いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『鬼滅の刃』の完結と「終わるべきときに、終われる時代」(『鬼滅の刃』のネタバレなし)


natalie.mu


 かつて、『北斗の拳』や『ドラゴンボール』などの週刊少年ジャンプを支えたマンガたちが、マンガ家側の意に反して、「人気があるから」という理由で、けっこう強引な形で連載を続けられ、結果的に尻すぼみというか、「読者にも飽きられて連載終了」となったのをみてきた僕としては、これだけ人気があって、『ジャンプ』の屋台骨を支えている作品が、よくこれで終わらせてもらえたなあ、と思うのです。
 『北斗の拳』の作者たち(武論尊さんと原哲夫さん)も、「ラオウ編で終わるつもりだった」と仰っておられました。


 僕がよく知っている30年くらい前の『週刊少年ジャンプ』とは、出版社・編集者側の考え方が変わってきているのも事実なのでしょう。


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 これは、『暗殺教室』の松井優征さんと、nendoの佐藤オオキさんの対談本なのですが、松井さんは『暗殺教室』のクライマックスだったこの対談の時点で、「最終回までどういうふうに進めていくか、もうすべて決めている」と仰っています(この本の発売日は2016年5月)。

松井:たとえば『暗殺教室』で、暴力教師が現れて、生徒を一方的に殴る蹴るという話がありました。その時、連載開始以来一番というぐらい(人気アンケートの)評が下がったんです。そこで評が落ちないよう、暴力教師に生徒が軽く仕返しして、読者の溜飲を下げる手もあるんですよね。でもそれをやると、ピークを持っていきたいとき、最大ジャンプ点が低くなります。


佐藤:そうなんですね。ストレスをマックスに溜めないといけない。一回しゃがまないと高く跳べないんですね。


松井:暴力教師が暴れる回が何のためにあるかといえば、その後、主人公が勝つコマで一番すっきりさせるため。だから前フリになるところは、たとえアンケート票が落ちても、中途半端にしてはいけないんです。覚悟をした上で抑えた方が、後で必ず跳ねるわけですから。


佐藤:何週か先を見越した上で、このあたりにピークがきて、ここは抑えどころで……とイメージして、数週間のプランを立てるんですか?


松井:それは完全にイメージできています。正確に言えば、もう最初から、線の太さ、細さ、大体のメリハリはわかっているわけですね。それに合わせて、計画的に上げていく。
 ただこの方法の弱点は、最初から天井が決まっていて、それ以上には爆発しないこと。逆に、やりたいことがあって感覚で取り組んでいる漫画家さんは、次の週がどうなるか、自分でもわからずに描いていたりするんですね。そうすると、どんどん加速度的に盛りあがっていって、結果的にとんでもない高さに到達することがある。それは羨ましいです。


 マンガ家のなかには、とくにストーリーマンガと呼ばれるジャンルの場合には、ここまで計算して描いている人もいるのです。 
(いちおう言及しておきますが、ギャグマンガの場合には、常に新しいものをハイペースで生み出さなければならないため、作家側の消耗の激しさから長期連載は難しいとされています)
 
 あらためて思い返してみると、このような「終わりを計算して描かれており、人気があっても連載を引き延ばすよりも、作品としてきちんと着地することを優先した作品」が『週刊少年ジャンプ』で一般化したのは、『DEATH NOTE』(2003年12月から2006年5月まで連載)からではないかと思います。
 『DEATH NOTE』も「L」がいなくなってからはちょっと……という意見もあるのですが、それでも、「無理やり引き延ばされた感」は、『北斗の拳』に比べると乏しい。そもそも「L」が欠けてしまうのは、『ファイナルファンタジー7』のエアリスの受難と同じように「トラウマポイントではあるけれど、作品を記憶に残るものにしている」とも言えますし。

 『DEATH NOTE』『暗殺教室』『鬼滅の刃』と、ストーリー系で「綺麗に終わらせる」ための期間は、だいたい4年前後がベスト、という、ある種のノウハウみたいなものが、集英社のなかに蓄積されているのかもしれません。
 ただ、『鬼滅の刃』の場合は、『DEATH NOTE』や『暗殺教室』とは異なり、ジャンプのお家芸である「バトルもの」であり、「次から次へと新たな敵を登場させる(真のラスボスは別にいた!)」ようにすれば、続けられないこともなかったわけです。
 これだけの人気ですから、そういう選択肢も浮かんではいたはず。
 でも、結果的にそうしなかった、そうしないことが許された、というのは、作品にとっては幸運なことだったのではないかと思います。


 まあでも、長い目でみると、あれだけ「蛇足」だと言われてきた『北斗の拳』のカイオウ編とかも、パチンコ台などのコンテンツとして活かされていますし、いまあらためて全巻通して読んでみると、「当時思っていたほど、『ラオウ後』もつまらなくはない」のです。
 僕のなかでは、「7人の悪魔超人編」がピークで、「黄金のマスク編(悪魔六騎士編)」で終わってほしかった『キン肉マン』は、一度本誌で連載が終わったあと、『週刊プレイボーイ』で蘇り、40周年を迎えています。『シティーハンター』は、『エンジェル・ハート』という問題作を生み出し、今ではスピンオフ的な『今日からシティーハンター』という作品が人気になっているのです。
 実際のところ、われわれは「マンネリ」と批判する一方で、その長さやベタさがある閾値を超えると「定番」とか「お約束の美学」的に、高く評価することも多いのです。

 『笑っていいとも』とか、終わる10年前くらいから、みんな飽きていたはずなのに、番組が終わるとなると惜しみだした人が大勢いました。
 『サザエさん』にしても、『ドラえもん』にしても、『クレヨンしんちゃん』にしても、長く続いているものは、長く続いているというだけで、それなりの価値を生み出すようになるのです。そもそも、この3作品は、もともとの作者はすでに亡くなっており、後継者たちがその世界を引き継いでいます。

 なんのかんの言っても、ゼロから新しいものを創り出すよりも、マンネリと言われていても、それなりに知名度があるほうが有利ではありますし。

 三谷幸喜さんが、『東京サンシャインボーイズ』という劇団を旗揚げしたときのことを振り返って、「劇団の人気がどんどん上がってきて、ピークに達したときには、すでに内部でのモチベーションはピークを過ぎて、下がってきていた」と仰っています。志村けんさんも、「同じネタは演者のほうが飽きてしまいがちだけれど、お客さんが求めてくれる限りは、マンネリだと言われてもずっと続けたほうがいい」と著書に書いておられました。
 
 作品的な完成と商業的なメリット、作家・編集者側と読者との温度差など、さまざまな要因があって、「終わるべきときに終わる」とか「人気絶頂で幕を引く」というのは、本当に難しいことなのです。
 株取引って、他人の株だと、「このくらい上がったらもう十分だから、もう売って利益を確定したほうがいい」と冷静に判断できるのだけれど、自分でやっていると「上がっているときは、もう少し上がるんじゃないか、今売ったらもったいないのではないか」と思ってしまうし、下がっているときも「いやこれは一時的な安値で、本来の価値からいえば、値は戻るはずだ」と考えてしまう。
 そういう意味では、今は「完璧」と思える『鬼滅の刃』の完結も、長い目でみれば、違う解釈がなされる可能性もあるのです。


 『鬼滅の刃』がこのタイミングで、完結することを選んだのには、マンガというビジネスの収益構造の変化も大きいのかもしれません。
 最近、『オタク経済圏創世記』という本を読んだのですが、そのなかで、著者は、コンテンツビジネスを行っていくうえで、最も重要なポイントとなるのは「アニメ化」だと指摘しています。



 著者は現在の「キャラクタービジネス」における「アニメ化」の重要性をこう述べています。

 マネタイズの決着点は「著作権(ライセンス)」である。作品の権利をもつプレイヤーはその作品がヒットしたときに、その人気をマネタイズして、収益配分にあずかることができる。アニメにはキャラクター画像、声、動画、ストーリー、音楽などがすべて込められている。マンガだとこうはいかない。マンガを映画にする、アニメにする、ゲームにする、商品にするといったときに「決まっていないこと」が多すぎる。背景を含めた世界はどうなっているのか、主人公はどんな声をしているのか、どんな音楽であればその世界に合うのか。マンガはこうした情報密度の低さ(それゆえにマンガは制作がスピーディで普及が早いメリットもあるが)ゆえに、メディアミックスの起点としては物足りない。ほとんどのキャラクターがアニメ化するのは、ライセンス展開してどんどん広げるための「その世界をとりまく情報」を一度固めることができるからだ。だからライセンスのハブとなるのはアニメである。


 僕はずっと疑問だったんですよ。
 『ドラゴンボール』『ワンピース』は、長年キャラクタービジネスの王者として君臨しているけれど、まだマンガが連載中の『ワンピース』はともかく、『ドラゴンボール』は、ずっと前に連載は終わっているのに、なぜ今だにこんなに人気があるのか。
 むしろ、マンガやアニメが終わって、しばらくは下火になっていた人気が、最近は高値安定になっているのはなぜなのか。

 如実に作品差が出ているのはゲーム化・商品化のライセンス収入である。ドラゴンボールは国内/海外それぞれにおいて2014年で6億円/4億円だったものが18年に85億円/79億円と約20倍規模まで膨らんでいる。同時期のワンピースにおいては14年に36億円/9億円だったものが18年に32億円/28億円で、海外は3倍に伸びてはいるものの国内は同規模。ワンピースのライセンス収入はドラゴンボールに比べるとほとんど成長していないといえる規模だ。ちなみにワンピースの国内ライセンスが2010年の6億から11年の48億に急増したのも、DeNAのウェブゲームでのワンピースタイトルの成功によるものである。いかにアニメ各社もモバイルゲームからの利益配分シェアが無視できないどころか事業の根幹となりつつあるかを示しており、東映アニメーションの全社売上ベースで考えると、このワンピースとドラゴンボールの2タイトルの海外映像・ライセンス収入だけで50%を超える依存度の高さとなっている。


 今や、「主戦場」は、コミックスの売上げよりも、モバイルゲームをはじめとするキャラクタービジネスになりつつあるのです。
 おそらく『鬼滅の刃』は、完結しても、長い間「稼げる」存在であり続けるはずです。
 みんなに認知され、愛されているキャラクターであれば、連載を引き延ばして尻すぼみになったり、「つまらなくなった」と読者の好感度を下げるよりは、「人気絶頂で終わった作品」として伝説化されたほうが、今後のためになる(かもしれない)。
 今後も、アニメの配信やモバイルゲームで、作品とキャラクターは露出し続けていくはずです。
 おそらく、集英社もこれまでの経験から自信はあるのでしょうけど、「今後のキャラクタービジネスを占うテストケース」と位置付けてもいるのではないでしょうか。


 「終わるべきときに終わっても、稼ぎ続けられる時代」というのは、コンテンツにとっても観客にとっても、悪くはないと思います。
 新しいものが大ヒットするのは難しくなっているなかで、『鬼滅の刃』が成し遂げたことは本当にすごかった。


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「少年ジャンプ」黄金のキセキ

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