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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「『東北で良かった』…東京の皆さんの本音ではありませんか?」にこめられた地方民のルサンチマンを、東京の人々はまだ知らない。

www.asahi.com

irorio.jp


この件に関しては、あまりにも配慮に欠ける発言ですし、そもそも「あっちの方」という言葉に僕はものすごく引っかかったのです。
じゃあ、あなたにとっての「ここ」は、どこなのですか?
今、しゃべっている「東京」が、「ここ」で、東北は「ここではないところ」なのか。復興相という役職についているにもかかわらず、東北を「あっちの方」って……
二番目のリンクにあるように、個人が、「自分たちが住んでいる場所じゃなくてよかった」って思うことは、仕方が無いことでしょう。
ただし、それを口に出されれば実際に被害に遭ってしまった人たちは少なくとも良い気分にはならない、ということは想像できてしかるべきだし、復興の責任を担っている人が、言うべきことでもない。
そもそも、スピーチライターとか、いなかったの?


これはもう、辞任も当然、という話だったのですが、それに続いて、産経新聞のこんな記事がネットで話題になっています。

www.sankei.com


ブックマークコメントでは、この記事も、かなり批判されているようです。

b.hatena.ne.jp


好意的に読めば、この記事は、あまりにも「東京中心」になっている日本という国への東北からの憤りと、「喉元過ぎれば熱さを忘れて」災害への対策よりもオリンピックで浮かれている人々への警鐘なんですよね。


この産経新聞の記事って、タイトルと文中の「東北で良かった」を「東京じゃなくて良かった」に差し替えれば、こんなに批判されることはなかったはずです。
ただ、こんなに読まれることもなかっただろうけど。
こういう「読まれるためには釣りタイトルみたいなのが必要」というのはどうにかならないかと思うのですが、「釣り要素」がない真っ当な記事やエントリというのは、どんなに良いことが書いてあったとしても、なかなか読んでもらえず、議論の俎上に乗らないのも現実なのです。


僕は九州北部在住なのですが、東日本大震災の後、テレビでニュースを観ながら、ずっと思っていました。
ああ、日本って、東京がいちばん大事なんだなあ、って。
東日本大震災のあと、福岡のテレビでも、全国ネットのニュースやワイドショーのなかで、首都圏の計画停電や電車の運航状況について、ずっと伝えられ続けていました。
それは、九州に住んでいる僕たちの生活には、ほとんど関係ないはずなのに、その「東京の人たちのための情報」が、当然のごとく流れていたのです。
「関係ないから他の番組にしろ」なんて言うつもりはありません。
でも、「僕たちの街で停電になったり、電車が止まったりしても、きっと、東京のテレビやメディアが、東京の人たちにそれをこんなに熱心に伝えることはないだろうな」とは感じました。
関わっている人の数が違う、ニュースとしての重要性が違う、たしかにそうなのかもしれないけれど、東京の人たちは「東京のニュースは全国ネットが当然、その他は『ローカルニュース』」だと思っている。
首都としての機能や人口の多さからみても、それが現実であることは理解できるのだけれど、あからさまに突きつけられると、地方在住者としては、「東京の傲慢」を感じてしまうのです。


被災地の復興に関しても、被災地の需要で建設資材の高騰や作業員の人手不足のなか、2020年に東京オリンピックが開催されることで、さらに「復興のコストが増す」ことになりました。
国威発揚、海外へのアピールのためにオリンピックは必要だ、という意見もあるでしょうけど、それで潤っているのは「東京」あるいは「中央」だけのように見えるのです。
被災地の現実的な復興にとっては、かえってマイナスに作用している。


原発の再稼働も、とりあえず安全性が高いとされているところから、進められようとしています。
佐賀県玄海原発がありますが、原発で雇用を生み出している地域は再稼働賛成が多く、直接の利益はないのに事故が起こったら被害を受ける周辺地域は再稼働に反対している、という状況になっています。
(ちなみに、県議会や県知事は再稼働容認へ動いているようです)
少し離れたところからみていると、原発は「安全性」から、時間が経つにつれて「経済的な問題」が重視されてきているように感じます。
原発が飛躍的に安全になったわけでもないし、自然災害のリスクが低下したわけでもないのに、再稼働のほうへ、動き出している。


人は、1万円を新たに得る喜びよりも、持っている1万円を失う悲しみや恐怖のほうが、何倍も大きいそうです。
一度、自治体が原発に依存してしまうと、そこから元の「雇用もお金も何もない自治体」に戻るのは難しい。
東京は、そうやって、「良い思い」をさせることによって、「地元の意向」をつくりだし、危険を地方に押しつけてきた。
そして、「人口が多い東京にリスクが高いものを作るのは『合理的』ではない」と言い続けている。
いや、それはたしかにそうだとは思いますよ、もしものときのリスクやコストを考えると。
でも、東京の人たちは、それがあたりまえのことだとドヤ顔で主張して、「押しつけてごめんね」っていうポーズすら見せない。


「東京っていっても、元は地方から上京した人たちの集まりなんだから」と僕も思っていました。
 ところが、この新書で紹介されているデータをみると、最近はそうでもないんですね。


fujipon.hatenadiary.com

 現在地ブロックとは、例えば現在東京に住んでいる人間のうち、同じ土地での出生出自が何%を占めているか、というもので、本書の表現に沿えばジモティ率を示したものである。
 ここで興味深いのは、現在東京圏(東京・神奈川・埼玉・千葉の1都3県)に住む人々の実に68%が同じく東京圏に出自を持つ土着民である、ということだ。むろん、このデータには、例えば東京圏で生まれたものの親の都合で小・中・高を長野県で過ごし、就職して以降再び東京圏に回帰してくるといったパターンの人々をも含んでいるので、この数字がそのまま東京圏に出自を持つ土着の人々(ジモティ)を示すものではなく、実際には幾分下方に修正されるだろう。
 とはいえ、東京居住者の大半は地方出身者によって占められている、という漠としたイメージは、実際には膨大な労働力が郡部から大都市部に流入してきた高度成長期のイメージの延伸にすぎない。


 最近、何度か東京に行く機会があったのですが、複雑な地下鉄の路線図や駅に溢れる人、立ち並ぶ高層ビルになどをみていると、なんだかもう、同じ日本だとは思えないのです。
 もちろん、そういうのが「東京の一面」でしかないことはわかっていますし、個々の「東京に住んでいる人たちが、とくに傲慢なわけでもありません。
 ただ、地縁が薄れてきていることもあり、「地方の人間は、東京的なものを体験したり想像したりすることができても、その逆(東京人が地方に住む人の感覚を理解すること)は難しくなっているのではないか、という気がするのです。
 東京の人たちは「とくに東京が贔屓されている」とは思っていない。ずっと前から、そうだったから。
 東京は、東京の「ふつう」を続けているだけ。
 それがまた、地方の東京へのルサンチマンを募らせる。


 今村前復興相は、佐賀県出身なんですよね。
 その人が、議員になって、大臣になって、東京で、「まだ東北で、 あっちの方だったから良かった」と発言した。
 これって、地方から「成り上がった」と感じている人の発言だよなあ、とも思います。
 ずっと東京に住んでいる人って、東京へのコンプレックスが無い分だけ、地方をバカにすることもなく「方言に憧れる」なんて言うことも多い。
 それはそれで、「地方の現実も知らないくせに!」なんて反発してしまうのだけれど。
 僕は僕で、「東京の現実」は、わからないし。


 さびれた地方都市から、いまの建設ラッシュの東京をみると、自分たちは置き去り、あるいは「養分」にされているのではないか、と感じるのです。
(お金の動きからすると、地方のほうが東京を「養分」にしている、というのが現実なのですが)
 被災地の復興がなかなか進まないなかで、オリンピックで浮かれている(ようにみえる)東京に冷水をぶっかけてやりたくなる気持ち、僕はわかります。
 それを産経新聞というメディアが、釣りタイトルでやるべきなのか、とは思うのだけれど、「地方からの声には、『釣り』でもやらないと、誰も耳を傾けてくれない」というのもひとつの現実です。
 世の中には、もっと正統派の警鐘を鳴らす記事も少なからずあるはずなのに、この文章だけが注目されているのも「叩ける要素」があるからなんですよ。
 

 「『震災が自分たちのところで起こらなくてよかった』というのは人間の本音」だと主張している人たちは、「地方に住んでいる人が抱えている、東京への憧れと強いルサンチマン」も「人間の本音」であるということを考えてみてほしい。
 「『東北で良かった』って思ってるんじゃないか?」って言いたくなるほど、東京は冷淡だと「あちらの方」からは見えている。
 そういうのって、相手を批判したり叩いたりしても、感情が変わったり消えたりする』ようなものじゃないよ。


3.11 東日本大震災 激震と大津波の記録 [DVD]

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