いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ファミコン世代」の独白

ファミコン世代」の一員として、なんだかちょっと憤ったり悲しんだりしているのだけれども、僕自身の1980年代くらいを振り返ってみると、ファミコンが(あるいは、ファミコンの時代が)僕に与えたいちばん大きな影響は「ヒマだな、と思う時間の消失」なのではないか、という気がする。


それまで、ビデオデッキやテレビゲームが無い時代というのは、夜は、「本でも読むか、がんばって夜更かしてオールナイトニッポンでも聴くか、寝るしかない時間」だった。
テレビもそんなに遅くまではやっていないし、やっていても、「それは子供が観るものではない」とみんなが認識していた。
だからこそ「子供も『11PM』を観てみたいと思っていた」のだが。


ファミコンをはじめとするテレビゲームは、朝早くから、夜遅くまで、いつでも同じように僕を迎えてくれて、飽きもせずに一緒に遊んでくれた。
もちろん「このゲームには、ちょっと飽きてきたな」ということはあったけれど、テレビゲーム以前のように「ヒマだなあ」と感じることは、僕自身にとっては、無くなったといえる。


ちょうど同じ時期に、レンタルビデオが一般的になったということもあるし、少し時代は新しくなるけれど、新刊書店だけではなく、ブックオフで地方でも本を安く買えるようになった。
そもそも、テレビゲームの価格って、ファミコン初期は「どんなクソゲーでも定価5000円」だったのだが、いまは、ちょっと古いゲームでも良ければ、歴史的名作を1000円も出さずに買うことができる。
昔は「テレビゲームって、高いよなあ」と思っていたけれど、いまや、価格と楽しめる時間を考えれば、テレビゲームというのは、「最高のコストパフォーマンスを誇る娯楽のひとつ」だ。
大人になって、付き合いでの飲み会で5000円とか払うとき、僕はいまでも、「これでゲーム1本買えたなあ」なんて、つい、考えてしまう。
いまは「ゲームを買うお金があっても、それで遊ぶ時間がない」のだけれども。


最近、いや、ここ20年くらい、僕は「ヒマだな〜」と思うことがない。
「これをやろう、自分を高めよう」という意識高い系とは程遠い人生を送っているのだが、仕事や家庭生活だけでもかなりハードモードなのに、その合間に、ゲームとか、ネットとか本とか、映画とか、そういう「観たい、やりたいコンテンツ」を思い浮かべるだけでも、満腹になってしまうのだ。
やりたいと思うことの、半分どころか、10分の1も実際にはできていない。
いやほんと、「やる時間はない」のに、面白そうなテレビゲームはたくさん出るし、映画のDVDの新作も、新刊も途切れることはないし。
こうして、「やりたいことと、やらなければならないこと、でも、できないことの濁流」みたいなものに流されている間に、どんどん年を取って、死んでしまうのかな、なんて思ってみたりもするのだ。
これじゃ、『マトリックス』に出てきた、「一生夢を見せられ、マシーンに精気を吸い取られている人」と同じじゃないか。
正直、あれはあれで、客観的に自分の姿をみることがなければ、本人にとっては幸せなんじゃないかな、とも思うんだけどさ。


ファミコンというのは、多くの人の「ヒマだと感じる時間を消してしまった、あるいは、限りなくゼロに近づけてしまった」のではないかと思う。
もちろんそれはファミコンだけじゃなくて、あの時代に、そういう「みんなにヒマであることを感じさせない、24時間営業の、眠らないツール」が多量に出現してきたのだ。


それが、人々から「自発的に考える力」を奪ってしまった、と考えるのは、あまりにも短絡的ではあるのだと思う。
そもそも、文化というのが、多くの人々の生を充実させるものだと考えれば、ファミコンほど立派な「文化」は世界史上、存在しなかったのではないか。
ピラミッドより、モナ=リザより、ファミコンは、人類を幸せにしている。
もちろん、テレビゲームなんてつまらない、と思う人だって、世の中にはたくさんいるし、そういう人がいるのは、大事なことなんだけどね。
ただ、僕自身には、間違いなく「苦手だった学生生活を、テレビゲームのおかげでやり過ごせた」という実感がある。
たぶん、大部分の人々は、文化を想像するために悩むよりも、バラエティ番組を観て「つまんないな〜」とか言いながらゴロゴロしていたいのだと思う。もちろん僕だってそうだ。
いまの映画や小説を読むと、「テレビゲームの影響を受けた作家や作品」は、驚くほど多い。
当たり前だよね、僕と同じくらいの「ファミコン世代」が、いま、30代〜40代として、いろんな仕事をしているのだから。
スーパーマリオブラザーズ』に、注釈はいらない。
ドラゴンクエスト』で、『アメトーク』が1本録れる。


それに、「テレビゲーム」って、ひとつにまとめるのは、もう、やめたほうが良いのかもしれない。
映画にアクション、サスペンス、ミステリ、ホラーなどのさまざまなジャンルがあるように、ゲームにもさまざまなジャンルがある。
ボードゲームの代わりに『桃鉄』や『モンハン』をやる人がいて、名作小説を読むかわりに、RPGアドベンチャーゲームで遊ぶ人もいる。
お人形さん遊びやゴッコ遊びのかわりに『どうぶつの森』があり、メンコのかわりに、妖怪やモンスターが交換されている。


しかし、こうして考えてみると、今の世の中って、僕みたいな人間にとっては、天国みたいなものなのかもしれないよね。
これほど、「観たいもの、遊びたいものに手軽にアプローチできる時代」は、人類史上存在しなかっただろうし。


もしこれを読んでいる若い(10代〜20代)くらいの人がいたら、僕はぜひ尋ねてみたい。


「あなたは最近、ヒマだな〜と思ったことがありますか?」


こんなに何かに追いまくられているような気がするのは、時代や環境の変化のせいなのか、僕個人の問題なのか、それとも、みんなそうなのか、正直なところ、よくわからなくなっているのだ。