いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『花の慶次』を生んだ「傾奇者」たちの話


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 このインタビューの中では触れられていませんが、『花の慶次』の人気が再燃したのは、連載終了後にパチンコ台になったことがきっかけだと思います。
 『新世紀エヴァンゲリオン』や『北斗の拳』なども、一時は、パチンコマネーのおかげで人気も金銭的にも「復権」した作品は少なくないんですよね。
 『花の慶次』は、このインタビューにもあるように、『週刊少年ジャンプ』に連載中は、そんなに大人気、というわけではなく、むしろ、「熱いファンはいるけれど、『ジャンプ』の読者層よりも大人向けで、いつ打ち切られるか、という状況が長かった」と記憶しています。
 だからこそ、パチンコ台になって大人に「再発見」され、こうして人気になった、とも言えるのでしょうけど。

 この『花の慶次』というマンガが生まれた経緯について、「九州スポーツ」2006年12月1日号の記事「ジャンプ653万部編集長・堀江信彦氏『マンガ編集人熱伝』」(構成・古川泰裕)で、こんな話を読みました。

堀江信彦花の慶次」は、いろいろと思い出深いんだ。あれはちょうど連載担当がない時だったな、原(哲夫)君も「北斗――」が終わって何もしてなかったから、「次の連載何がいいかな」なんて考えながら神保町の三省堂にブラリと行ったんですよ。そしたら「男の中の男を見た」というポップがあって、偶然手に取ったのが隆慶一郎(1923-89)さんの「吉原御免状」だった。「おもしろいなあ、この先生に会いたいな」と思って、ツテをたどっていったら「今、病院にいる」と。僕は「人間ドックかな」ぐらいに思ってたんだけど、病院に会いに行ったら、点滴のスタンドを引っ張りながら来るご老人がいる。それが隆さんだった。ただ作品が面白いという思いだけで行ったから、年も病状も知らなかった。その時は「宮本武蔵のような話を」と言ったかな。

 それからも病室に話をしに行ってたら、ある時、お弟子さんに言われた。
 「熱心に通ってくれてますが、先生はがんです。もう原稿は書けません」と。ショックだったね。だけど、それで行かなくなるのは人としてどうかと思ったから、それからも時間を見つけては病院に顔を出していた。そんなある日、先生が「何をやりたい? 何枚だ? 書くよ」と言ってくれてね。そこで提案したのが先生の「一夢庵風流記」に出てくる前田慶次郎の若いころを、読み切りで漫画にしたいという話だ。

 残念なことに、先生はこの作品が完成する前に鬼籍に入られた。そしてジャンプに掲載した読み切りは、人気投票で上位に食い込んだ。だけど先生はもういないから、連載はやれない。せっかく生まれた「前田慶次」というキャラも、それっきりかもしれなかった。がっかりしていると、先生のご遺族から「話がある」と電話があった。クレームかな、と思いながら行ったら「父の遺言です。『一夢庵風流記』の漫画化権をあなたに託します」。僕は家に帰って大泣きしましたよ。

 後に1700万部を売り上げた「花の慶次」は、こうしてやっと連載ができることになった。ここからは僕と原君の頑張り次第だ。まずは舞台となる戦国時代の資料を集めまくった。馬の写真5000枚をカメラマンから買い取り、東宝の撮影所に行って鎧・甲冑をあらゆる角度から撮影させてもらった。僕は300冊ほど資料を読んで眼精疲労に。下調べに力を入れるあまり、気がつけば3か月間会社に行ってなかった。おかげで有給を使い果たして、税金を引かれた給料が額面割れしていたよ(笑い)。
 こうして練り上げたストーリーは、隆先生と同じように静岡大学小和田哲男先生に見てもらい、「こういう解釈も間違いではない」とお墨付きをもらって原君に渡した。そうそう、原君も苦労してたよ。「北斗――」って笑顔がなかったでしょ。だから原君、笑顔がうまく描けなかったんだ。何度も顔だけ書き直させた。笑顔の絵がよくなってから、人気もドンドン上がっていったね。


 連載中は、慶次のカッコよさにシビレながらも、「慶次ってケンシロウだよなあ……」という印象が非常に強かったのですが、確かに、そう言われてみれば、『北斗の拳』のケンシロウに比べたら、前田慶次郎はよく「笑う」キャラクターですし、その快活さが作品の大きな魅力になっています。
 「笑顔の絵がうまく描けない」くらい、ずっと深刻な表情を描き続けてきた原哲夫さんの漫画家人生というのも、なかなか壮絶なものではありますね。

 堀江さんの話からすると、隆慶一郎さんは最初から快く「自分の作品を何でも使っていいよ」と仰っていたわけではなさそうです。
 何の見返りも得られないかもしれないにもかかわらず日参してくれるこの編集者に、隆さんもきっと何か感じるところがあったのでしょう。

 結果的には、この「漫画化」のおかげで、『ジャンプ』は大ヒット作品に恵まれましたし、『花の慶次』で興味を持つようになり、隆さんの作品を読み始めたという人もたくさんいるはずです。
 もし、隆さんが、「がんでもう書けない」ということを知って、堀江さんが病室を訪れるのをやめてしまっていたら、『花の慶次』は生まれなかった。

 冒頭のインタビューで、作画の原哲夫さんは、こう仰っています。

 大事なことは、負けている側に付くということです。弱い人を見捨てるのではなく、あえて俺も一緒に死んでやる。そのぐらいの心意気を持った人間は逆に生き残るということを、慶次は体現しています。覚悟を決めた人間は強いのです。

 自分が調子悪いときに味方になってくれた人とは、真の友人やパートナーになれますよね。本当の友情であり、信頼関係が生まれるときです。それは今の世の中でも変わりません。


 前田慶次のように生きたい、とマンガを読みながら、大勢の人が憧れてきたはず(僕もそうです)。
 なかなかそうはいかないのが人生ではあるのですが、このマンガが誕生した経緯も、『花の慶次』の一篇のようなものだったのです。


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