実が待っている。そういう時は家に帰ってからもそわそわするようで、嫁の目を盗んで誰もいない部屋でボケとツッコミの一人二役になって先ほど閃いたネタを試しにやってみてしまうらしい。そして、背中に強い視線を感じて振り返ると5センチ程の隙間から嫁が覗いていて、目が合うと「あんた、まさか芸人に戻るなんて言わないわよね」とドスのきいた声で問われるらしいのだ。


世の中には「絶対に夢をあきらめるな」と言う人がいれば、「夢を追うのもいいけれど、自分の限界を感じたら、どこかで「見切り」をつけることも大切だ」と言う人もいます。
これはどちらが正しいとか、そういうものじゃないというか、諦めずに成功すれば「諦めないでよかった」し、「挑戦しつづけること」そのものに生きがいを感じる場合もあるでしょう、逆に「諦めて、他の道に進んだことが、結果的には自分の才能を活かすのに役立った」という可能性だってある。
月並みな「マイホーム人間」になるよりは、夢を追い続けて野垂れ死にしたほうがいい、という価値観だって、他者が否定することはできない。


あの望月選手のエピソード、「ひどい父親だ」「放送事故だ」と炎上しているようなのですが、結果的に、「子どもの夢、至上主義」に一石を投じる内容になったのではないかと僕は思いました。
みんないろいろ言うけどさ、僕はあのお父さんの気持ち、ちょっとだけ理解できるような気がするし、だからこそ、身につまされました。
親は、自分にできないこと、できなかったことを、子どもに背負わせてしまうんだ。自分がそれを親にされて、すごくつらかったのを忘れて。
結局は、ここまできてしまったら、なるようにしかならないんだよね。これまで積み上げてきたものを「なかったこと」にするのは難しい。もっと幼い頃ならともかく。続けたらうまくいくとは限らないけれど、これでやめてもたぶん、後悔する。

「下町だったらさ、いいんだよ、お前バカなんだからで終わるから(笑い)。別に、人に誇れるものなんてなくていいんだよね。ないやつだっているし、ない自由だってあると思うよ」


親ってさ、なんで、自分にはないものが、自分の子どもにはあるって、信じたくなってしまうのかな。
でも、子どもが頑張っていることに「お前には才能ないよ」って、言えないよね。
たとえその夢が、親の期待に応えようとするためのものであることに、薄々感づいていたとしても。


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映画監督、北野武。

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