いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

その父親は、たくさんのカメラの前でだけ「バカヤロー」と叫んだ。

参考リンク:[みのもんた]会見で「父親の責任」と謝罪 降板は「一番苦しい道」

25日に同番組2番組の降板を発表したみのだが、降板という決断に至った経緯については、「(雄斗容疑者を)女房と懸命に育てて社会に送り出したはずなのに、どこかが間違っていた。確かにあの子は私の子です。不完全な形で世の中に送り出してしまったのだとしたら、父親としての責任があると思い至りました」と語った。

「雄斗容疑者とは事件以降に話をしたか」と質問されると、みのは「収監されてから彼とは話していません。一度だけ自宅に会いに行きましたが僕からは何もしゃべりませんでした。顔だけ見て5分で出ました。彼は玄関口で正座して、僕の顔を見て何か言いかけましたけれど僕は無視して出ました」と明かした。


今朝の『とくダネ』でこの会見の映像の一部を観ていました。
この話題のなかで、笠井信輔アナウンサーが「『子育てって、難しい』とあらためて思いました」と切り出したあと、「みのさんは息子さんに対して『会ったけれど、何の話もせずに立ち去った』と仰っています。でも、この会見の最後、息子さんにひとこと、と求められて『バカヤロー』って言っていて……直接本人には何も言わなかったのに……」とコメントされていたのです。


僕もひとりの父親として、この事件にはいろいろ考えさせられました。
「不完全な形で子供を世の中に送り出すのは、親の責任」だと言う、親としての心境は、わかるような気がします。
ただ、「(もちろん、僕も含めて)不完全じゃない人間というのは、この世に存在するのだろうか?」とも思うんですよ。
そういうのは、本人が(この場合は、みのもんたさんが)言うと、「開き直りやがって!」みたいな感じになってしまいがちなのだけれども。


もちろんそれは程度問題であって、他人の脱いだ靴下を丸めてそのあたりに転がしておく程度の「不完全さ」まで責めようという人はいないだろうし、犯罪となると、やっぱりダメだろ、ということなのかもしれません。
周囲の人たちをみていると、子育てっていうのはとても難しくて、何が「正解」かなんて、わからない。
傾向としては、親子がしっかりコミュニケーションをとっていて、夫婦も仲良しで、適度に「しつけ」をしている家庭のほうが、子供が問題を起こす割合は低いのだと思います。
ただ、それは絶対的なものではなくて、客観的にみれば恵まれた環境で育った子供でも問題が起こることはあるし、ひどい状況下から、素晴らしい人間が成長してくることもあります。


笠井アナウンサーのコメントを聞いて、僕も、「その『バカヤロー』は、謝罪会見の場ではなくて、次男の家を訪ねたときに、その場で言うべきだったのではないか」と思いました。
と同時に、いまの世の中での「公の場での建前としての正義」と「自分自身がやっていること、できること」の乖離は、けっして、みのもんたさんだけの問題ではないな、と考え込まずにはいられなかったのです。
面と向かって「バカヤロー」と怒鳴られれば、もしかしたら、息子の側も、いままで溜まっていたものを、反射的に、みのさんにぶつけられたかもしれない。
そして、そのことによって、ふたりの関係には、なんらかの変化がみられたかもしれません。
もちろんそれが、良い方向とは限らないけれども、いまのように「親子がメディアを通じて、お互いの情報を探り合っているような状況」というのは、健全なものとは言い難い。
でも、みのさんは「厳しい父親」だったというよりは、そこで息子と話して、自分の子育ての「失敗」をつきつけられるのが、怖かったんじゃないか、という気がしてなりません。
みのさんは「逃げた」んだと思う。
そして、同じような状況なら、僕も「逃げる」かもしれないな、と思う。


僕は「マスコミ人」ではありません。
でも、こうしてネットを通じて世間に発信している「あるべきこと」「正しいこと」を、自分の家族に対して、すべて実行できているかというと、そんなことはない。
身内だからこそ、面と向かっては言いにくいことなんてたくさんあるのです。


ネットではとくに「公的に正しい自分」を他者に見せていないと、隙をつかれてしまうのが怖い。
でも、それは「本来の自分」が置かれている状況とは違う「あるべき自分」でしかない。
自分が責められるのが怖いから、お互いに戦々恐々としながら、みんなが「あるべき自分」を演じて、「現実の自分のような人」を責める。


ネットに「正論」を書くたびに、僕は自分自身のことを振り返らずにはいられません。
「僕は、そんなに正しい人間なのだろうか?」って。

そして、こんなことを書くことによって、贖罪をしているような気分になっていることに、また嫌気がさしたりもして。

僕は「あるべきこと」だけではなく「いま、ここにあること」について語りたい。
くだらない自己顕示欲なのか、「業」みたいなものなのか……

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