いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「あなたがちゃんと正しい報酬を受け取らなくては、その業界の他の人が困る」


delete-all.hatenablog.com


 僕が生きているこの世界というのは、たいそう込み入っているよなあ、と、ときどき思うのです。
 冒頭のエントリを読んで、先日書いた、この話を思い出しました。
(すでに文中のリンク先のいくつかは「Not Found」になっているのを御容赦いただきたい。最近のネットの記事は、どんどん「話題になっている時間も公開されている期間も短くなっている」ような気がします)

fujipon.hatenablog.com


 もう高齢の夫婦が長年やっている食堂が、利益度外視(というか、自分たちが食べていければいい、という価格設定)で商売をやっていることに対して、「そんなことをされたら、ちゃんと稼ぎたい、もっと休みたい、という『普通の商売人』が迷惑じゃないか!」と憤るのは、筋が通っているのか?
 創作物よりも、食堂は原価がイメージしやすいし、味や満足感という基準も「アートの価値」よりは、客にとっても判断しやすいはずです。
 
 「こんなに良いものを提供しているんだから、もっとちゃんと利益を出して、経営を安定させて、店がずっと続くようにしましょうよ」とコンサルの人が言うのは、それが仕事だからわかる。ただ、ずっと「成長」を求める体質になったばっかりに、どんどん無理を重ねて、全てを台無しにしてしまうことも多いのだよなあ。
 そもそも、「お金」や「経営を安定させること」「休みを増やしてQOL(生活の質)を上げること」は、最大公約数的なニーズではあるけれど、すべての人にとっての最優先事項ではない。
 「美味しい、とお客さんに喜んでもらえること」「店を通じて、いろんな人に出会えること」「ひとりで家でテレビをみているよりも、商売をやっていたほうが生きがいを感じる」「美味しくて安全なものを提供することで、社会に貢献している」みたいな考え方の人は「少数派」だけれど、もちろん「異常」ではありません。
 問題は、「お金を稼ぎたい人」と「お金は二の次で、自分の貯蓄を切り崩しても今の『商売』という形を維持したい人」が、同じ「食堂」というフィールドで戦わなければならない、ということなんですよね。
 創作物でも「書いたものに適正な報酬が欲しい」という人と「とにかくたくさんの人に読んでもらえれば満足」という人、そして「将来のために、ここは安い報酬(あるいは無報酬)でも、多くの人の目に触れたい」という人がいるのです。

 ネットで「論客」的な立場で発言する人の多くは「あなたがちゃんと正しい報酬を受け取らなくては、その業界の他の人が困る」と言うんですよ。
 しかしながら、その人も自分の生活で使うお金に関しては「他者に正しい報酬を支払うことを最優先にしている」のか?と問われたら、たぶん「No」でしょう。
 他人事みたいに書いていますが、僕だってそうで、100円ショップで潰れそうなところから安く買いたたいてきたかもしれない原価が100円以上の商品を嬉々として買いますし、電気製品は「価格コム」の最安値と近所の家電量販店の販売価格を見比べて、「こんなに値段が違うんなら、ネットで買うよな……」と自分に言い聞かせています。

 いや、そんなのしょうがないじゃないか、と僕の中の半分くらいの成分は思うわけです。
 僕だって生活者として、同じものをわざわざ高く買うような愚かなことはしたくない、と。
 しかし、その「価格の差」というのは、人件費や問屋などの中間マージンの削減やリアル店舗を持つコストを無くすところから生じてきているわけで、みんなが「とにかく安価で買う、賢い消費者」になれば、世の中は生鮮食料品を売るスーパーマーケットや一部のショールーム的な店舗以外は、ネット通販だけになってしまうかもしれません。というか、そうなりつつあることを危惧する人はもう少なからずいて、Amazonリアル店舗を試験的に運営しています。
 効率化や安売りは、たぶん、顔の見えない誰かから、仕事を奪っている。
 だから家の近くの店で、ちょっと割高でも買い物をしたほうがいいよ、とも、言えませんよねなかなか。そもそも「価格コム」の最安値の店と比較すると、「ちょっと割高」どころじゃないし、近くで買ったからといって、そんなにサービスに差があるわけじゃない。
 その一方で、「コミュニケーションを買う」ともいえる、「でんかのヤマグチ」のような商売のやり方も生まれているのです。


blog.tinect.jp

『応援される会社~熱いファンがつく仕組みづくり~』(新井範子,山川悟著/光文社新書)より。

高齢者世帯に注力した家電製品の販売・アフターサービスを展開するのが、東京都町田市にある「でんかのヤマグチ」だ。

他社で買った商品もアフターケア、電球1個でも配達して交換、ビデオ録画のためだけに出張、冷蔵庫が壊れればクーラーボックスに氷を入れ、エアコンが壊れれば代用の扇風機を持って訪問、という徹底的なサービスで顧客から絶大の信頼を獲得している。

それだけではない。およそ家電店とはかけ離れた仕事、例えば水回りの修理、部屋の模様替えの手伝い、駐車場は地域に開放、買い物しない客にもトイレを開放、雨の日の傘の貸し出し、毎月開催される激安野菜販売など、「街の電気屋さん」を遥かに超えたサービスを展開している。

いうなれば、地域のファシリティセンター(便利屋さん)のような役割を果たしているのだ。

筆者が訪問した土曜日の午前中には、「8km離れた自宅から店員のYさんにお礼を言いにだけ来た」という80代の男性や、「町田に在住して50年間ずっとヤマグチ」という70代の女性ほか、高齢者の顧客がひっきりなしに店頭を行き来していた。

同社はパナソニック系列店であり、大手家電量販店のような低価格販売を目玉としているわけでない。しかし顧客が求めているのは、安売りとはまるで違った価値である。

例えばある男性客が、一人暮らしの母親向けに30万円台のテレビを購入した際、値引きを要求するのではなく「母のことをよろしくお願いします」と伝えたというエピソードがある。

彼がヤマグチに求めたのは、購入を契機とした長期的なつながりなのだ。

それは「遠くの息子よりも近くのヤマグチ」という顧客の言葉に見事に集約されている。ここでは購入時点の価格の高低ではなく、生涯価値を想定に入れた買い物が行われているのである。

 ネット通販で、人と人とのつながりや「情」が無くなった、という声がある一方で、「それなら、『つながり』や『情』を売ろう」と考える人も出てくるのです。

 斜に構えてみれば、冒頭の「高齢者が利益度外視でやっている食堂」というのは、「お客さんへの良心、という物語を売っている」面もあるのだと思います。
 実際、そういう店は、「本当においしくて安い」ところばかりではないだろうし。

 Amazon楽天だって、出店社(者)から「競争」という名の企業努力を求めているんですよね。
 実際のところ、今のAmazonの営業利益は、AWSAmazon Web Services)というネット上のインフラのサービスが多くの割合を占めていて、ショッピングサービスは「それで稼ぐためのもの」ではなく、「Amazonというブランドを浸透させるための看板」なのです。
 楽天も、営業利益の多くを占めているのはネットショッピングからではなく、楽天カードローンの利息です。

togetter.com


 そりゃ、熱心に毎月、「リボ払いにしませんか?」ってメールを送ってくるはずだよね、って話ですよ。


 通販だけで稼ごうとしている「普通の店」たちと「Amazon楽天のようなネット通販会社だけれど、利益の大部分は他の部門から得ている企業」が価格設定で勝負しようとすれば、よほど扱っている商品に競争力や独自性がないかぎり、「普通の店」には勝ち目がありません。基本的にはみんな「安いほう」「便利なほう」から買うので。


 他者には「ちゃんとした報酬を得るべきだ」とは言うけれど、日常生活で、近所の小さな店がちゃんと儲かるような値段で買い物をする人は、ほとんどいない。ネット上に投げ込まれる理想や理念と現実とのミスマッチは、どんどん拡がっているのです。


 僕は高級料亭での産地偽装事件をみて、思ったんですよ。
 世の中の「高いもの」が、みんなその値段に比例した、きちんとした物だったら、いちいち悩まなくて済むのに、って。
 大部分の事例では、「価格相応」なのですが、世の中には、さまざまな事情や状況があって、「安くてうまい店」や「高くてもダメな製品」が存在しているから、あれこれ考えたり、情報を集めたりしなければならないのです。
 それは「カオスの中で生きる面白さ」と捉えるか「めんどくさいなあ」と嘆くのか(僕はどちらかというと後者です)。


fujipon.hatenadiary.com

 ただ、ネット社会では、この「佰食屋」みたいな店の経営の仕方もあるので、ネット社会なりの戦い方もあるのです。
 「(企業として)成長しない」というのは、これから生き延びるための戦略として有効かもしれません。
 それはそれで、まさに「新型コロナの流行のようなイレギュラーな状況が起こったら、どうするんだ?」って言われそうではありますけど、新型コロナはさすがに「ノーカン」だよなあ。
 こんなの誰も予想できないよね。「歴史家レベル」でいえば「人類には繰り返し起こってきた危機のうちの1回」だとしても。


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