いつか電池がきれるまで

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カルロス・ゴーンさんの報酬と「給料の額だけで、その人の価値がわかってしまう世界」


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逮捕されたカルロス・ゴーンさんの報酬について、小林よしのりさんが、こう仰っているのです。

カルロス・ゴーンが日産だけで年収50億円、実は100億円せしめていたらしいが、グローバル企業だから当たり前だという意見に日本人もなっているのが驚きだ。
格差容認、新自由主義の思考回路に自己洗脳してしまった奴ばっかりだ。
大リーガーとは違うだろう。
個人主義で儲けるしかない大リーガーと、数万の従業員の人生を背負う社長とは、収入に対する「礼・マナー」が違っていて当然だとわしは思うがな。


ネットで、「50億とか100億とかあまりにも大きな数字すぎて、どっちでも構わないような気がしてくる」なんていうのを見て、「そうだよなあ……」と。
実際は、100万の人が200万、というのとでは、同じ「2倍」でも、偽った金額の差は100万円と50億円になってしまうのですが、あまりに数字が大きくなると、感覚がマヒしてしまう気がします。
これを機に、ゴーンさんに関連したさまざまな不祥事や疑惑が噴出してきて、ゴーンさん本人の責任はもちろんなのですが、彼をカリスマ経営者、「コストカッター」ともてはやしてきた経済紙や財界の人々は自分たちの責任を感じないのだろうか、とも思うんですよ。
この差額の50億あれば、ゴーンさんがカットしてきたいろんな人生が、もう少しマシなものになったかもしれないのに。


そもそも、企業経営者の報酬が50億とか100億というのは「適正」なのかどうか。
ゴーンさんのおかげで、日産の経営は改善され、多くの人の仕事や生活が救われたのだから、それに見合った金額だ、と思う人もいるだろうし、スティーブ・ジョブズビル・ゲイツのような、自らリスクをとって事業を立ち上げた創業社長が多くを持っていくのは理解できるとしても、「プロ経営者」の報酬は、あまりにも高すぎるという意見もあるはずです。

僕は正直、ゴーンさんがあれだけ「コストカット」を要求しながら、自分は高額報酬でやりたい放題、というのはものすごく感じ悪いのだけれども、経営者はその経営の結果で評価されるべきて、品行方正であることは美徳であるが評価の対象ではない、とも思うんですよ。
そもそも、ゴーンさんだって、これだけ絶対的な権力を握ってしまったから、自分がやっていることのおかしさを感じなくなってしまった可能性があるわけで。
日産の関係者も、これはあんまりだ、と思いつつ「忖度」していたのがついに爆発した、とみるべきなのでしょう。


 しかし、50億とか100億とかいうレベルになると、その人ができることって、そんなに大きくは変わらないとも思うのですが。
 100万と200万、1000万と2000万ならともかく。
 ……とかいうのは、お金の使い方を知らない人間の世迷言、なんだろうな。
 実際、「お金を持っている人のコミュニティ」というのは、「そこに属しているための必要経費も高くなる」傾向がありますしね。

 『課長・島耕作』のなかで、ハツシバの社長に抜擢された中沢さんが、記者会見の際に、前の社長から高級腕時計をもらうシーンがありました。
「こんな高いものはいただけませんし、ブランドものは私の趣味ではないので」と断ろうとした中沢さんに、大泉さん(前の社長)はこう言うのです。
ハツシバのような大企業のトップは、このくらいのものをつけているのが当たり前なんだ。安物を身につけていると、相手は『なんでこの人はこんなものをつけているんだ?よほどの変わり者なのか?』と身構えてしまう。だから、これをつけておきたまえ」と。

 こういう体験を重ねていくと、「庶民派」だったはずの人でも、「会社のため」に、どんどんお金を使って、自分を大きく見せていくようになるのではないか、と感じますし、それはそれで、たしかに「会社にとってのメリット」もあるんですよね。
 

 ここまで長々と書いてしまったのですが、「仕事と報酬」といえば、僕としては、プロ野球のFAについて考えずにはいられないのです。
 小林よしのりさんも「ゴーンさんと大リーガーとは違うだろう」と仰っていることですし。


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オリックスの金子投手はFA宣言しているわけではないのですが、カープファンの僕としては、「お金」だけが重視されてしまうと、カープからどんどん良い選手がいなくなってしまう、という寂しさばかりがつのるのです。

日刊ゲンダイ』の記事でもあり、信ぴょう性に疑問符はつくものの、巨人とカープマネーゲームをやっても勝ち目はないわけで。
カープの場合は、リーグ3連覇を成し遂げて、評価が高まった選手も多いので、丸選手に破格の条件を出してしまうと、他の選手にもそれが基準になってしまう、という可能性が高いのです。
その一方で、ここで丸選手が流出する、ということになると、それが契機になって、どんどん主力が出ていってしまうことになりかねません。丸だって移籍したのだから、と。

プロ野球選手の「適正年俸」って難しいですよね。
いくら丸選手でも、年俸7億×5年間は高すぎるのではないか、というのと、カープファンとしては、カープが出せる球団であれば、それだけ出してでも引き留める価値がある選手だというのと。
そもそも、使えるお金が違いすぎるチームが同じリーグで戦っている、ということそのものが問題であり、だからこそ、カープが巨人に勝つことにロマンがある、ともいえる。

高すぎる、とはいっても、実際にそれだけの値段をつけるチームがあれば、それは「評価」でもあります。

所属球団への恩義とかファンの気持ちとかいうけれど、良いときにはちやほやされるけれど、悪くなったら冷遇されるのが当然の世界ですから、「ファンの気持ちよりも年俸や契約年数」というのも理屈ではわかる。
けれど、長期契約をした選手は一般的にあまり良い結果を残していないというのも事実だし、ずっとひとつの球団にいて、地元のファンから愛され続けるという選択は、もしかしたら、お金だけではない人生の豊かさをもたらしてくれるかもしれない。
そういう「人気」や「人脈」が結果的に将来の仕事や生活の安定につながることも多いのです。
(そういう意味では、何千万円かの年俸の違いであるならば、FAせずに残留を選んだカープの松山選手は金銭的にも「たぶん損はしない」はずです。ただ、丸選手の場合は、現役選手として得られる収入の差が大きすぎる)


 西武の浅村選手の楽天移籍というのは、僕にとってはけっこう衝撃的だったんですよ。
 恩義なら西武だし、条件ならソフトバンク、地元愛ならオリックス。でも、楽天に行く理由って、ある?
 ところが、石井一久GMとの話し合いなどの結果、浅村選手は「やりがい」を求めて楽天に移籍することを表明しました。
 人間の選択基準って、わからないなあ、でも、これはこれで、(西武ファンではない)僕にとっては興味深い結果だなあ、と痛感しました。
 「お金じゃない移籍」といえば、10億円以上年俸が安いカープにもどってきた黒田博樹投手のことを思い出さずにはいられないのですが、「やっぱりお金」だという価値観は、万人に、すべてのタイミングであてはまるものではないのです。
 
 丸選手の選択はわからないのだけれども、巨人の提示する年俸がつり上がっていくほど、僕は「やりすぎると、かえって丸選手は『不安になる』のではないか」とも感じます。

 世の中の大多数の人は、「もっとお金がほしい」と思っているはず。
 でも、実際に自分の仕事の内容に見合わない収入を得てしまうと、不安になる人もいるのです。


 内田樹先生がどこかで書かれていたのですが、日本では「自分の能力や働きに比べて、給料が安い」と不満を持っている人の割合が高いそうです。
 そのことに対して、内田先生は、こんなふうに仰っています。
「もし、労働者の待遇が完全に『能力や実績に正比例』していたら、大部分の人は、自分の能力の現実に打ちのめされることになるだろう」
 「能力」は必ずしも待遇に反映されていない、という思い込み(そして社会的な同意)があるからこそ、多くの労働者は「俺はこんなに働いているのに、なんで給料が安いんだ!」と愚痴を言うことができます。
 その人が、本当に言うだけ働いているのかどうかはさておき。
 もし、「正比例の世界」であれば、それは「公正」ではあるのかもしれませんが、「自分の置かれた立場に、何も言い訳ができない世界」です。
 あるいは、「給料の額だけで、その人の価値がわかってしまう世界」です。
 多くの人がもらっている給料というのは、残念ながら「働き相応」なのですが、それに不満を言ってガス抜きできる社会のほうが、たぶん、「幸福」なのでしょう。


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 オリックスの金子投手の場合は、高額な年俸に釣り合う成績を残せなかったために、5億円も一気に収入がさがるのに、ネットでは「1億円でも御の字」「これまでもらってきた借りがあるだろ」と批判されています。僕もこの成績じゃしょうがない、とは思うのだけれど、本人にとっては税金が払えなくなるとか、いろんな問題もあるのだろうなあ。
 正直、給料って、もらっているときには「自分は仕事の割にもらいすぎている」って思うことって、少ないですよね。あくまでも、自己評価としては。
 多少成績が悪くても、「こんな田舎で働いているのだから」とか「これまでの積み重ねがあるから」とか、「こんなにつまらない仕事を我慢してやっているのだから」とか、ベテランだから、とか、僕もつい考えてしまいます。
 仕事ができているからもらえている、だったのに、状況が悪くなると、これだけもらえているのだから、自分にはその価値がある、という理由をつくりだしてしまうのです。
 でも、そういう負のスパイラルに入った高給取りは、まさに「組織にとっての過重なコスト」にしかならない。
 
 高すぎる報酬は、本人にとってもリスクである、ということは、意識しておいたほうが良いと思います。
 「お金をたくさんもらっている」というだけでも、世の中からの反発って、けっこう大きい。
 
 「お金」を基準にしてしまえば、「いろいろとわかりやすいし、他者に説明する手間が省ける」のも事実ではあります。
 浅村選手だって、ソフトバンクに移籍すれば「あれだけ貰えればねえ」と、みんな「納得した」はず。

 多くの人が「やっぱりお金」だからこそ、「お金じゃない人」が輝いてみえるし、そういう選択をする人も現れるのですよね。


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