いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

インターネットの「4月1日」今昔

4月1日めんどくさい。


転勤とかになると、初日で緊張する、とかいうのもあるのですが、転勤にならなかた今年もやっぱりめんどくさい。
とくにネットをやっていると「エイプリルフール企画」とかで、多くの人が無理して何か面白い(と本人だけが思っている)嘘をつこうしているのを見るのがつらい。
テレビのニュースで、いきなり「エイプリルフールだから、嘘のニュースを流す」なんてことはないのだけれども、ネットでは、けっこう大手のメディアとか企業も「冗談コンテスト」みたいな雰囲気になっていて、たぶん冗談じゃないことまで、いちいち疑わなければならないのもめんどくさい。
ああ、早く4月2日にならないものか。


まあでも、ネット上の「4月1日問題」も、テキストサイト全盛の10年以上前とかに比べたら、だいぶ改善はされましたよね。
当時はなんだかもう、見ていて溜息しか出なかったもの。


「このサイトは閉鎖します。さようなら」
「結婚しました」
「彼女(彼氏)ができました!」


……はい、はい。


テキストサイト時代には、こういう「4月1日ネタ」が蔓延していて、そのテキストサイトのファンが「えっ……本当に閉鎖しちゃうんですか?」「エイプリルフールか……よかった!」「結婚おめでとうございます!」とか、けっこう「本気で騙されたふり」をしていたのです。
ダチョウ倶楽部の熱湯コント」みたいなものかもしれませんが、そこに「人気サイトの奢りと、それに付き合ってやっている信者」みたいなものを感じて、「なんだかねえ」と。
こっちだって、「4月1日モード」で疑心暗鬼になっているんだから、そう簡単に騙されるわけないのです。
それでも、「お約束」として、管理人はベタなネタを書き、ファンは騙されてあげるということになっていた。
いまは、「個人ブログレベルでは、そういうのは、もうやめよう」というムードになってきていて、それなりに「成熟」してきたのかな、と感じます。
社長の下手なゴルフに「ナイスショット!」と言わなければならないような関係を、ネットでも築くなんてまっぴらだし。
それだけ、ネットで発信する人と受け取る人の関係も「ビジネスライク」になってきた、というのもあるのかもしれません。


これを書きながら、そういえば、僕も子供の頃は、4月1日になると「今年はどんな嘘をついてやろうか」とワクワクしていたのを思い出しました。
「だまされないぞ!」と思いつつ、「友達の嘘には、ちょっとだまされてあげる」のも、礼儀のうちだと、なんとなく感じていたものです。


まあ、ネットには「嘘」が年中無休であふれていますから。
むしろ、「本当のことしか言わない日」みたいなのをつくったほうが、良いのかもしれませんね。

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