いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「アドバイス罪」と言われるのを承知で、僕の転職体験について書いてみます。

※このエントリは、すぐに消すかもしれません。



anond.hatelabo.jp


 これを読んで、いろいろ思うところがあったので、「アドバイス罪」と言われるのを承知で書く。
 正直なところ、親との関係については、増田さん(冒頭のエントリを書いている人)の主観であり(別に主観だから悪いというわけではない。本人が「客観的」だと思い込んでいるほうがよっぽど危険だ)、一概に「毒親」と断言することもできない。
 うつで休職に至ったこともあるそうなので、増田さんが突然自殺したり、いなくなってしまうのではないか、という不安を親側も持っているのではないか、などと想像してしまう。もともとそういう親御さんだったことが、うつの要因なのかもしれず、結局のところ、この文章だけではなんとも言えない、としか言いようがないのだが。
 だから、家族関係については、とりあえずアドバイスできることはない。
 ただ、これを読んでいて感じた仕事のことについて、僕が最近体験したことを踏まえて書く。


blog.tinect.jp


 これは、先日『Books&Apps』さんに寄稿した記事なのだが、僕自身は40代半ばまで、いわゆる「医局の人事」で動いてきた人間だった。
 そんなに特別なスキルもないし、教授や大きな病院の管理職になれるような実績も野心もないし、開業医としてやっていけるほどの才量もないので、消極的な選択として「行けと言われたところに行く」人生を過ごしてきた。
 そうやって、けっこうきつい職場でも仕事をしたり、電話の音に苛立ったり、一睡もせずに翌日も朝から診療をすることに怯えたりもしていた。
 でも、「みんなこんなものだろう」って思っていたんだよね。
 自分にとって耐えがたい、というような環境でも、ここでワガママを言ったら嫌われるのではないか、とか、無能の烙印を押されるのではないか、とか、あれこれ先回りをして考えていた。
 自分でも「少なくとも、有能ではないな」とわかっていたつもりなのに、他人から「無能だ」「逃げた」「ラクなほうへ行った」「お金に転んだ」と言われるのは嫌だったのだ。地方の大学の医学部を出て医者になった中途半端な田舎エリートは、プライドだけが高かった。そして、そのプライドだけが自分の支えだった。
 その一方で、この仕事が「少なくとも他人からバカにされることはない」というのは、僕にとってのささやかな生きる杖だった。


 でも、いろんな事情があって、僕自身、生き方を変えようと思ったのだ。
 これ以上、眠れない当直の前日に不安になったり、当直室で電話がかかってくるたびに何かに当たり散らしたくなったりするのは、自分自身に、そして何より、患者さんに対して危険が大きすぎるとも感じていた。


 守秘義務的なこともあるので、詳細は書けないのだが、いままでまともに就職活動もしたことがない僕にとって、スーツをきて面接を受け、名刺を受け取り、自分自身を値踏みされるというのは、とても新鮮で、かつ、くたびれる体験だった。
 面接が終わった日は、コンビニで缶ビールを買ってきて祝杯をあげようとするのだが、それを冷蔵庫に入れた時点で疲労のあまり眠ってしまっていた。


 僕の場合、かなり強い資格を持っている、ということもあって、比較的スムースに進んだと思うし、担当の人もうまくいろんなことをコーディネートしてくれて、感謝している。
 いまは転職先で働いているが、とりあえず、うまくやれているのではないかと思う。
 正直、「僕はもっとハードな仕事だってできるんだぞ!」と、それがつらくて転職を選んだくせに、妙なプライドがよみがえってくることもあるし、ある種の物足りなさや、このくらいの労力で、こんなにもらえる仕事が、そんなに長くこの世界に存在するのだろうか、なんて不安になることもある。
 ただ、夜はよく眠れるようになったし、当直や救急、休日の急変時の呼び出しの際に感じていたような切迫感からは解放され、穏やかに暮らせている。
 問題点としては、そうなると、あまり創作意欲、みたいなものがわかなくなったり、もともとしょうもないブログが、さらにつまらなくしか書けなくなったことくらいだろう。
 

 そりゃお前は医師免許とか持ってるからいいよな、という声が聞こえる。
 その通りだ。
 世間一般の転職は、そんなに甘くはないだろう。
 もっとも、医者だって、あと10年もすれば、AIと価格競争を強いられるかもしれないが。


 僕がこの増田さんに言いたいのは、実際に転職するかどうかはさておき、現状に対して「煮詰まっている」と感じているのなら、自分からアクションを起こして、転職サイトに登録するとか、エージェントに相談してみるとか、やってみても良いのではないか、ということだ。
 もちろん、それで必ずしも転職がうまくいくとは限らない。うまくいかないケースのほうが多いかもしれない。
 現状を変えるのはめんどくさいし、「逃げた」と言われるのも嫌だろう。
 それでも、自分を一度、市場に投げ込んでみるというのは、悪くない選択だと思うのだ。
 いまの自分は、客観的にみて、どのくらいの給料をもらえる可能性があるのか? どんな仕事ができそうだと評価されるのか?
 職種や勤務地を少し「ずらす」だけで、かなりの好条件を得られる場合はあるし、一般的には無名でも「いい会社」は存在する。
 いや、絶対に転職しなければならない、というわけじゃない。候補や条件をみて、「これなら今のほうが良い」と感じたのなら、現状維持でも構わない。
 僕の担当のエージェントは「面接で採用が出ても、土壇場で、やっぱり転職はやめます、という人はけっこう多いんです」と仰っていた。
「それは仕方のないことだし、無理強いはしません」とも。
 人間関係とか勤務地とか、やりがいとか、新しい環境への不安とか、いろいろあるのだと思う。
 でも、それで「結果的に転職しなかった人」にとっては、現在の職場は、それまでとは、少し違って見えるのではないだろうか。
 

 人間、嫌われたり、逃げたと言われたりは、しないほうが良いに決まっている。
 でも、人生を変えようというときには、他人から嫌われてもしょうがない、と覚悟しなければならないときもある。
 実際にやってみると、周りの人は「俺もお前だったら、同じようにするよ」と理解してくれたり、応援してくれたりすることも多いのだ。


 すべてにおいて正解の選択肢なんて存在しない。だからこそ、よりマシな選択ができるよう、選択肢を広げたい。
 僕は、自分自身で決めてしまっている「自分にとっての世界の枠組み」を、一度、取り払ってみることを増田さんにおすすめしたい。
 正直、何の資格もない、仕事もない、しばらく生活していけるくらいのお金もない、という状況の人に、こんなことを言うのは、あまりにも理想論だろう。 
 でも、増田さんには、今のところ、月に手取り17万円の仕事とコンピュータのスキルがある。だからこそ、本当に追い詰められてしまう前に、自分から動いてみて、損はないと思うのだ。
 「それでも転職できるか謎」なら、めんどくさくても、自分の価値を思い知らされるのは嫌でも、扉をノックしてみて、その「謎」を解明してみるしかない。
 転職サイトがすべて善であるとは思わないし、なんか転職業者の宣伝みたいになってしまったのだが(もちろんそんなつもりはない)、やってみても、これ以上状況が悪くならないのなら、試してみる価値はあるはずだ。

 それに、何かひとつでも「自分の意思で動いてみる」と、いろんなことに対して、視野が広がるんだよね。
 増田さんのこんがらがっている糸のなかで、現状では「仕事」が、いちばんほどきやすい結び目だと僕は思います。


fujipon.hatenadiary.com
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仕事は楽しいかね? (きこ書房)

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