岩波新書、創刊80周年だそうです。
僕が子どもの頃から、新書のなかでも「ブランド」であり、アカデミックな雰囲気を漂わせていた「岩波」。
昔はお堅いイメージがあって敬遠しがちだったのですが、人気作家や芸能人のインタビューや対談をチャチャっと書籍化してしまったり、一昔前の文庫をそのまま形だけ新書にしてタイトルだけ変えたり、というような「手抜き新書」が目立つなかで、「ちゃんとしつづけている」のは、本当にすごいと思います。
本も基本的に著者本人が書き下ろす。最近の新書では、著者が忙しい、書くことのプロではないからなどの理由でライターを起用して聞き書き形式でまとめることも多いが、岩波新書はそういうことはしない。
ただ、これは立派なことである一方で、専門家が「自分の言葉」で書くことによって、ものすごく読みにくい本になってしまう事例もあるんですけどね。
正直、「岩波新書」を語るのはおこがましいというか、「お前ごときが語るな!」と言われそうな敷居の高さも感じるのですが、とりあえず、最近(ここ5年くらい)僕が読んだ岩波新書のなかで、面白かったものを10冊、ご紹介します。
あくまでも「僕が読んだものの中で」ということで。
(1)仕事道楽 新版――スタジオジブリの現場
fujipon.hatenadiary.com
この本を読んでいると、ジブリのこれまでの成功には、「宮崎・高畑両監督の創作者としての才能と鈴木さんのプロデューサーとしての能力」だけではなく、彼らの「人とのつきあいかた、人のつかいかたの上手さ」が大きかったのだなあ、と感じます。ジブリが「世間一般の企業に比べて異質」だったのは、世間が「無能だ」「めんどくさい人物だ」と切り捨ててきた人たちの隠れた「やる気」や「能力」をうまく抽出してきた点にあるんですよね。それが、どこまで自覚的に行われていたのかはわかりませんが……
(2)子どもと本
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たとえば、幼い子に愛されつづけている絵本『ぐりとぐら』は、初版が1967年です。そして、2015年1月の時点で、204刷りとなっています。すでに半世紀近くにわたって読みつがれているのです。このことは、少なくともこの本が、昨日今日出版された本よりも、子どもをひきつける力が強いことを示しています。
子どもの本の場合、新しい本――出版されたばかりの本――を追いかける必要はまったくありません。子ども自体が”新しい”のです。たとえ百年前に出版された本であっても、その子が初めて出会えば、それは、その子にとって”新しい”本なのですから。そして、読みつがれたという点からいえば、古ければ古いほど、大勢の子どもたちのテストに耐えてきた”つわもの”といえるのです。
そうか、「子ども自体が”新しい”」のか!
たしかにそうだよなあ。
息子に『しょうぼうじどうしゃ じぷた』を読んであげるとき、僕はいつも内心「でもいまは、こんな旧型の消防車も救急車もいないけど……」と思っていたんですよね。
なにしろ、僕も子どもの頃に読んでいたくらい歴史のある本だから。
でも、子どもからすれば、そんなことは関係ないというか、すべてが「初めての体験」なんだよね。
(3)アホウドリを追った日本人
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アホウドリの捕獲は日本にとっての大きな「輸出産業」になったのですが、この新書で紹介されている、その「現場」は、凄まじいものがあります。
尖閣諸島でのアホウドリ捕獲事業の様子について。
アホウドリの捕獲の方法は、鳥島などで行われていたのと同様、撲殺であり、労働者は一人で一日300羽を捕獲した。1897年(明治三十)から1900年までの三年間に20万斤(120トン)の羽毛が採取された。羽毛は、鳥島ではアホウドリ三羽から一斤(600グラム)取れるとされたが、尖閣諸島では四羽で一斤といわれることから、およそ三年間で80万羽のアホウドリが撲殺され、久場島では島が鳥の死骸で覆われたという。羽毛の価格は、腹毛100斤(60キログラム)で30〜40円、皮膚に密生する柔らかい綿毛では80〜90円にもなった。
この記録によると、「アホウドリは四年目には激減した」そうなのですが、それはそうだろうな、と。
読んでいると、なんだかもう、アホウドリに申し訳ないような気持ちにさえ、なってきます。
同じようなことが、いくつもの南洋の島々で、行われていたのです。
(4)鈴木さんにも分かるネットの未来
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「ネット社会は、これまでとは別の世界である」というのは、それによってお金を集めようという人たちにとって都合の良い「共同幻想」だったのかもしれません。
結果的には「安売り商法」でしかないのに。
もちろん、「安い」というのは、普遍的かつ強力な「武器」なのですが。
「ネット」と「リアル」の境界で、考え続け、闘い続けている人が語る、「これまでのネットと、これからのネット」。
身も蓋もない、ところがあるのは、きっと、「ネットという共同幻想」が終わっていく時代だから、なのでしょうね。
(5)世論調査とは何だろうか
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世の中の「データ」と主張しているもののなかには、誰か、あるいはごく少数の人から得られた結果を「科学的に効果が証明された」とミスリードしようとするものがあるのです。
これは、必要な数のデータを、有効な方法で集め、正しく解析したものなのか?
「データらしきもの」がグラフとか表で出てきたら、「ああ、これは効果があるんだな」と思い込んでしまいがちです。
ところが、よくよく確認してみると、「この健康食品を1人が使用したら、その人は効いたと言っています。(1分の1で)100%の人に効果があります!」みたいな「データ」って、けっこうあるんですよ。
まあ、1分の1は極端すぎる例なんですが、その手の「統計学的には全く信頼できないものを、いかにも科学的なデータのように扱ってアピールしているもの」が、世の中には存在している。
「ソースを出せ!」「データを見せろ!」はネットでの「ツッコミ」の定番なのですが、そう言っている人が、「ソース」や「データ」の正しい見方を知らなければ、意味がありません。
この新書は「世論調査」を題材にして、「世の中の統計的な調査結果との向き合い方」を教えてくれます。
数式は一切使わずに(これは著者の意向のようです)、数学アレルギーの人にも最低限のニュアンスは理解できるように書かれているのです。
(6)ガリレオ裁判――400年後の真実
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あの裁判で問われていたのは「科学的に正しいか」ではなくて、「地動説は、信仰と宗教を揺るがすのではないか」ということだったのです。
そういう意味では、ガリレオは、たしかに「有罪」であり、彼自身も「学説は正しいけれど、カトリック教会がそれを容認できるかどうかは別」だということはわかっていたはず。
それでも、発表せずにはいられなかったのが、ガリレオの科学者としての矜持だったのでしょうけど……
(7)生きて帰ってきた男-ある日本兵の戦争と戦後
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この本を読んでいると、人というのは、自分が経験してきたことが「普通」であり「主流」であると考えがちだけれど、「常識」や「当たり前」は、時代によって変化していくものなのだということが、よくわかります。
そして、そういう生々しい感情を謙二さんがちゃんと記憶しているということは、驚くべきことではあります。
若い頃、さんざん苦労して、「もうこんな生活はイヤだ。自分の子どもにはこんなことはさせたくない」と考えていた人が、成功した老人になると「まあ、若い頃の苦労は、買ってでもしろ、だよ、ワッハッハ!」と言うのが「普通」なのだから。
1944年、19歳で召集される前の「戦況」について、謙二さんは、こう述懐しています。
1944年10月、台湾沖にアメリカ艦隊がおしよせ、日本の海軍航空機が総攻撃をかけた。日本側は約600機を失い、航空戦力が壊滅したが、アメリカ側は巡洋艦二隻が大破しただけだった。しかし大本営発表は空母11隻を撃沈したと発表し、ひさしぶりの大勝利の報道に提灯行列も行なわれた。
その直後、壊滅したはずのアメリカ艦隊がフィリピン沖に現れ、レイテ沖に米軍が上陸した。日本の政府と軍は、米軍撃滅の好機として「決戦」を呼号した。しかし出動した連合艦隊は一方的な戦闘で壊滅し、増援された陸上部隊は補給を絶たれてほぼ全滅した。
謙二の記憶によると、このとき富士通信機の職場でも、戦況が話題になった。工員たちに特配になったイモが事務課にもまわってきて、それを同僚たちと食べていたとき、東大出の35歳くらいの課長が「これは敵にはかられたのではないか」と言ったという。
「大本営の発表が虚偽だったとまでは考えないにしても、米軍の陽動作戦にひっかかったのではないか、くらいには思ったのだろう。当時の一般人でさえ、いくらなんでも不自然だと思ったということだ」
「自分が戦争を支持したという自覚もないし、反対したという自覚もない。なんとなく流されていた。大戦果が上がっているというわりには、だんだん形勢が悪くなっているので、何かおかしいとは思った。しかしそれ以上に深く考えるという習慣もなかったし、そのための材料もなかった。俺たち一般人は、みなそんなものだったと思う」
(8)ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く
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トランプさんのような偏った人を支持しているのは、変わったというか、偏見に凝り固まった人ばかりではないか、と思っていたのですが、ここに登場している「トランプ支持者」たちは、「働くことに誇りを生きがいを感じている、真面目で気のいい、田舎の中流階級の普通のおじさん、おばさん」なんですよね。
ビクターとカートが去った後、私はダイナーで取材メモを整理した。しばらくして清算しようとすると、店員が「さっきの人たちが払ったわよ」
私は冬休み中で妻も同行していたので、支払いは20ドル(2300円)以上になったはずだ。
これが初回だったが、その後も「トランプ王国」の取材では、このような場面に出くわした。とにかく面倒見が良い。おごられっぱなしではマズイので、私が次回はお誘いする。そうして仲良くなっていった。
そんなに暮らし向きがラクでもないはずなのに、彼らはそういう生き方をずっと続けてきた人たちなのです。
(9)文庫解説ワンダーランド
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中には作品の解説というより、解説の場を借りて、自分のイデオロギーをアピールしたがる人までいるわけです。
一例が講談社青い鳥文庫版『リトル プリンセス——小公女』(2007)である。不幸な境遇に落ちたセーラが想像力で希望をみいだす姿を讃えて、訳者いわく。
<今の日本人にいちばん欠けているのはそういう点かもしれません。国家にも社会にも家庭にも不備はあります。(略)しかし私たちが、うまくいかないことの理由を、自分以外の組織や人のせいにしても、ほとんど現実には救われないということもほんとうです>
また、周囲への優しさにあふれたセーラを評していわく。
<セーラはけっして利己主義ではありません。(略)この点でも最近の日本の子供たちや若者たちは、幼稚になったような気がします>
この説教臭い解説の主は、訳者の曾野綾子である。
植民地についてはいかにも曾野綾子がいいそうなことを、曾野綾子はいうのである。
<今まで日本では、植民地主義に関してすべてのことが悪だった。そして植民地で働いた白人たちはすべて悪い人だったような言い方をしますが、そうではないことを、私たちはこの物語の中の隠されていた部分にも発見するのです>
貧しさは自己責任論に還元され、植民地主義は半ば肯定され、物語の美質はなべて<今の日本人が失ってしまった実に多くのみごとな人の心>と解釈される。
『小公女』までダシにするのだもんな。困ったもんだな、曾野綾子。
ちなみに、『小公女』に関しては「階級差と植民地の問題」というのがあって、現在は評価が分かれているというか、「手放しで教訓にするのは難しい」みたいです。
そういう時代背景を補うのも解説の役割ではあるのですが、解説を頼まれる人が、必ずしも客観的な立場、というわけではなく、一昔前は、マルクス主義史観全開の解説なんていうのも少なくなかったようです。
それも、今となっては時代錯誤な印象になってしまうのですが、書かれた当時は「そういうのもアリ」だったんですよね。
(10)ガンディー 平和を紡ぐ人
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ガンディーの非暴力主義は、けっして、万人に支持されていたわけではありませんでした。
ガンディーが属していたはずのヒンドゥー教徒の側には、「なぜ、われわれの側だけが譲歩しなければならないのか」という不満がくすぶっていたのです。こちらのほうが多数派なのに、と。
殴られたら、殴り返してはいけないのか?
暗殺という手段は肯定できないけれど、人って、自分のほうがガマンさせられている、と感じやすいのも事実です。
ガンディーは暗殺されたことによって、当時の政府に美化され、神格化されることになりました。
まだ独立したばかりのインドには、国民の心をひとつにする「象徴」が必要だったのです。
とりあえず、2014年以降に上梓された岩波文庫から、僕の印象に残っているものを10冊挙げてみました。
「お堅い」イメージがある岩波新書なのですが、最近では森川智之さんの『声優 声の職人』もありましたし、実際はけっこう幅が広いんですよね。『アホウドリを追った日本人』とか、岩波新書で採りあげられなければ、僕は一生知ることがなかった話です。『世論調査とは何だろうか』のように、学術的な基礎知識をわかりやすく教えてくれるものもあります。
内容の「濃さ」では、最近は中公新書もかなりのもので、歴史上の人物に関するものは、むしろ岩波新書よりも攻めているようにも感じるのですが、『ガンディー』のように「誰もが知っているはずの人物を題材に、あらためてど真ん中に投げ込んでくる岩波新書」には「スタンダードとしての力」があるんですよね。まあ、これを読んでおけば「教養」としては合格ラインだろう、という。
岩波新書に関しては、「教科書的な知識」だけではなくて、最近の知見についても、学術的な目配りがされているものが多いんですよね。あやしげな医療からも、きちんと距離を置いています。
正直、ちょっと敷居が高い題材もあるのですが、読むと確実に少し賢くなったような気分になれる岩波新書。
今回は、新しめのものから選びましたが、「時間が経っても読む価値がある新書」の割合が高いのも特徴なのです。
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