いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「インターネット文学」が生まれ、二極化していった20年間のこと

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」


僕がはじめて自分のホームページを作ったのは、1999年だから、もう20年以上前になる。
パソコン通信の時代には、そういうものがあるのは知っていたけれど、知らない人とやりとりするなんて怖いな、電話代もかかるみたいだし、という感じで、そんなに興味を持てなかった。
でも、職場でインターネットというものにはじめて触れて、雑誌に紹介されている個人サイトを覗いてみて、僕はインターネットの「日記」に魅了されてしまったのだ。


そこには、家族との日常を淡々と記録している人、趣味について書き続けている人、進行中の不倫や専門職での出来事を匿名で告白している人、婚活で出会った異性のことを赤裸々に紹介している人、などが存在していた。


他人の日常を覗き見ることには、背徳的な新鮮さがあった。
それまでは、プロの作家の「お金になる文章」以外を読む機会って、ほとんどなかったのだ。
「そんなのチラシの裏に書いておけ」というのは、ネットで気に入らない文章への定型的な罵倒なのだけれども、あらためて考えてみれば、ネット以前には、知らない誰かがチラシの裏に書いた文章なんて、読めなかった。


そんな「他人の日記」を読んでいるうちに、僕も自分で書いてみたくなったのだ。
不思議なものだと思う。
他人が書いた文章を読むのは好きだったし、中学生の頃は、当時流行った『火吹山の魔法使い』に影響されて、簡単なゲームブックを書いて同級生に遊んでもらったり、それが先生に見つかって怒られたりしていた。
僕は本や文章を読むのが大好きだ。でも、自分で書けるとは思わなかったし、そもそも、自分が書いた文章をリスクを冒して世の中にアピールする勇気がなかった。大学の文学サークルが出した冊子を読んで、このくらい自分にも書ける、つもりで実際には何も書かない。
日常の慌ただしさ流されていたし、紙の日記は書いても月に1回、何かあったとき、くらいだった。


それが、ある日突然、「ネットだったら、匿名だし、自分にも書けるのではないか、というか、書いてみたい」と思ったのだ。
村上春樹さんは、神宮球場で野球観戦をしているとき、急に「小説を書いてみよう」と思いついたそうなのだが(もちろん、村上さんは「天啓」なんて書いてはいないけれど)、僕はやたらと救急車が来る当直中に、何かから逃れるように「自分も書いてみよう」と思いついたのだ。


それで、『さるさる日記』という当時有名だった日記サイトで書き始めたのだが、最初の頃は、とにかく誰かに読んでほしくて、「業界の裏話」とか「ある看護師さんの話」みたいなものを扇情的なタイトルで書き綴っていた記憶がある。
そんなに読まれなくてもいい、つもりだったのだけれど、いざはじめてみると、多くの人に読んでもらえることにとてもワクワクしたし、職業人としては平均値以下の存在だった自分にとっては、ネットが「居場所」だったのだ。
今から思うと、なんであんなに一生懸命だったのか、と思うのだが、「お金にならないし、まだネットがアンダーグラウンドな時代だったからこそ、そこに『もうひとりの自分』が存在する」ことができたような気がする。


テキストサイトの管理人たちがテーマに沿った文章を書き、読者投票で勝負する、という『テキストコンテスト』にも参加した。
あらためて考えてみると、いま、『はてな』で活動しているシロクマ(id:p_shirokuma)さんや小島アジコid:orangestar) さんとはそこで出会ったのだ(というか、実際に対面したことは一度もないのだけれど)。
これまでネット上にも、『はてな』にも、たくさんの文章(あるいは絵)のブログが生まれ、消えてきたけれど、あの場所から、インターネットに文章を書き続けてきた人がいる。


お金儲けとブログ、というのはしばしば話題になるし、僕自身も稼げるようになった恩恵をそれなりに受けてはいるのだが、結局、ブログにずっと残っている人は「それがお金にならなくても、書かずにはいられない人」あるいは「ブログが自分の人生の外付けハードディスクみたいに、もう取り外せなくなっている人」なのかもしれない。もちろん、「ブログでの情報提供を生業にしている人」も大勢いるのだけれど、彼らは情報を求める人たちに尽くす「黒子」に徹していることが多い。


20年間インターネットの世界を漂流してきて、「インターネット文学」には、2つの大きな、正反対の潮流がある(あった)と感じている。


その潮流のひとつは『電車男』や、筒井康隆さんがネットでの反応をみながら新聞連載のストーリーを進めていった『朝のガスパール』のような、「作者(発信者)と読者のインタラクティブ(双方向性、相互作用性)なやりとりによって作られた作品群。
これは、「ネット以前」にはほぼ存在しなかった形式だ。『銀河英雄伝説』で、作者の田中芳樹さんは、オリビエ・ポプランを死なせる予定だったのが、読者の人気があまりにも高いために、完結まで生き残らせた、という話を読んだことがある。こういう「ゆるやかな形での作家と読者との双方向性、みたいなものは昔からあったとしても、『電車男』のような「リアルタイムでの、善意の人々の『集合知』を作品にしたもの」は、インターネットの時代だからこそ、生まれたものだ。


fujipon.hatenablog.com



ただし、発信者と読者が善意でコンテンツを作り上げていく蜜月の時代は、そんなに長くは続かなかった。
(ちなみに、『電車男』にも、原作者というか「仕掛け人」がいたとされている)
『100日後に死ぬワニ』というマンガが、終了とともに単行本化、映画化が発表され、「最初から広告代理店が仕掛けたもの」だったと見なされ、あっという間に賞賛の嵐が大バッシングに変わってしまったのは記憶に新しい。
ネットの人々は「参加」するのはやぶさかではないけれど、「利用」されるのは大嫌いなのだ。まあ、僕もそうなんだけどさ。


現在は、面白いと思った本の感想をブログに書いただけで、「どうせステマ(ステルスマーケット)だろ?」と言われてしまう。
「ウソをウソと見抜けないと(インターネット掲示板を)使うのは難しい」という、ひろゆきさんの言葉はよく知られているけれど、正直、洪水のような情報に、疑心暗鬼になりながら立ち向かっていくのはつらくなってもいる。ネットには、いろんなバイアスがかかっていて、何が「本当」なのか、どこまでが「広告」なのかわからなくなっているし、感情的になって「本心」を書くと、100人に1人は神輿に乗せられ、残りの99人は市中引き回しの刑に処せられる。いや、本当は10000人が「本心」を書いていて、9900人は誰にも読まれないか、どうでもいい人間のどうでもいい発言としてスルーされているのだが。


ふたつめの潮流は『八本足の蝶』に代表されるような「あくまでも個人の日記(あるいは記録)であり、読者の存在を意識していない文章」だ。


fujipon.hatenadiary.com



実際のところは、この2つ目の文章も、「独白のように書かれているが、『読者』の存在は確実に意識されている」。
本当に「読まれなくてもいい」なら、読まれない方法はあるのだし、そもそも、ネットに書かなければいいのだから。


僕が「インターネット文学」で最初に惹かれたのはこちらのタイプの文章で、自分が抱えている秘密や閉じ込めている可能性を「それでも書かずにはいられない」というちょっとした切実さが、そこにはあった。
「別に誰も読んでくれなくてもいいんだからね!……でも、せっかくだから、ちょっとくらいは読んでいってくれると嬉しい、かな……」
そういえば、僕が「インターネット文学」として最初にハマったのは、葬儀屋で働いている若い女性の日記だった。
そういうのも、2021年には、あっという間に「守秘義務に反している」と吊るし上げられ、作者が特定班によって炙り出されてしまうだろうけど。


ブログ以前の個人サイト、テキストサイトの時代のインターネットは、いろんな意味で、「緩かった」し、カオスな世界だった。
だからこそ、僕には面白かったし、20代、「無能な若手医師」として劣等感にさいなまれていた僕がいままでなんとか生きてこられたのも、あの頃、そんな「居場所(逃げ場)」があったからだと思っている。


ここまでインターネットが「みんなが利用するインフラ」になってしまえば、もう、後戻りはできないのだけれど、あの「インターネットが右肩上がりだった時代」をリアルタイムで、内側からプレイヤーのひとりとして体験できたことは、マイコン(パソコン)とテレビゲームの進化を見届けてきたのと同じく、僕にとっては大きな幸運だった。


「インターネット文学」というのは、「他人とインタラクティブに繋がる」ことを選んだグループと、「あえて、他人が見ていないようにふるまう」ことを選んだグループに二極化していったのだが、2021年の時点では、後者の旗色が悪そうだ。


僕は20年インターネットで文章を書いてきて、あらためて感じていることがある。
結局、僕がいまでも読み返すのは、「自分のこと」あるいは「自分たちのこと」を書いた文章がほとんどなのだ。


インターネットでものを書くときには、つい、いま話題になっていることや、みんなにウケそうなことを狙ってしまう。
でも、そういう文章はほとんど他者には刺さらないし、自分自身でも読み返そうとは思えない。
インタラクティブであることを面白くできる人は、ごくごく一部なのだ。


20年経ってみると、「そんなのお前の日記だ」「チラシの裏に書け」と言われるような文章、その日、その時に思ったことを勢いのままに書き綴ったものこそが、自分にとっての宝物になっているような気がする。
「評論的なもの」とか「オピニオン」って、「これが自分だ!」と気張って書くのだけれど、ネットは広くて、どこかで誰かが同じようなものを公開していて、拍子抜けしてしまうことばかりだった。


極論すれば、「その人にしか書けない文章」って、「日記」だけなのではないかと今は考えている。


fujipon.hatenadiary.com



これは僕にとって、「ネットの温かさ」を信じることができた、という意味でも、もっとも感慨深く、大事な文章でもある。
そして何より、あの日、あの瞬間にしか、これを書くことはできなかった。
いま、中学生になった長男を知っている僕には、もう、絶対に無理だ。


結局のところ、「インターネット文学」のひとつの形というのは、「その瞬間に感じたことを積み重ねていった人生史」なのだと思っている。
その積み重なったものを眺めて、これまで来た道の長さに想いを馳せることができるのは、いずれ、そんなに遠くない未来にこの世から消えてしまうであろう僕だけの特権だ。


それが「文学」なのか?


僕にはわからない。
まあでも、「文学」というのは「そこに文字があって、その作者と読者がいる」というのが、最低限の成立要件だと僕は思う。


僕がつくってきた小さな小さな世界に、ほんの少しでも、興味を持ってくれる人がいることは、とても有難いし、幸せなことだ。
人生そんなに良いことばかりじゃなかったし、仕事でも偉くなったり、大きな業績を遺したりもできていない。
それでも、「書く」ことを意識してから、僕は自分の日常生活の解像度が上がり、生きることが少しだけ楽しくなった。


fujipon.hatenablog.com


こんなことを続けていて何になるのだろうか?
もう、書くのはやめよう、断捨離しよう、と思うことも何度もあった。
最近も「ネット絶ち」を試みていた。


でも、いまは、「とりあえず、書きたいことがあって、書ける機会があるのなら、わざわざ『我慢して書かないようにする』必要はないかな」という気持ちになっている。


人生が有限であるならば、「書けるうちに書いておく」、それで良いのではないか。
本当に嫌になったら、あるいは書きたくないときは、書かなくても良い。
どうせ、「書きたくても、書けなくなるとき」は、いつか、そんなに遠くない未来にやってくるのだから。


結局、僕は「インターネットと書くことが大好き」なんだよなあ。自分でも、認めたくないくらいに。
そう言えるまで、20年もかかってしまったのだな。


アクセスカウンター