いつか電池がきれるまで

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「暗黙のゾーニング」が失われた世界における『青春100キロ』という映画について

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僕は「中出し」とか「孕ませ」とかについては、全く好感を抱いていないというか、病気とか妊娠とかのリスクを考えると、基本的には「子どもができても良い相手」以外とそういうのはやらないほうが精神的にラクだな、とか考えてしまうのです。
もちろん、AVの世界では、経口避妊薬などで妊娠しないようにしているのだろうし、出演者が性病を持っていないかどうかも確認しているはず、ではあるのですが(でも、プロの男優さんはそうだろうけど、素人はどうなのかな……)
ただ、「中出し」がリスクを伴う行為だからこそ、そこで「支配欲」とか「達成感」とかを得る人がいる、というのもわかる。
それが正しいことかどうかはさておき。


それが「正しい」のかと言われたら、たぶん「政治的には正しくない」としか答えようがなくて、お互い合意の上であっても、「夫婦とか結婚前提のカップルじゃないのにどうよ?」って言う人がいるのもわかる。
性癖、みたいなものって、ほんと、ものすごく個人的なものだからなあ。
鞭で叩かれるのが快感という人たちの「行為」って、そういう性癖がない人間からみれば「暴力」にしか見えないかもしれないし。


なんのかんの言っても、人は「リスクがある行為」のスリルに惹かれるのです。
以前、シルク・ドゥ・ソレイユのステージが映画化されたものを観に行きました。

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 こういう映画ができるらしいよ、と、一緒に何度もシルクのステージを観に行っている妻に話したとき、「それ、面白いと思う?映画だと、絶対に演技を失敗しないとわかっているのに」と言われたのですが、実際に観てみると、失敗やアクシデントを望んでいるわけではないのだけれど、ちょっとダレてしまう。

 観客の反応や緊張感も含めて、ステージというのはつくられているです。

 でも、僕には、実際に自分の目で確かめてみないと、「超一流のパフォーマンスが、超一流の監督の手で撮影されているのに、なぜ退屈になってしまうのか?」が理解できなかったのです。

 パフォーマーの失敗やアクシデントを期待している、というわけではないつもりなのだけれども。


 登場人物やパフォーマーが傷つくことを望んでいるわけではないはずなのだけれど、彼らが致命的なダメージを負うかもしれない、というリスクがそこにあるからこそ、緊張感があり、魅力が高まるのです。
 その一方で、観客というのは、実際にアクシデントが起こると「ドン引き」してしまう。
 なんであんな危険なことをやらせたんだ、と憤る。


 演じる側としては、観客に「そんなことをやったら、死んじゃうよ」って思わせながら、「うまく演じきる」しかないのです。


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この映画で採りあげられている「ツインタワーの綱渡り」とか、事前に許可を得ようとしても、絶対に許されなかったはずだし、失敗してフィリップ・プティが転落死していたら、「負の歴史」として語られていたはずです。
でも、プティとその仲間たちは、リスクを承知で挑戦し、成功した。
無謀な行為でも、結果的にうまくいけば、「冒険」とか「挑戦」として称賛されることは少なくありません。


「そんなの危ないじゃないか!」と言いつつも、「危ないもの」を観たい人、そこに興奮や感動を味わう人は、少なからず存在するのです。
そこで失敗すれば「なんでそんな無謀なことをやったんだ」と失望してしまうのだけれど。


世の中には、「中出し」プレイのつもりが妊娠してしまったり、病気がうつったりすることはたくさんあるのだろうし、危険なパフォーマンスで命を落とした人だっているのです。
そして、「そういう負の実績」こそが、「リスクのある行為に挑戦すること」の価値を高めていく。



こういう映画評が「荒れる」のって、インターネットという「誰でもアクセスしやすい公共のスペース」が一般的なものになったことが原因でもあるんですよね。

ちょっと古い話で恐縮ではありますが、いわゆる「エロ本」って、「女性を性行為の対象としか観ていない」「女性はみんな本当は性欲の塊みたいなもので、常に欲求不満を抱えている」というストーリーラインに基づいてつくられているものが多かったのです。
でも、それが「女性をセックスの道具として扱っている」という社会的な批判を浴びることはほとんどありませんでした。
PTAの「有害図書」などとして排除されることはあったとしても、その個々の記事レベルまで踏み込んで、指摘されることはほとんど無かったのです。
そこには紙の書籍であるとか、男性成人向け雑誌であるとかいう「ゾーニング」が働いていて、女性が『デラべっぴん』のページをめくる機会は、恋人や息子が隠しているのを見つけた場合などに限られていたのです。
あるいは、(それが正しいことなのかは別として)そういう形での男性の「性欲」が、黙認されている社会だったのかもしれませんが。
まあでも、女性向けのレディコミなども、僕が読むと「なんだこれは!」と思うようなえげつない描写がたくさんありますし、『an・an』とかにも「身も蓋もない男性論」が書かれています。
ビートたけしが「オールナイトニッポン」で過激な発言をしていても「深夜放送だから」ということで(抗議もきていたようですが)、番組が消える、ということはありませんでした。
これらは「仲間内での符牒」を確認しあってニヤニヤする世界、でした。
そういう「ターゲットが限定されていることが明白なもの」に「あえてその暗黙のゾーニング外から踏み込んで言及する」ということを敬遠するムードは、確かにあったのです。


いまでは、そういう男子更衣室内の会話や給湯室トークみたいなものが、ネットで「可視化」されて、本来のターゲットではない人々の眼に触れやすくなってしまった。
それは、善いことなのか、悪いことなのか、どちらでもないのか。


冒頭の映画は、本来、サブカルチャーというか、実験映画的な動機でつくられたものだと思うのです。
アダルトとホラーは、低予算で粗製濫造が「お決まり」ではあったのですが、それだけに、若い監督が新しい表現に挑戦しやすいジャンルでもありました。
それは、日本の映画界だけではありません。
サム・ライミ監督が世に出たのは『死霊のはらわた』ですし、ピーター・ジャクソン監督の初監督作品もホラー映画でした。
上原亜衣さんという人気女優の引退に関するプロジェクトのひとつとして、ちょっと変わった切り口でのアプローチをして、けっこう「面白い」ものができたということで、「こういうのが好きな人たち」に楽しんでもらおうと狭い範囲で劇場公開し、プロモーションをやったら、予想以上の反響で、ネットでも話題になり、想定外の数の「真面目な人々」の目に触れることになってしまった。
これは「想定外」ではあったかもしれないけれど、そこでバッシングされることも含めての「表現」であり、制作側としては、そこまで伝わったことだけで、「勝った!」って気分じゃないのかな、とも思うんですよ。
多くの人に「観られる」「語られる」ために映画というのは存在するのだから。


こういうのが「ものすごく不快」な人は存在するのだろうけれど、これもまた「現実の一面」ではあるのです。
もしかしたら、計算し尽くされた「リアリティショー」ではないか、という危うさも含めて、ものすごく現代的な「作品」なんですよね。
もしかしたら、すべてがリアリティショー化しているいま、本物の「ドキュメンタリー」って、こういう「キワモノ」のなかにしか、存在しないのかもしれません。
しかし、『青春100キロ』って、やっぱり「中出し」じゃないとダメなのかな……そこが見せ場じゃないのに、そこのところの議論ばっかり大きくなってしまっているのか、やっぱり、「避妊具使用」では成り立たないのか。いや、僕はこの映画観てないんですが、仮に中出しにしても、上原さんは経口避妊薬を内服するか、避妊用のリングとか入れていると思うんだけど。
そもそも、「子どもができたら困る相手への中出し幻想」をつくってしまったのって、AV業界の罪ではないのだろうか。


個人的には「性欲」=「青春」っていうのは、あまりにもステレオタイプな気がするし、僕はそういうものを全肯定したくないのだけれども。
その時代、女の子やエロ本よりもX68000のゲームのほうが、僕にとっては「そそられる」存在で、そんな自分を持て余してもいたんだよなあ。


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