80年代、立教大学の学生だった新井素子さんの周辺では、相手を「おたく」と呼ぶことが普通に行われていました。「あ、もとちゃん? おたく、次の授業、あたるよ」(『ひでおと素子の愛の交換日記』1984年)のように。漫画や小説好きの人たちが、少し大人ぶって使っている雰囲気があります。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年8月24日
私自身も、1980年代半ばの高校時代、86年からの大学時代に、「おたくはどうだい」などと相手に普通に呼びかけていました。ところが、大学のクラスメートに「その『おたく』というのは、ごく趣味的な人々が使うことばだ」と、吐き捨てるような表情で指摘され、以後使わなくなってしまいました。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年8月24日
趣味的な集団を「おたく」と呼ぶ蔑称が生まれたのは1983年。その後、80年代後半から90年代前半に「オタク」に対する差別意識が強まりました。「オタク族」と一括りに呼ばれたのは90年代前半。でも、後半にはその類型化も廃れました。21世紀にはむしろ皆がオタクになりたがっています。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年8月24日
『三省堂国語辞典』で「(内向的な)マニア」の意で「オタク」を載せたのは2001年。新語に強い『三国』にしては遅く、意味も時代遅れでした。2014年の第7版でやっと今風に。当時ダ・ヴィンチニュースで石井一敏彦さんが取り上げてくださった。https://t.co/0XftDb7PeJ
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年8月24日
日本語学者・辞書編纂者であり、『三省堂国語辞典』編集委員の飯間浩明さんが、こんなツイートをされていました。
これを読みながら、僕は自分と「おたく(オタク)」について、あれこれ思い出していたのです。
1967年生まれの飯間さんは「オタク」という二人称に対し、抵抗はあまりなく、高校・大学時代には自身も使っておられたようです。
ちなみに、新井素子さんは1960年、僕は1970年代のはじめに生まれています。
飯間さんは大学時代のクラスメートのひとりに、「オタク」(ひらがなの「おたく」とカタカナの「オタク」は、かなりニュアンスが異なる印象を持っているのですが、うまく説明できなのだよなあ)という二人称への嫌悪感を示され、使わなくなったと仰っています。
中高生時代、そして、大学時代に、他人から「オタク」と認識されることは、ケンシロウに「お前はもう、死んでいる」と言われるのと同じだと考えていた僕にとって、この「周囲に、二人称として『おたく』を使っている人がいた」という話は、けっこう衝撃的でした。
僕の知り合いには、そういう「『おたく』という言葉を使う人」は、ひとりもいなかったから。
いや、アニメとかマンガとか特撮とかにのめり込んでいる「おたく属性」の人は少なからずいたし、僕もクラスでは、彼らと一緒に過ごしすことが多かったのだけれど、僕も彼らも「友人・知人を渾名で呼んだり、呼び捨てにするのには抵抗があるのだけれど、『おたく』なんて呼ぶと排除される」という居心地の悪さがあったので、モゾモゾしながら、「○○くん」と呼んでいた、という記憶があるんですよね。中学生日記か。
いまの10代、20代くらいの人は、自分のことを「僕って(わたしって)○○オタクなんですよね」って、何の抵抗もなく口に出していますよね。
むしろ、「何かにこだわりがある、人とは違う自分」をあらわすためのわかりやすいキーワードとして、「オタク」がカジュアルに使われているように感じます。
アイドルが「わたしって、マンガオタクなんですよ」なんて、インタビューに答えているのを読むと、あの頃、僕が恐れていたものは、いったい何だったのだろう?と思えてきます。
新井素子さんや飯間さんの証言と僕の経験、そして、あの時代を描いた書籍などから考えると、1980年代前半は「おたく」を異端視する人はいたけれど、本人たちはそれなりに楽しくやっていた時代で、1980年代の終わりから、1990年代にかけて、「おたく」にとっては生きづらい時代があり、21世紀に入ってからは、「復権」したというか、「カジュアルオタク」が個性として認められるようになってきた、という流れになりそうです。
昔の「オタク」は、相手が話を聞いているかどうかなんて関係なく、自分の興味があることを延々と語り続けるような人ばかりだったけれど、いまは、あまり話題のない飲み会での会話の糸口として「俺って○○オタクなんだよね〜」と異性に語りかけ、「で、いま、付き合っている人いるの?」に繋げてしまう人さえいるのです。
いや、同じ「オタク」でも、その意味が違ってきているというか、昔のオタクには「自分の知識やこだわりに対する自信と覚悟」があったような気がします。「オタク」であるからには、そのジャンルのことで質問されたら「知らない」と答えることが許されない、というような。まあ、基本的には、面白くて、扱いが難しい人たちだったのだけれど。
僕は「オタク属性っぽいけれど、ひとつのことにこだわり抜けるほどの持続力がない」人間なので、彼らが羨ましくもあり、相槌をうつのがめんどくさくなることもあったのだよなあ。
ちなみに、この転換点となった1989年に、あの「宮﨑勤事件」が起こっています。
その宮﨑勤を論じる存在として、「宅八郎」さんがいて、彼らが「オタク」のアイコンとして世間に認識されてしまっていたのです。
長髪、メガネ、アニメのTシャツ(『うる星やつら』のラムちゃん、とか!)、リュックサックを背負い、自分の言いたいことだけを一方的に話す、そんな人たち、というのが「オタク」のイメージでした。
「オタク」は、あの連続殺人犯の「予備軍」として、弾圧されることになったのです。
結局のところ、そういう「オタク」、そして、「オタクという言葉」に対するネガティブなイメージが払拭されるには、ひと世代、20年くらいの時間が必要だった、ということなのでしょう。
逆にいえば、20年くらい経てば、人は「あのとき」に徹底的に疎外してきたものを、あまり気にしなくなるのですね。
インターネットの普及によって、「同好の士が、世の中には案外たくさんいる」ということが認識されたこともあるし、趣味の多様化で、「いろんな趣味のオタクたちというブルーオーシャン」を狙うのが戦略として有効になったのかもしれません。
新井素子さんの話などは「新井素子バイアス」がかかっているというか、新井さんの周りに同好の士が集まっていただけではないか、とも思うのですが、僕の経験というのもあくまでも「地方大学に通っていた男性の一例」にしか過ぎません。
それでも、「オタク」という言葉向けられること、向けることを学生時代に極度に恐れてきた僕としては、この飯間さんの一連のツイートを読んで、「オタクの歴史」について、あらためて考えずにはいられなかったのです。
いま、「おたく」というのがこんなにカジュアルかつポジティブに使われるようになったことには、まさに隔世の感があるのです。
「そんな時代があったなんて、信じられない」という人も、少なからずいるのだろうなあ。
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