メディアも、メディアが取り上げる「在宅ワークができる人」や「医療従事者」も、仕事を続けられなくなって家にいるしかなくなった人からすると「この状況下でなお仕事がある人」だという自覚をメディアの人間は持たないと何も届かないとよく思う。
— 朽木誠一郎 Seiichiro Kuchiki (@amanojerk) 2020年4月25日
人生における三大不安要素は、「健康」と「お金」と「人間関係」だと僕は思っています。
いまの医療従事者というのは、「健康」に対するリスクがかなり高まっている一方で、「お金」に関しては、あまりに危険なので、自分から仕事を辞める、という選択をしない限りは失業のリスクは低そうです。
こういう状況が半年とか1年とか続くと、開業している中小クリニックには、経営危機に陥るところが少なからず出る可能性はありますが。
「みんなコロナで大変なんだ」とは言うけれど、冒頭のTweetのように、温度差もあり、「大変だ」と思っているところも、立場によるのです。
僕が知っている看護師さんたちは「患者さんたちの介護をするのも、部屋の掃除をするのも怖い」と感じており、「危険手当」みたいなものが一回の勤務あたり数千円、ということに憤っているのです。
それは確かに、安すぎるよね。
でも、病院側としては、新型コロナウイルスの感染予防のため、外来の新患は減っているし、入退院も絞っており、収入は減っている。
もちろん、外食産業や娯楽を提供する店に比べると、はるかに堅調ではありますが、危険なことはわかっていても、そんなに厚く手当を出せないのも事実なのでしょう。
それでも、「仕事と安定した収入があるだけマシだろ」と思われてもいるのだろうし、僕も正直、お金の心配をとりあえずはしなくても済むだけでも、かなり精神的に余裕を持ててはいるのです。
とはいえ、超インドア派のはずなのに、なんだか煮詰まったような気分で日々過ごしているのも確かです。
まあでもそれは、生きるか死ぬか、みたいな立場の人にとっては、ぬるま湯みたいなものなのだろうな、とも思います。
僕たちが「自分も感染して、もしかしたら人生終わってしまうんじゃないか」と恐れていることは、そういう仕事をしていなければ、実感としては伝わりにくい。
そして、「収入がなくなってしまって、生活が苦しいのだけれど、探しても仕事もない」人たちの苦しみというのも、僕には理解できていない。
「想像」することはできるけれども、それは、あくまでも「想像できる範囲のもの」でしかない。
この状況下でまだ営業しているパチンコ店が大バッシングされているのは「感染拡大を防止する」という観点からは、致し方ないことではあるのでしょう。
「どうせ自分は一人暮らしだし、感染しても自己責任だから」「他に趣味もないし、自分なりに予防はしているから」という人たちには、「いや、もしあなたが感染したら、あなたから多くの人に感染が拡大するリスクがあるんですよ」と言いたくなるのだけれど、たぶん、その言葉は、彼らには伝わらないのです。
「いや、自分のつまらない人生なんて、どうなったっていいよ」と言われると、こちらとしては、肩をすくめて立ち去るか、「みんなに迷惑だって言ってるんだよ!」と檻にでも閉じ込めてしまうかしかない。
「希望」とか「生きがい」とか「他者への期待」が無いと、人間は「自分や誰かのために、何かを我慢しよう」とは思えなくなる。
こんな状況でも、パチンコ店に並んでしまう人、というのは、よほどの依存症か、自暴自棄になっているのではないか、という気がするのです。
みんなに叩かれても、いや、「叩かれる」からこそ、あえてパチンコ店に行っているのではなかろうか。
そもそも、いま営業しているパチンコ店は、基本的に客が集まってくるので、出さない(客が勝てない)ようにしていると思われます。
こんなリスクを負ってまで営業して、客にお金を配る店なんて、ありえないわけで。
客側としては、「ふだんよりも、負けるリスクが高い」し、そんなことは、長年パチンコをやっている人間なら、まず理解しているはず。
それでも、行く人は行く。
ある意味、こんな状況でもパチンコ店に並ばずにはいられない人こそ、なんらかのサポートが必要なのではないか、とも思うのです。
テレビのインタビューとかだけ見ていると、「自分だけは感染しないと思ってやがる!」と言いたくもなるんですけど。
実際は、新型コロナウイルスって、東京などの都会を除くと、「ニュースでみんな怖い怖いって言って、マスクしていないと白眼視されたりするけれど、実際には患者を見たことないんだよなあ」っていうのが、多くの人の「実感」だと思うし、そんななかでもこんなに「自粛」できているのは素晴らしいことではないかと。
正直、僕は「ああ、みんなこんなに『生き延びたい』と思っているんだな」と、感じているところもあるのです。
「もういつ死んでもいい」「早く死にたい」と言っていた高齢者たちが、一生懸命手洗いをし、マスクをしていない人を注意し、スーパーの店員さんを「商品を素手で触った」というだけで怒鳴りつけているのを見るたびに、人間の「生への執着」みたいなものに圧倒されています。
僕もけっこう「いつ死んでもしょうがないな」くらいのことを思ってはいたはずなのに、最近は「まだ死ねない。カープの日本一を見届けるまでは!」とか往生際の悪いことを考えています。
個人的には、「みんな、こんなに自粛していて、すごいなあ、偉いなあ」って、思っているんですよ。
いろんな店が閉まっていて、どうしようもない、というのもあるんだろうけれど、テイクアウトがいろんな店でできるようになったり、有名人がネットで自分のコンテンツを配信するようになったり、オンラインで飲み会をするようになったり。
こんな時代だからこそ、多くの人が工夫をしたり、新しい挑戦もしたりしている。
「我慢できない連中を叩く」のは、規範を守るためには効果的なのかもしれないけれど、それと同じくらい、「なんとか我慢していたり、少しでも楽しく過ごそうとしたりしている自分(たち)を褒めてあげる」ことが大事なのではなかろうか。
少なくとも、新型コロナを「自分が嫌いなものを排除するために利用する」ことの是非は、考えてみたほうがいい。
明日、排除されるのは、自分かもしれない。感染症は「誰が罹患してもおかしくない病気」なのだし。
個人的には、あんまり不安な人は、SNSとかブログ、テレビのワイドショーを観ないことをおすすめします。観ても不安になるだけで、感染予防のためにやるべきことは同じなので。
新型コロナで人類が滅亡しないかぎり、人間の歴史は続くし、隣人は隣人なのだから。
そして、「非常事態で仕方なかった」とこちら側は思っていても、それで差別されたり、排除されたりした側は、絶対にそのことを忘れないから。