いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「妻の妊娠・出産」が「天災」になるとき

banban.hatenablog.com


ああ、こういうのって、実際にされたら、たしかに「一生忘れない」だろうな……と思いつつ読みました。


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このブックマークコメントを読んでも、まあ、妊娠中の浮気なんて最低だよね、というのと、別に妊娠中じゃなくても最低には違いないよね、というのと。


ピンポーン


あれ、誰か家に来たみたい。
知り合いの劇画原作者が、久しぶりに遊びにやってきました。
彼は、この件について、何か言いたいことがあるみたいです。
以下、彼の独白におつきあいください。

(以下、知り合いの劇画原作者の話)
あの「不倫育休議員」こと宮崎謙介さんは、本当にどうしようもない人だと思うんですよ。奥さんの妊娠とは関係なく、いろんな女性と浮気していたみたいだし。
 そもそも、なんでこんな人に「育休」を訴えさせ、その中心人物にしたのか、やらせるほうもやらせるほうだな、と。
 でも、このブックマークコメントをみていて、男性側として、ちょっと言っておきたいことがあるんですよ。
 それは、「妊娠・出産というのは、女性の性格や、夫婦の関係を変えてしまうもので、綺麗事だけでは済まない」っていうこと。

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妊娠中の夫との関係の悪化に関しては「夫の性欲が解消されない」ことが理由なのだと感じている人が多いようなのですが、必ずしもそればっかりじゃないと思うんですよ。
そうであれば、出産後のセックスレスなんていうのは、そんなに多くはならないはずです。


我が家(劇画原作者の家庭)では、妻が妊娠してから、なんだか人が変わったみたいになってしまって、いままでと同じようなことをしていても「邪魔!」「アンタは何もしなくてラクでいいわね」「役立たず!」などと罵声を浴びせられるようになって、ホトホト困り果ててしまったんですよ。
もちろん、そんなに良い夫、というわけではないのだろうけれど、浮気とかは全くしなかったし、家事もできる範囲では協力していたのに、ものすごく、妻が私に接する態度がキツくなってしまって……


あれは、本当につらかった。浮気でもしていれば、そんなふうにキツくあたられる理由も「解釈」できるのだけれど、そんなわけでもなかったし……


今から考えると、子どもというものができて、妻側としては「変わらざるをえない」のに、私のほうが「変わらない」ことに、苛立っていたのではないかとも思うのですが、あれは、本当に尋常じゃなくて、家にいるだけで、針のむしろの上みたいでした。


いやほんと、本気で「離婚してやる!」って思ったこともありますよ。相手から、そう言われたこともあったし。


子どもが生まれてからは、少し落ち着きはしたのですが、前と同じ、というわけにはやっぱりいかなくて……


 宮崎謙介元議員の場合は、「多淫症」みたいなものではないかと思われますが、妊娠・出産というのは、「パパとママをえらんでうまれてきたんだよ!」みたいな幸福な面ばかりではないようです。
 ごく普通の「仲良し夫婦」でも、妊娠をきっかけに、関係が壊れる、あるいは壊れそうになってしまうことがある。
 ホルモンバランスの変化とか、親になることへのプレッシャーとか、いろんな要因があるのでしょうし、程度は人それぞれなのだけれど、「どうしてこんなことに……」というような暴言を配偶者が吐くようになるケースは、けっして少なくないのです。
 でも、妊婦を抱える夫婦のそういう一面は、「子どもができた」という「良いこと」の前に覆い隠されて、あまり採りあげられることはない。


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これから配偶者の妊娠・出産を控えている男性は、ぜひこの本を一度読んでおくことをおすすめしますよ。

 川上さんのマタニティ・ブルーの時期のこの文章などは、読んでいて「うーむ」としか言いようがないのです。

 たとえば。あるとき、わたしが現在妊娠何週の状態であるのか知っているのか、ときいてみたら、知らなかった。まずそれにかちんときた。25週やで、とわたしはいちおう伝えてみた。そして、後日、妊娠25週目のおなかの赤ちゃんがどんな状態か、知ってる? ときいてみた。たとえば映像情報でも、文字情報でも、おなかの赤ちゃんがいまどれくらい成長しているのかとか、そういうこと知ってる? と。でも、あべちゃんは知らなかった。わたしはそれに対して急激に怒りがこみあげた。というのも、そういうのはネットで検索すればいくらでも知ることができる情報であり、そしてあべちゃんは一日に28時間くらいネットにつながっているからで、なにをそんなにみているのか見当もつかないし、目が疲れないのかとか、玉石混淆すぎる情報にまみれてしんどくならないのかとか、そばでみているだけでもまじでぐったりするのだけれど、とにかく、あれだけ日々ネットにつながっていてときにはしょうもない情報を読んだりしているはずなのに、その時間はたんまりあるはずなのに、われわれの一大事であるはずの妊娠、ひいてはわたしのおなかの赤ちゃんについてただの一度も検索をしたことがない、ということに、わたしはまじで腹が立ったのである。これはたんに興味がないだけの証拠じゃないか!


軋轢は、産後も続きます。

 それに比べて、父親はどうよ。


 ちょっと手伝っただけで「イクメン」とかいわれてさあ。男が「イクメン」やったら女の場合はなんて呼べばいいのですか。そんな言葉ないっちゅうねん。

 わが家は経済的にもわりかんで、おたがい似た仕事をしていておなじだけ家にいるからおなじだけ育児を負担できるはずなのに、「基本的には母乳でいく」というルールができたので、夜はすべて、わたしがお世話をすることになった。

 これがつらい。まじでつらい。夜は眠れないのに、翌日には仕事があるのだ。こんなの無理だ。もちろんあべちゃんはゴミだしをするし、洗濯もするし、できるときには掃除機をかけたりもする。しかし、料理はわたしである。なぜなら、あべちゃんは料理ができないからである。オニが3ヶ月目に入ったころ、

「なにか作ってくれるという気持ちはないのか」

「なにか作れないと今後困ったことにはならないのか」

 と直談判したことがあった。するとあべちゃんの言いぶんはこうだった。

 おれは料理はできないが、ほかの家事はけっこうやっているので分量的にはおなじではないでしょうか、と。お皿も洗うし、掃除もするしゴミだしだって、あれはああみえて大変だし、できることはすべてやっているのだと。料理だって無理にしなくっていい。おれが外でお惣菜や、みえの食べたいものをいつだってなんだってすぐに買ってくる、と。そういうのである。


 しかしあべちゃんはまったく理解していない。料理というのは、そのほかの家事とまーったく異なるものなのだ。まったくぜんぜんちがうものなのだ。毎日誰かのために料理をするということは、冷蔵庫のなかになにがあるのかを把握し、買いだしの予定、週単位での献立の計画、会計管理などが全面的に関係していて、それがずーっと連続するものなのよ。そのつど料理して終わり、ではないのだよ。そして、疲れ果てて料理ができないときにも、惣菜や店屋物を食べたくないことだってあるのだ。お野菜を茹でたのとか、そういうのをさっと食べたいときがあるのだ。なぜそれをわかってくれないのだろう。


 これと似たようなことが、うちでもありまして……

 「料理するのが面倒なら、買ってくるから無理しなくていいよ」と言っても、「なぜあなたが作ろうとしないのか!」と責められたときは、心底苛立ってしまったんですよね。

 僕が料理をほとんどしたことがないのは知っているはずなのに、なぜいきなり「お前が作れ!」とキレられなければならないのか、妻に無理に料理してほしい、というわけではなくて、外食でも中食でも、全然かまわないし、僕が買ってくるよ、と言っているじゃないか、と。


 いきなり「料理をつくれ」と責め立てるのって、「イジメ」みたいなものだと感じたんですよ。

 なぜわざわざ「できないと知っていること」をやらせようとするの?


 私の経験や、まわりの男性から聞いた話からは、「性的欲求不満」だけが原因ではなくて、こういう「妊娠にともなうハラスメント」は、男性側にとっても、けっこうキツいものなんですよ。
 妻もキツいんだ、子どものためにも頑張ろう、と思うけれど、あまりに理不尽に責め立てられると、すべてリセットしてしまいたくなる気持ちもわかる。
 妊娠でキツいのは妻で、夫は基本的に見守ることしかできないだけに、この不安的な時期に一方的に責められ続けるのは、誰にも相談できずつらかった。
 妻は悪くない。キツいよね、それは。
 でも、それはそれとして、なぜ、自分のほうにばかり、その攻撃性が向かってくるのか?
 もう次の子どもは絶対にいらない、と思うくらいでした。


 劇画原作者は、そう語ったあと、コップの水を一息で飲み干して、最後にこう言いました。

 でもね、こういうのって、誰が、何が悪いってわけじゃないんですよ。
 ホルモンのバランスとはいうけれど、その影響は人それぞれで、妊娠してみないとわからない。
 そんなの信じられない、夫の側が悪い!って思う人がいるのも想像はできる。
 私も、自分が実際に体験していなければ「とは言っても、夫が悪いんだろ」って思っていたはずだから。
 だからこそ、夫の側も、ひたすら自分の落ち度を責める。でも、責めても責めても底がなくて、最後はもう、逃げ出したくなる。
 私は思うんです。
 こういうのは、天災みたいなもので、誰のせいでもないのに、一定の割合で、誰かのところにやってくるものなんだ、って。
 そして、そういうのが自分たち夫婦だけではない、ということを知れば、もしかしたら、少しは気が楽になる人もいるかもしれない。
 あらかじめ「心の準備」ができていれば、それがやって来たときに、過剰に自分を責めずに済むかもしれない。


 こういう経験をする人は、そんなに多くないのかもしれないし、そのほうが良いのだろうとは思うけれど、この劇画原作者の話が役に立つ人が、どこかにいるかもしれないと感じたので、ここに記録しておきます。



きみは赤ちゃん

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