いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ある個人サイトの「404 Not Found」と「インターネットで死ぬ」ということ

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雨宮まみさんの訃報を知って、僕は、二階堂奥歯さんのことを思い出しました。
雨宮さんが亡くなられた原因は自宅での事故死だそうですが、お二人とも若くて、自意識と感性が強すぎて、それを持て余して生きづらさを抱えていた、という印象があるんですよね。
もちろん「違い」が多々あるのは承知のうえで。
ただ、不躾な言い方なのですが、「命を終えることによって、決着をつける」というような生き方のかたちというのも存在するのかもしれないな、とも考えてしまうところもあるのです。


久々に『八本足の蝶』を少し読んでみようか、と思って検索してみたのですが、そこにあったのは、「404 Not Found: ページが見つかりません」という表示でした。
そういえば、niftyのホームページサービスって、そろそろ終わるというのをどこかで見た記憶があるなあ、と思い出したのですが、多くのファンがいた二階堂さんの文章でさえ、こうして期限が来て、誰も手続きをしなければ、「404 Not Found」になってしまうんですね。
当然のことではあるし、運営側に「このアーカイブは貴重なものだから消さないで」というのも筋違いではあるのでしょう。
書いている人にとっては、それぞれ「貴重なもの」なのだし。


僕はかれこれ17年ほどネットに触れているのですが、はじめてネット上のコンテンツに触れたときには「こうして手軽に世界中の人に読んでもらえて(言葉の壁はあるにせよ)、ずっとネットに残り続けるって、(良くも悪くも)すごいことだよなあ、と感動したのです。
でも、長年やっていくうちに、ネット上のコンテンツというのは「ずっと残り続ける」ものではない、ということがわかってきました。


人は、心臓が止まったときと、その人を覚えている人がいなくなったときの二度死ぬ、と言われています。
ネットのおかげで、その「二度目の死」を迎えることがない、あるいは遅れるのではないか、と思いきや、本人の死のみならず、利用料金が払えなくなったり、ネットサービスが終了したりすることで、けっこう簡単に「記録」は消えてしまうのです。
もちろん、「誰か」が保存して他所に移してくれるケースもあるのですが、そういうのは、ごくごく一部でしかない。
二階堂奥歯さんの文章は、そういう「残されていてほしいもの」のひとつのはずだったのに、こうして消えてしまいました。


逆に、もう亡くなっている人が書いたものを、それを知らずに読んでいる、なんてことも少なからずあるはずです。
その人は、少なくともネットの中では「生きている」と言えるのかもしれません。
雨宮さんの文章は、その死を知らない人にも、読みつがれていくことでしょう。
書籍であれば「著者紹介」がどこかに書いてあるものだけれど、ネット上では「ある人の断片」だけを読むことができるから。


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 この本のなかで、著者は、管理人が亡くなったあとのサイトを「お墓」にたとえています。
 この著者の目に留まるくらいの人気・有名サイトでさえ、管理人がいなくなってしばらくすると、書かれていたブログのサービスが終了したり、使用料が払われなくなったりして、消えていくことが多いのです。
 その知名度を利用しようとする「出会い系業者」などの宣伝書き込みが掲示板にあふれてしまうことも多々あります。
 お墓がお参りをする人によって維持・管理されないとどんどん荒れていくように、デジタルの世界でも、誰かがメンテナンスしていないと、故人のサイトはどんどん荒廃していくのです。
 「お墓」なんて、「物質へのこだわり」の最たるもののはずなのに。
 人類が生み出した「バーチャルの世界」の故人サイトやホームページでも、同じように「遺された人のたゆまぬ努力」がないと、「墓地」はすぐに荒れ果ててしまう。
 「故人サイト」が見られる状態で公開され続けるためには、遺族やファン、友人など「目に見えない、生きている人の力」が必要なのです。
 変な書き込みで荒らされるよりは、「404 Not Found」のほうが、まだ「マシ」なのだろうか。


 二階堂奥歯さんの『八本足の蝶』は、紙の書籍になったので、これからも「知る人ぞ知る」文章として、読みつがれていくことになるでしょう。
 でも、こうしてネットサービスが終了するたびに、多くのコンテンツがまた「死んでいく」のだな、と思うし、デジタルというのは、「消える」ことに対して、「手で触れられるもの」よりも容赦ないところがある、ということは知っておいたほうが良いのではないかと思うのです。


 自分が死んだら、ネット上に書いていたものもみんな一緒に消してしまいたい、という人も少なくないだろうし、僕も「残したい」と、「残しておいたら、迷惑だったり、失望されたりするかもしれない」という、両方の気持ちがあって、突然死したらどうしよう、とか怖くなるんですけどね。


 ああ、こういうことを書くと、死亡フラグっぽいな……


※追記:WEB版の『八本脚の蝶』引き継ぎがされて、読めるようになったそうです。
二階堂奥歯 八本脚の蝶


八本脚の蝶

八本脚の蝶

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