僕もけっこう「要らないものを断り切れずにもらってしまって困る」タイプなので、このビールを給湯室で捨てていた後輩の気持ちは想像できるような気がするのです。
自家用車通勤ならともかく、電車などの公共交通機関を使うのであれば、ビールはけっこう重いですし、「ひとりで家では飲まない」という人は、けっこう多いんですよね。
そもそも、ビールを置いていく側は「後輩にプレゼントしてあげた」つもりになっているのかもしれないけれど、本当に欲しいものだったら、自分で持って帰りますからね。
もし現金だったら、「お前、お金欲しいって言ってたよな」って、後輩にあげる先輩がいるとは思えない。
そういう「不要なもの」を押し付けられて不快な気分になって(そもそも、お酒をけっこう飲む人」というパブリックイメージを歓迎する人ばかりじゃないし)、これみよがしに会社の流しにビールを捨てている光景というのは、想像するだけでも居たたまれない。
でも、このエントリに対するトラックバックやブックマークコメントでの反応をみていて、僕はなんだかモヤモヤしっぱなしでした。
うん、みんなが言うことはもっともだ。
要らないって言っているんだから、要らないよね。
自分が持って帰ろうと思わないようなものを後輩に押し付けるのって、一種のハラスメントだよね。
この後輩がやったことは、間違っていない。
僕は最近、日常生活を送っていて、怖くなることがあるのです。
ネットでは通用する「正しさ」を、社会生活のなかで、つい、主張したくなってしまう衝動に駆られるんですよ。
「ネット弁慶」なんていう言葉がありますが、ふだん、社会人として生きていくためには、波風を立てないほうが無難である場面でも、つい、上司や同僚に「逃げ場のない正論」を吐いたり、「それは違うんじゃないですか」って、言いたくなってしまう。
もちろん、言わざるをえない場面というのは存在するんですけど、僕は突き抜けた能力や鋼鉄のハートを持っているわけではないので、あんまり他人に嫌われたくはないし、できればベタベタしない程度に仲良くやりたい。
10年前に、こんな雑誌の記事を読みました。
『月刊CIRCUS・2008年3月号』(KKベストセラーズ)の特集記事「春の転職シーズン到来・採用責任者はココを見ていた!~人事部長に訊け」より。『エンゼルバンク―ドラゴン桜外伝』の作者である、漫画家・三田紀房さんが語る「入社後を見据えた『ドラゴン桜』式転職術!」の一部です。
私自身は「転職は非常にリスクの高い行為だと思っています。転職について、取材や情報収集をしていて感じることは、ほとんどの人の転職理由は、本当は「人間関係」なんですよ。「給料が安い」とか「職場環境が悪い」とか、みんなそれなりの理由を言うんですが、よくよく本音を聞いてみると、人間関係をきっかけに辞めようと考える人がほとんどなんです。
確かに良好な人間関係があれば、よそで一から始めようという決心はしにくい。人間というのは、酷い状況下でも、仲間の存在があれば我慢できるんですね。逆にどんなに給料が良くても、仲間に恵まれないと辞めたくなるんです。
そしていったん辞めたくなると、自分の可能性を試したいとか、チャレンジしたいとか、成長したいとか、ポジティブな理由を後付けして、決意を固めていくんです。
でも本音は人間関係です。そこを認識しないまま、次の職場に行っても、自分の理想の人間関係が築けるという保証はどこにもない。次の職場でもギクシャクすれば、また辞めたくなる。それが職場を転々と替える原因になっているようです。
でも、辞めたいものは、辞めたいですよね(笑)。だから転職は絶対ダメだとは言いませんが、辞める前にもう一度自分を見直してみる必要はあるんじゃないかな。単純に人間関係が理由なら、良好な関係になるよう努力してみるのもひとつの考え方だと思います。
人間関係のトラブルの原因って、ちょっとした生活習慣なんです。
机が汚いとか、時間にルーズとか、つき合いが悪いとか。世間一般が共有しているルールから外れると、急激におかしくなる、自分が気づいてない部分で人に不快感を与えてるかもしれません。そこを改善するだけでも人間関係って変わりますよ。
職場でいちばん大事なのは「人間関係」であり、トラブルの原因は、ちょっとした生活習慣である。
これ、すごく身につまされたんですよね。
いまは「付き合いが悪い」ということに関しては、以前ほど槍玉にあげられない時代になりました。
「挨拶をする」「時間を守る」「清潔にしておく」の3点を心がけておけば、そんなにひどいことにはならない(ことが多い)のです。
それでも、「イビリ体質」みたいな人に遭遇してしまうことも、あるんですけどね。
この「流しにビールを捨てていた後輩」の苛立ちは理解できます。
要らないって言っているのに、先輩相手だから笑顔で断っているのに、置いていくなんて迷惑だよね。
でも、僕はこの増田さん(この匿名ダイアリーを書いている人)の懸念に共感せずにはいられません。
先輩の「自分でも意識していない本心」では「自分で持って帰りたいほどではないビールを後輩に押し付けた」のかもしれないけれど、そういうことをする人って、「あの後輩、せっかく自分があげたものをこれみよがしに会社で捨てるなんて、嫌味か?」という解釈をしそうな気がするんですよ。
本人は「善意でやったこと」のつもりなので、タチが悪い。
そういう人を指さして、「あなたがやっていることは、『善意』ではない!」と名探偵コナンのように指摘しても、嫌われるか、逆恨みされるかの可能性が高い。
泥臭い話をしてしまうと、後輩の「処世術」としては、増田さんが言うように、「ニコニコしながらもらっておいて、人目につかないところで捨てろ」というのが正しいと僕も思うのです。
それが嫌なら、みんなに聞こえるように「本当に自宅では飲まないので、困るんです。みんな要らないんだったら、私がここで捨てちゃいますよ?」と正攻法で主張するのが次善の策でしょう。
人が(いないときではなく)少ないときに会社で流しに捨てるとなると、あげた人は「悪意」を感じるのではないでしょうか。
多くの場合、その程度のことで周囲と衝突するよりは、「まあ、仕事ではお世話になっていることだし」と、不満を飲み込んで知らんぷりをしてしまうほうが、生き延びやすいと思うんですよ。
現実でもネットでもそうだけど、他人の考え方なんて、そう簡単に変わるものじゃないし、「親切心からやったつもりのこと」を否定されても鷹揚でいられる人は少ないのです。
僕はネットで、こういう日常の価値観の小さな衝突に対しても「正論」を強硬に主張する人をみるたびに、「この人は、ふだんも、こんなに肩をいからせて生きているのだろうか?」と考え込んでしまうのです。
もちろん、僕にだって、譲れないところはあります。
でも、この後輩の行動って、得られるメリットはほとんどないのにリスクが高い。
飲み会の際にでも、「家では飲まないので、本当はもらっても困っているんです」と、さりげなく伝えるほうが無難でしょう。
残念だけど、そういう「後輩にあげる先輩」たちの価値観って、急には変わらない。
いくら正しくても、ひとりで集団の「そんなに悪質ではない慣習」に立ち向かうのは、あまりにもキツい。
僕の個人的な感覚なのですが、最近とくに「ネットの一部では、ちょっと黒っぽくみえるものを、みんなで『あれは黒だ!』と認定して敵視する傾向が強い」のではないかと思うようになりました。
それを日常でやっていたら、あまりにも敵が増えすぎて、消耗してしまう。
ネット内での作法だから、と、わかってやっているつもりなのかもしれません。
それでも、「正しさのブラックホール」みたいなものに、ネットに触れる時間が長くなると、侵食されていくような気がするのです。
それとも、これはネットと現実の価値観のタイムラグみたいなもので、しばらくしたら、現実がネットの「正しさ」に追いついて、「要らないと言ったものは、要らないのだから、あげないようにする」というコンセンサスができあがってくるのかな。
こういうエントリが公開されることによって、気づく人もいるだろうし。
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