先週、福岡のジュンク堂書店で、『八本脚の蝶』が文庫化されていたのを見つけた。
確認してみると、2020年2月6日に文庫が出たみたい。
ちなみに、いまでもWEB版の『八本脚の蝶』が保存され、読めるようになっています。
(注:もしあなたがいま「死にたい」という気持ちにとらわれているのであれば、『八本脚の蝶』は読まないようにしてください)
インターネットに書かれたさまざまな文章や記事は、紙の本などに比べて、ずっと世界に遺り続けると昔の僕は思い込んでいたのだけれど、デジタルデータというものは、けっこうはかないものなのだ。
これまでも、本人の意思によって消されたものもあれば、作者の急死でお金が払われなくなったものもあり、ブログサービスの終了とともに失われてしまったものもある。
紙の本であれば、なんらかの形でどこかに残ることが多いのだが、データというのは、けっこう容赦がないものだ。
ネット上のデジタルアーカイブを蘇らせるサービスもあるのだけれど、完璧なものではないし。
そういえば、僕自身も昔のデジカメの写真を、けっこうたくさん無くしてしまったし、『さるさる日記』の終了とともに、失われてしまった昔の日記もある。
まあ、ネット上のコンテンツなんて、見る人がいなければ、無いのと同じ、ではあるのだが。
『八本脚の蝶』の単行本が出たのは2006年の1月で、もう14年が経つのだ。僕が読んだのは、2013年だった。2016年本屋大賞・発掘部門の「超発掘本!」にも選ばれているが、「!」とかつけられると、なんか違うんじゃないか、と思ってしまう本でもある。
単行本から14年経っての文庫化というのも、セールス的な関門というよりは、この本が、人を「死」に引き寄せてしまう力について、出版する側にも迷いがあったのかもしれない。
2006年、単行本が出版されたときに、ポプラ社の斉藤尚美さんは、こんな話をされています。
斉藤:会社で、『八本脚の蝶』の企画を通すときに、何度かダメ出しをされたんですね。
いちばん、大きなダメ出しだったのが「彼女は才能もあるし、文章も素晴らしい。でも、これを読んで彼女に傾倒して、自ら命を絶つ人がいないとも限らない。そういうとき、どう責任をとるの?」というものでした。
私はこう思ったんです。
『八本脚の蝶』読んでいて、いちばん強く感じたのは、生きているとこんなすごいことがあるんだってことなんです。彼女はある意味、誰とでも合わせられるタイプの人じゃなかったと思うし、辛いことも多かったと思います。だけど、自分を理解して受け入れてくれる、さまざまな人に出会えた。この世の中に、本当に、そういう出会いってあるんだなって。
自分のことをわかってくれる人が身近にいないって悩んでいる人がいたとしたら、この本を読んで、自分も彼女みたいに誰かに出会えるかもしれないと思ってくれるんじゃないか。
それに『八本脚の蝶』を読んでいると、彼女の生きる姿勢が伝わってくるんです。ものすごく真剣で、まじめで、一生懸命。これは私が生前に彼女と会っていなかったり、ある程度距離感を持っているから言えることかもしれないですけど、読んでいて励まされるんですよね。最後は自分の命を絶ってしまうという結果になってしまいましたが、「生きる」ということに本当に誠実な人だったと思うんです。人を励ます文章って、一生懸命生きている人しか書けないと思うんですよ。
いま、これを書きながら、僕はこの14年間、一生懸命生きてきただろうか、と考えているのです。
一生懸命じゃないと、生きていけなかった。でも、一生懸命じゃなかったから、なんとか生き延びてこられた。
この『八本脚の蝶』を読みながら、僕はずっと「すごいことが書いてあるし、強烈にひきつけられるのだけれど、僕にはここに書いてあるフェミニズムとかマゾヒズムとかファッションとかブランドのことを理解できない」と感じていました。
むしろ、あまりにも理解できなかったからこそ、圧倒され、逃げられなかったのかもしれません。
こういうのって、「おすすめです!」とか「僕の人生を変えた本です!」みたいなことを書くべきなのかもしれないけれど、正直、「『八本脚の蝶』が文庫化されていた」ということを書き残しておきたい、という以外に気の利いた言葉が思い浮かばず、なんだか中途半端ですが、ここで終わりにします。
ああ、『ビブレ』も『コア』も『イムズ』も閉店していくのだな……